見出し画像

世界史漫才再構築版65:ホー・チ・ミン編

苦:今回は「ホーおじさん」ことホー・チ・ミンです。
 微:オレの一太郎は「放置民」と変換してくれるくらいカスタマイズされています。
 苦:その前にシリアの文章を書いただけだろ!! ベトナム統一の偉大な指導者です。しかし国民に子どもから老人まで敬愛され、親しみを込めて「ホーおじさん」と呼ばれたんです。
 微:スローガンが「ワン・ベトナム」だったんだよな。
 苦:目的はそうですが、それは2019年のラグビー日本代表の合い言葉です。
 微:まあ、ほぼ同じならいいだろっ!!(バシッ!)
 苦:ホー・チ・ミンは共産主義者にして革命家で、植民地時代からベトナム戦争途中までベトナム革命を指導しました。
 微:アベみたいに途中で投げ出したんか?
 苦:1969年に亡くなったんです。ホー・チ・ミンは生涯を祖国統一に捧げたベトナム労働党主席にして、ベトナム民主共和国初代大統領です。
 微:お前こそ生徒を放置した授業ばかりやっているくせに。
 苦:もういいよ! 彼は貧しい儒家に1890年に生まれ、幼名はグエン・シン・クン(阮生恭)、字はタト・タイン(必成)です。グエン・アイ・クォック(阮愛國)でも広く知られています。
 微:名前からして気合いの入ったやつだな。
 苦:ホーは、優秀だったベトナム人官吏を養成する仏越学校に入学しました。
 微:越境入学者と非難されたそうです。
 苦:無視ね。在学中に反仏の民族主義的思想を持ったために退学処分となります。その後、船員としてフランス、フランスの植民地、アメリカ、ヨーロッパ諸国を回りました。
 微:ある意味、チャバネゴキブリとかの拡大ルートを身を以て示すような行動範囲だな。
 苦:そんなもんと比べるなよ! ホーは1917年にパリに移り、この年に起こったロシア革命が彼の思想に大きな影響を与えました。
 微:「そうか、借りたお金は返さなくていいんだ」と開き直ったそうです。
 苦:借款じゃねえよ!! 彼はマルクス主義を学び、フランス共産党に入党し、在仏ベトナム人愛国者団を組織して活動しました。この頃はグエン・アイ・クォックの名で活動しています。
 微:どうせならル・コック・スポルティーフにしとけばかっこいいのに。
 苦:彼の名を一躍有名にしたのは、ヴェルサイユ会議に愛国者団を代表して出席し、「ベトナム人民の要求書」を提出したことです。残念ながら、会議ではこの要求書は採択されませんでした。
 微:連合系労働組合の要求書みたいだな。
 苦:そこは最初から腰が引けてんだよ! 1923年にモスクワのコミンテルン第5回大会でアジア担当の常任委員に選出され、1924年の第一次国共合作成立後は広東に赴きました。
 微:そこで中川家兄から中国語の手ほどきを受けたそうです。
 苦:でたらめな中国語なんて役にたちません。黄埔軍官学校にベトナム人留学生を送り込むためです。そして秘密裏にベトナム青年革命同志会を創立します。
 微:社会主義のアントレプレナーとして表彰されたそうです。
 苦:いかがわしい起業家じゃねえよ!! 1930年には3つの組織を統一してベトナム共産党を創設しますが、すぐにコミンテルンの指導でインドシナ共産党に改組させられました。
 微:中国が先に商標登録していたんじゃないのか。
 苦:フランス領インドシナ連邦全体を統括するためです。
 微:普通、看板というか、風呂敷は最初に大きく広げて、頃合いを見て畳んで、畳めそうになかったら、この世界史漫才のように知らん顔して投げ出すもんなのにな。
 苦:無責任なことを言うな。ま、逆に畳める広さの風呂敷しか広げない押井監督、どれだけの広さがあるのか見る人がわからないくらい大きい風呂敷を広げる庵野監督というやり方もあるけどな。
 微:お前がボケたら、誰が突っ込むんだよ、もう。
 苦:すまん、つい。さて、第二次世界大戦中の1940年6月にナチス政権がフランスを占領し、フランス領インドシナ連邦は権力の真空地帯となりました。
 微:野間宏が現場にいたそうです。
 苦:野呂圭介よりましだけど、関係ありません。インドシナで独立運動が激しくならないよう、ヴィシー政権と日本は暗黙の契約を交わしたんです。
 微:「やりすぎんなよ」とアドバイスまでもらってね。
 苦:大津市かよ!! 日本の1940年の北部仏印進駐、翌年の南部仏印進駐を「黙認」しました。ヴィシー政権は枢軸ですから、日本はフランスのインドシナ政庁との共同統治体制を布いたわけです。
 微:フランスの隠したい過去だな。
 苦:はい、ユダヤ人移送に協力した事件も20世紀末にようやくシラクが謝罪しました。
 微:連合国の一員として安保理常任理事国になっている国が、枢軸国と同盟関係にあった。キミがかつて『オールナイトフジ』の川島なお美にときめいたという過去と同じで。
 苦:それだけは言わないでくれえ! ホー・チ・ミンは、香港、モスクワ、延安、雲南省などで活動を展開していましたが、インドシナ情勢の急展開により1941年に帰国します。
 微:検疫のため40日隔離されました。
 苦:ベトナム独立同盟、通称ベトミンを組織します。そして軍事援助を求めて翌年に中華民国入りしますが、国民党の地方軍閥政権によって逮捕され、1944年にようやく根拠地に戻りました。
 微:何しに行ったんだ、おい!
 苦:オードリー春日のマネはいいからな。日本の敗戦が決定的になった1945年8月13日、ホー・チ・ミンは全国民に総蜂起を呼びかけ、ベトミン指導下に全国的な民衆蜂起が起こります。
 微:全国でスズメバチの巣を破壊したそうです。
 苦:意味が全く違います。ベトミン軍がハノイに入城し、9月2日にホー・チ・ミンはベトナム民主共和国の独立を宣言しました。
 微:こちらの方が略称「ベトミン」のオリジナルにふさわしいな、紛らわしい。
 苦:しかし、厚顔にもフランスはベトナム民主共和国を承認しませんでした。それだけにとどまらず、バオダイを王とする親仏のベトナム国を樹立しました。植民地ではないと言い訳するために。
 微:知床遊覧船の社長みたいなやり方だな。
 苦:さらにベトナム民主共和国軍への攻撃を開始したので、12月19日、ホーは「全国民に抗戦を訴える」を発表して徹底抗戦に入ります。インドシナ戦争の勃発です。
 微:日本のオタクなら「天誅!!」とか叫んで始めてそうだな。
 苦:ベトミン軍は北部山岳地帯にこもって抵抗を続けます。装備に勝るフランス軍をボー・グエン・ザップ率いるゲリラ部隊が圧倒し始めます。
 微:グエン・ザップって宦官じゃなかったっけ? ある意味すごいけど。
 苦:1954年、ホー陣営はフランスの拠点ディエンビエンフーを包囲し、一斉に攻撃しました。フランス敗北は決し、同年のジュネーヴ協定で80年間に及んだフランスの支配は終了しました。
 微:ここで反省していれば、アルジェリアもなんとかなったのにな。日光猿軍団でも反省するぞ。
 苦:しかし話はこれで終わりません。ドミノ理論に取り憑かれたアメリカがフランスに代わってベトナムに進出してきたのです。
 微:中華民国が負け、朝鮮が南北に分裂した後だしな。まあ軍需産業も在庫処分したいだろうし。
 苦:アメリカは、南部にゴ・ディン・ジェムを大統領とする親米ベトナム共和国を成立させ、積極的な経済的・軍事的支援を開始しました。
 微:そのやり方はひどいけど、南米とハワイでは成功したパターンなんだよな。バカの一つ覚え。
 苦:南のベトナム共和国政府とアメリカは、ジュネーヴ協定で定められた統一選挙をボイコットします。
 微:トランプが「国会を襲撃しろ!」と煽ったそうです。
 苦:それは21世紀だよ!! それだけでなく反対派に厳しい弾圧を加えたため、抵抗運動が広がり、1960年に南ベトナム解放民族戦線が結成されます。
 微:火に油を注ぐ、元祖「加油」を上回るな。
 苦:南ベトナム解放民族戦線は北ベトナムの支援の下、本格軍事介入を始めたアメリカ軍と激しく戦いました。
 微:弱者が強者に勝つにはイカサマかゲリラ戦しかない。
 苦:国境を接するラオス、カンボジアを使った補給路がホー・チ・ミン=ルートです。ここ経由で北ベトナムの兵士・教官も入り、練度を上げていきます。
 微:アメリカもハートマン軍曹頼りではどうしようもないな。
 苦:それは映画の話ですが、ハートマンを演じている人は本物ですからね。密林を消滅させるため、アメリカ軍は第2次世界大戦以上の爆薬と枯れ葉剤を投下します。これがベトナム戦争です。
 微:トレンディー・エンジェルも枯れ葉剤の被害者だそうです。
 苦:全く関係ありません。この間ホー・チ・ミンは、戦争指揮よりも、国内外の重要な政治問題に関わる方針策定や、対外的な呼びかけに精力を集中していました。
 微:自分の正当性と相手の悪辣さを美文で語ってこそ、東アジア世界。
 苦:ベトナム戦争が国際的な関心と同情・共感を集めたのは、ホーがこの戦争を「社会主義対資本主義」という冷戦の論理ではなく、「アジアの小国が民族統一を求めてアメリカという大国と戦っている」という、民族統一の論理で国際社会に訴えたからです。
 微:この論理を朝鮮戦争の時に北朝鮮も出していれば、朝鮮半島は社会主義化していたのに、残念!
 苦:古いよ、波田陽区! アメリカは1965年にベトナム民主共和国への北爆を敢行し、50万もの大軍を投入しました。
 微:ほとんどがブルックリンの路上で寝ていた浮浪者や酔っ払いだったそうです。
 苦:それじゃ処理だろ!! 派兵されたのは主に海兵隊です、ハートマン軍曹が愛する。
 微:それよりハートマン本人を投下した方が速い気がする。
 苦:最新式のマシンガン、B52爆撃機によるナパーム弾投下、ゲリラが潜伏するジャングルを枯死させる枯れ葉剤の散布など、アメリカは科学技術と資金にものをいわせた攻撃を続けます。
 微:お前も頭に枯れ葉剤播かれたんとちゃうか?
 苦:ほっとけよ、関係ねえだろ! さらにアメリカを含む世界中のカメラマン・ジャーナリストがベトナム戦争の真実を世界に発信し、アメリカは道義的にも苦しい立場に追い込まれていきました。
 微:「男たちの悪巧み」という投稿が効いたそうです。
 苦:それは加計学園のアキエ書き込みね。特に1968年のテト攻勢で国際世論もアメリカに批判的になると、ジョンソン大統領と民主党は苦境に追い込まれました。
 微:アメリカに正義があり、優勢であると信じていたアメリカ人も目が覚めたもんな。
 苦:共和党のニクソンが大統領に就任した1969年の9月、ホー・チ・ミンは突然の心臓発作に襲われ、79歳の生涯を閉じました。
 微:その直前にプーチンとお茶会をしていたそうです。
 苦:できるわけねえだろ!! その人生を賭けて求めた祖国統一をホーはその目で見ることはできなかったのです。
 微:中国関係者は、おそらく永遠に台湾の併合を見れないぞ。
 苦:国境は曖昧にしておくのが中華帝国ですから。ニクソンは撤兵を模索し始めますが、名誉ある撤退を重視する余り、迷走します。
 微:盗聴器をジャングルに仕掛ける途中で道に迷ったそうです。
 苦:ラオス、カンボジアに介入し、インドシナ情勢を余計に混乱させてしまいました。1971年、キッシンジャー国務長官が北京を訪問し、翌年にニクソンが毛沢東のもとを訪れます。
 微:毛沢東的には「朝貢」してもらったからOKだな。
 苦:米中は段階的なベトナムからの撤退で合意し、それは1973年のパリ和平協定としてまとめられました。
 微:ハリウッドは「ベトナム戦争もの」というジャンルを確立できて喜んだそうです。
 苦:『ランボー』のシルヴェスター・スタローンは徴兵逃れでスイスに行ってたのにベトナム戦争映画主演してます。親の七光りで州兵になって徴兵を免れた子ブッシュもそうですね。
 微:昔からアメリカにも日本にも上級国民はいたんだな。
 苦:アメリカの支援を失ったジェム政権は後退し、ジェム自身も殺されます。ベトナム戦争は1975年4月30日のサイゴン陥落によって幕を閉じました。
 微:小学生だったけど、サイゴン陥落の中継映像覚えているわ。
 苦:翌年、ベトナム社会主義共和国が成立し、南ベトナムの首都だったサイゴン市がホーチミン市に改称されます。
 微:昔、岐阜県に行ったら「ベトコン・ラーメン」の看板があって、思わず入ったよ。元ゲリラ兵がやってるのかと思ったら「ベストコンディション・ラーメン」の略だっただけ。トホホ・・・
 苦:米軍兵士の首が飾られていたり、食い逃げしようとした客をバンブートラップに嵌め、後ろから喉を掻き切るようなスリリングな店を期待したんでしょうね。
 微:いや、スタローンが「フォンモノゥ」と言いながら持ってきてくれるかと期待した。
 苦:なお、「ベトコン」はジェム名付け親といわれています。南ベトナム国内のゲリラを指す蔑称です、"JAP"みたいなものです。
 微:だいたい弱い奴ほど、相手を侮辱するのだけはうまいんだよな。でもやっぱり負けたと。
 苦:ベトナムは中国にも負けたことがない、アメリカにはベトナム戦争で勝ってしまうなど、まさに世界最強の小国です。アフガニスタンにはかなわないでしょうが。
 微:この根性を日本も見習わなければならないよな。「日米同盟」しか言えるネタがない。
 苦:河野太郎のブロック攻撃があるから大丈夫ですよ。(チャンチャン)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?