世界史漫才再構築版19:教皇グレゴリウス7世とハインリヒ4世編
苦:今回は西欧世界に大きな影響力を及ぼしたローマ教皇です。
微:ああ、あの聖書のどこにも根拠がないのに偉そうにしている奴だな。
苦:まあ、日本の首都を明記した法律がなくても首都は東京なんでね。教皇はたくさんいるので、今回はグレゴリウス7世とライヴァルの皇帝ハインリヒ4世です。
微:わかりました。でも昔から気になっているのが「法王」「法皇」の表記だな。あれはいいのか?
苦:「法」は厳密には釈迦が悟った真理、仏教の核心となる真理で、「ダルマ」の漢訳仏教用語です。
微:「法王」「法皇」の語は不適切だと。釈迦とキリストを混同している、と。
苦:適切な対処を日本政府は行ってませんでしたが、現在のフランシスコ1世から「教皇」で統一する強い要請があり、一挙に統一されました。
微:強硬に教皇から抗議されたわけだな。
苦:まずグレゴリウス7世ですが、叙任権闘争で神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と争い、1077年にカノッサの屈辱で「屈服」させた教皇です。
微:せっかく名古屋市長がやらかしてくれたんだし、今ネタにしないとマータイさんに叱られる。
苦:まあ、それも中世世界の和解のための儀式だという説が強いです。実際のところ、叙任権闘争はドイツ内の聖職者の任命権を皇帝に認める1122年のヴォルムス協約で妥協しますが。
微:まあ、そうだろうな。河村が本気で謝罪しているわけがない。
苦:誰か真っ当なリコール署名して欲しいな。叙任権闘争は、西欧の慣行だった国王や貴族、つまり俗人が神の秘蹟につながる聖職者を任命するのを教会側が禁止しようとして始まりました。
微:キミのように無資格・無免許で仕事するようなもんだな。
苦:デマを流さないように!(怒) 世界を遍く覆うに至ったイエスの聖霊による秘蹟は聖職者しか行使できない。その秘蹟に与るからパンがイエスの肉体に、ワインがイエスの血となるわけです。
微:オレ、ずっとキリスト教はフィジーで生まれたと思ってたぜ。偉大な指導者の肉を食べることでその霊的力を得ようとするカンニバリズムだと。
苦:あくまで象徴的行為だよ! そしたら「迷える子羊たちよ」で始まる説教を聞いているのは、みんな羊なのかよ? モンティ・パイソンじゃないぞ。
微:アッシジのフランチェスコは鳥に説教したからな、つい。
苦:妙に詳しい知識を入れるな! 一般人的な誤解をふくらませてボケろ! 戻すと、俗人による聖職者任命は、実は前に扱ったカール大帝から本格化していました。
微:ビザンツでも、時々あったよな。
苦:王国の高官経験者がカールから司教に任命されるんですが、その教会はカールが自分の土地に自分の金で建てたものなんです。だから悔しいけど口の出しようがない。
微:IOCくらい厚かましくないと口出しできないわな。
苦:結局、ローマははカールの介入を受け入れました。これが私有教会制の始まりです。
微:まあ、国を私物化している中世だから、「あり」と言えばありだな。
苦:まあ、発端は彼の祖父カール=マルテルによる騎士制度創設なんです。十分の一税ができた時の取り引きですが。フランク王国は教会財産を巡ってローマ教会と結びついていました。
微:それを略したのが「カルマル同盟」だな。
苦:それも15世紀の北欧の連合王国だろ! ごく普通の高校生や大学生はわかんないよ。
微:勉強しろ、勉強!
苦:爆笑問題の太田かよ! 話を教会と国家の関係に戻します。その関係の曖昧さが強みでもありましたが、やがて際限のない世俗権力の介入と、聖職売買や聖職者の妻帯などの腐敗を招きます。
微:日本の上皇とか法皇って、そんなやつばっかりだろ、白河といい、後白河といい。
苦:まあ、官職売買で生活していましたから。それに敢然と立ち向かったのが11世紀の教会改革派の拠点だったクリュニー修道院出身の教皇グレゴリウス7世だったわけです。
微:その教皇グレゴリウス7世に漫然と立ち向かったのがハインリヒ4世だったと。
苦:叙任権闘争のクライマックスは1077年のカノッサの屈辱でした。
微:ハインリヒ4世の「ゴメンナサイ」単独ライブだな。
苦:雪が降る中、粗末な服を着て、道を踏み外したことを悔やむ子羊として、立ち続けたのです。
微:それって、20年ほど前、深夜番組で実況中継されていたよな、フジテレビ系列で。
苦:あれは中身はホイチョイプロが当時の日本をパロったものです。話を戻すと、それまで強気だった皇帝がその地位と権力を示す一切の装飾を外してひたすら赦しを乞うたのです。
微:話の中盤がロングボールで飛ばされているんで、フォローよろしく。
苦:はい。話を戻しますと、選挙王制を採っているドイツでは選挙で揉めていました。実力者を選ぶとオットー1世の再来です。まとめてやられかねません。
微:貴族・荘園領主としては対等で、質的な差はないもんな。
苦:そこで有力諸侯は敢えて弱小貴族を王に選んで好き勝手なことをする方を選びました。
微:海部俊樹の頃の自民党みたいな展開だな。
苦:そこで歴代ドイツ王はオットーの故事からローマに行って教皇から皇帝に戴冠されることでヨーロッパ全体の軍司令官たる皇帝として命令しようとしました。これをイタリア政策といいます。
微:ハインリヒ4世の場合、”ヘタリア政策”だな。
苦:ベタなこと言うんじゃないよ。また王家が教会を建立し、そこの司祭・司教を自分で任命し、行政の手足として活用する帝国教会政策も伝統的なドイツ諸侯への対抗策でした。
微:教会建設費用がムダになることが問題ではなかったと。
苦:ドイツ王権命懸けとも言える国王権力の根幹に聖職者叙任権問題は関わっていたのです。
微:自分の支持者を政府の官僚や役人に任命するアメリカのスポイルズ・システムみたいだな。
苦:アメリカは報復を正義と理解するなど、中世的な要素が多分にあります。
微:陪審員裁判も、半分は魔女裁判、半分は異分子追放だもんな。
苦:全部ダメじゃねえか!! グレゴリウス7世は書簡を送ってハインリヒ4世がたびたび約定を違えることを批判し、教会による懲罰だけでなく、王位の剥奪まで示唆して警告しました。
微:それこそ絵に描いた越権行為、叙任権問題だろ!
苦:「ほんそれ」です。教皇による王位の剥奪の可能性という前例のない警告を受けたハインリヒ4世は激昂し、急遽ヴォルムスに教会会議を召集して対策を協議しました。
微:その時の委員長が山下だったんで非公開の上にグダグダだったそうです。
苦:会議は教皇廃位を決定し、ハインリヒ4世はこれを受けて、新教皇の選出を要請したのです。
微:反省できない高校生が「担任が悪いから替えろ!」と自分を棚上げして喚くようなもんだな。
苦:すぐにグレゴリウス7世はハインリヒ4世の破門を宣言し、臣下の服従の誓いを解きました。皇帝の破門は大方の予想を裏切って大きな影響を及ぼします。
微:「私の周りにいるのは弁えた人たちだ」とのハインリヒ4世発言が反感を買ったそうです。
苦:森元かよ!! ハインリヒ4世への服従を快く思っていなかったドイツの諸侯たちは教皇を支持することでハインリヒ4世に戦争をしかけてきたのです。
微:バッハはドイツの歴史から何も学んでないな。貴族の振るまいは学んだようだが。
苦:そしてハインリヒ4世にとってショックだったのは民衆にも教皇支持が強まったことでした。後知恵ですが、間もなく下からも十字軍運動が始まることを思えば自然なことです。
微:要するに、反省できない、調子こいたダメ高校生がクラスでも浮いてしまったと。
苦:ハインリヒ4世には「想定外」だったのでしょうが、あっという間に窮地に追い込まれました。教皇使節の呼びかけに応えて、諸侯たちは新しいドイツ王を選出すべく会合を開きました。
微:自民党でもそこまでしないよ。
苦:その会合ではハインリヒ4世に対して教皇への謝罪と服従の誓いを要求し、これが彼の破門から一年後の日までになされない場合には、王位は空位とみなすという決定がなされたのです。
微:「お主は空位だから自由にしろ」だな。
苦:「都市の空気は自由にする」だよ! またこの会合はグレゴリウス7世に仲裁役および権威の付与者として参加を要請しました。ハインリヒ4世には教皇との和解しか道は残されなかったのです。
微:私立高校なら「放校処分」、もう二度と高校には入れなくなるようなもんか。
苦:それ以上です。和解しなければ、王位どころか、敵対者の武力攻撃すら受けることになります。
微:英語なら"ex-communication"で「口をきくな」程度の響きだけどな。
苦:破門された人間には法的庇護がない上、キリストの敵です。キリストの敵を殲滅することは、神の意志に敵うことであるという攻撃的な考えは20年後に十字軍で現実化します。
微:笑福亭鶴光に破門された嘉門達夫みたいに落語界や芸能界なら、違う道があるのにな。
苦:まあ、自虐ネタにもなりますが。ハインリヒ4世は教皇に使者を送って和解を申し入れますが拒否されたため、自ら教皇と会うことを決めます。
微:「ドイツの金正恩」と呼ばれたそうです。
苦:喩えられてもうれしくないよ! ハインリヒ4世は武力による解決も辞さない姿勢でしたが、教皇の滞在するカノッサに赴いて直接謝罪を行うことにしたわけです。
微:この話を日本の首相が北朝鮮にFAXしたらしいな。しかし謝罪しても、本心は違うだろ?
苦:時間軸がまた狂ってるよ!! 2009年に出版された池上俊一さんの『儀礼と象徴の中世』によると、暴力が支配する中世において、「お約束」の和解のための儀礼が構築されていたそうです。
微:「指を詰める」も落とし前の儀式だからな、やはり暴力団的だな。
苦:訴訟社会アメリカとは違って、白黒をつけることよりも和解と共存が重視されていたそうです。まあ、禊ぎの儀式といいましょうか。
微:なるほどな。儀式さえできなかったのが「すぁーせん」のスノボ国母だったと。
苦:古い話を蒸し返してやるなよ! 今は2021年ですよ。で、話は思わぬ展開を見せます。
微:組織委員会は庇ったけど「高度な倫理観」はなかったことが発覚して炎上したんか?
苦:1080年にグレゴリウス7世は再びハインリヒ4世の破門と廃位を宣言しました。しかし思惑とは違って、前回の破門と違い、諸侯と民衆は教皇を支持しませんでした。
微:「イタリアのN国立花」と呼ばれたそうです。
苦:逆です。節操のない立花と違って、グレゴリウス7世は潔癖すぎ、攻撃的すぎたんです。
微:「ドイツの悪夢ような民主党」と呼ばれたそうです。
苦:それは為にするアベの非難だよ!! しかも教皇グレゴリウス7世が指名し、かつてはドイツ諸侯が支持した対立皇帝シュヴァーベン公ルドルフが同じ1080年10月に死にます。
微:ハシゴどころか、後ろ盾の森元まで失った橋本的な哀しさだな。
苦:1081年からハインリヒ4世と諸侯はローマを包囲し、教皇庁に圧力をかけます。
微:これと連動してコムネノス家のアレクシオスはコンスタンティノープルを包囲し、貴族の支持のもとにビザンツ皇帝に即位しました。
苦:全く関係ありません。たまたま年代が一致しただけです。しかし、後に噛み合ってしまうんです。ロベール=ギスカールがビザンツ帝国のバルカンに手を出すからです。
微:まあ、狭いローマなら包囲して食糧を食い尽くすだけで十分な圧力だな。
苦:教皇庁も屈服し、1084年の新教皇クレメンス3世が就任し、堅物というか意固地なグレゴリウス7世はローマから追放されました。
微:「ローマの足利義昭」と呼ばれたそうです。
苦:まあ、捨てる神あれば拾う神ありで、追放された教皇グレゴリウス7世を救出し、サレルノで保護したのがノルマンディー公ロベール=ギスカールです。
微:うわ、アンナ・コムネナの筆誅が下されそうなあいつだな。
苦:いや、『アレクシアス』では自分の誕生を演出するのに時間をねじ曲げて利用してますよ、彼女。
微:まあ、アンナからしたら憎い存在だろうな。
苦:しかし、世界史的に見た時、1066年のノルマン・コンクェストと合わせて、ノルマン人の西欧を一周する交易ルートが完成するんですよね、両シチリア王国出現で。
微:しかもビザンツ帝国は1071年のマンジケルトで大敗してアルメニアを失っただけでなく、アナトリアへのトルコ人の移動と定着を押しとどめられなくなる展開。
苦:はい、その意味で11世紀はある意味ユーラシア大陸規模の転換点でした。
微:そう考えると、叙任権闘争なんてどうでもよくなるな。
苦:また身も蓋もないことを。この変動に西ヨーロッパは十字軍運動で関与します。
微:だまし討ちした上に「逃げる派恥だが役に立つ」だな。
苦:十字軍の引き金になったのが、帝位簒奪に成功したアレクシオス1世が、アナトリア奪回のために出した西欧への救援を要請です。
微:西欧からすると、昔、恥をかかせた老婆たるビザンツが、女性として成熟した西欧というかローマに頭を下げる構図だな。
苦:下品な譬えですが、そうです。そこから1095年のクレルモン公会議、翌年の第1回十字軍遠征に行っちゃうんです。
微:クレルモン公会議の時は教皇はウルバヌス2世だろ。グレゴリウス7世は?
苦:そのまま逃亡先のサレルノで1085年に死ぬんです。まあ、アナーニで捕まって牢獄で死ぬよりはいいんでしょうが。
微:そう言えば、クリュニー修道院も今は解体されて礎石しか残ってないもんな。
苦:別に存在そのものを抹消した訳ではないですけどね、ソ連の亡命者の扱いみたいに。
微:まあ、強硬な教皇は周囲に恐慌をもたらし、自分に対する凶行を招くということだな。
苦:偉そうに、重ねた誤変換を逆手に取ったオチを付けるんじゃねよ!(ペシッ!)
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