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世界史漫才再構築版14:宋王朝と王安石編

 苦:宋王朝と来ればこの人、北宋時代の政治家王安石(1021~86年)です。
 微:”ビッグ・ワン”こと王貞治じゃないのか。
 苦:現在の江西省撫州市出身で、「文人」らしく詩人・文章家でもありました。
 微:レンタルビデオの会員になる時、職業「詩人」と書いて無職をごまかしたキミとは大違いだな。
 苦:ほぼ同義だからいいんです。1067年に、皇帝神宗の側近集団である翰林学士に抜擢され、それから「新法」と総称される政治改革に乗り出します。
 微:これ、紛らわしいんだよな。法律ではなく「やり方」というか「措置」だし。ほんでまたこの「党」がくせ者なんだよな。政党でも党派でもない、ただの人間集団。
 苦:「無意味に集まる」の「徒党を組む」の「党」ですからね。○○派の方がわかりやすい。
 微:もう一つぼやくと、明だけ東林党が「東林派」って表記が変わってるんだよ! 統一しろ!
 苦:さて、教科書の記述に話が及んだので、そちらに持っていくと、王安石は異彩を放ってます。改革の内容に及ぶのは秦の商鞅、明の張居正くらいでしょ。
 微:「異臭を放った」なら特殊清掃業者に頼まなければならないけどな。
 苦:さっき二人挙げましたが、どちらの改革で、個々の農民や商人の生活には及んでいません。別の言い方をすれば、個々の小家族内部や営業には立ち入らないのが伝統中国の姿勢なんです。
 微:今の日本でも税務署が絶対に近づかない企業や個人があるけどな。
 苦:隋帝国のところで科挙の話をし、地方の声も人材も中央に届かなくなった、つまり国家と社会が分離した上に、両者をつなぐ官僚すら社会から離れてしまったことを説明しました。
 微:日本は官僚も大臣も浮き世離れしているというか、普通の人々のことは考えてないぞ。
 苦:だから主観的には中国を嫌いながら「中国化する日本」というテーゼを与那覇さんが出したんですね。既に渡辺信一郎先生が1990年代から「官僚と社会の分離」を指摘していましたが。
 微:もう一つよくわからん。
 苦:中央集権的で専制的なイメージのある中華帝国ですが、正規の官僚の定員は少なく、給与も安いんです。「民の負担を減らす=皇帝の徳」という儒教的価値観から。
 微:なのに、士大夫は必死でデキる子弟を科挙に挑戦させたんだろ?
 苦:まず受験科目が五経に冠する知識と教養、美しく気品に満ちた文章を書けることが求められました。今の日本のキャリア組が法令や判例という実務を勉強するのと正反対です。
 微:確かに変だな。
 苦:地域の実情に応じた行政を担ったのは定員外の無給の下級官吏、いわゆる胥吏です。彼らが難儀なことも含めて処理し、あるいは訴えを諦めさせていました。
 微:無給で処理する胥吏、無休で働かせられる無給の胥吏って悲しいな。
 苦:しかも、地方役人に頼み事があったり、その力を借りる必要があるのは資産家で、貧しい人々にとって役人とは「税を取り立てる人」でしかありません。
 微:確かに、役人とか役所とは極力関係を持とうとはしないわな、今の日本でも。
 苦:それを担当する胥吏は自分の生活費を上乗せして請求してました。普通の人は正規の税額というか税の総数を知りませんでした。知ってても雇ったゴロツキにボコられてお終いです。
 微:今の日本は逆だな。正規の契約分の給与をもらえていない中抜き大国。
 苦:個人的利益を上乗せしていることは中央も知ってましたが、事情に通じた胥吏の力と行政実務能力なしには任期を全うできません。口出しなんかできないんです。
 微:士官学校出のエリートと叩き上げ軍曹の関係みたいなもんか。
 苦:官僚は宮廷の文化的求心力を高めるのが仕事でした。儒学が労働を軽視していたのも影響しています。ですが、官僚を実務から解放したからこそ、宋代の文化水準は飛躍的に向上しました。
 微:平安中期以降の貴族が実務を離れて浮気と年中行事に命を賭けたようなもんだな。
 苦:それでも摂関家は日記に朝議の進め方や着用する衣服や持ち物などを記録し、子孫が摂関になれるよう努力してました。『御堂関白記』はその典型です。
 微:摂関政治期の日本は公文書さえ私文書で自宅保管か。それで家格が固定されるわけだ。
 苦:でも宋代には「唐宋八大家」という文章家というか優秀な官僚を顕彰し手本としてました。
 微:いわゆる古文の復興だな。真意は官僚の議論のレベルアップだけど分かってない先生多い。
 苦:ただし、それでも美文の存在を朝議のレベルの高さと理解した上での話です。
 微:美文で相手を攻撃するから、「答弁は差し控える」なんて言おうものなら解任だな。
 苦:科挙官僚の説明終わったんで、王安石本人に話を戻します。彼の生家は家族が多くて生活は苦しかったのですが、儒学教養を積み、1042年の科挙で22歳で第4位で進士となりました。
 微:何人ものキモヲタが一人でCDを1000枚買って投票したそうです。
 苦:AKBの総選挙じゃねえよ!! 実力と見識です。王安石ほどの人物であれば、中央政界に進むと誰もが思ったのですが、実際には地方官を歴任しました。
 微:税務署長から始まったんだな。
 苦:それは昭和の大蔵省キャリア官僚だよ!! 多い家族を養うため、とりあえず本給以外に賄賂・手数料・役得などの実入りが良い地方官のほうを選んだのです。
 微:ケケ中にそそのかされたそうです。
 苦:それなら丸投げ&中抜きで実務経験はつきません。まあ、受験費用を回収し、生活費を確保しながらも、地方官時代に行政実務を積むとともに、優秀な胥吏の存在に気づきます。
 微:面白くないけど丁寧な宮澤先生の宋代財政の研究を見ると「???」財政だよな。
 苦:単位が違うものが一括りで合計される財政項目ね。特に現実の商品経済・貨幣経済と国家財政の建前の大きなズレを実感したことが、彼の改革に影響したわけです。
 微:それでまずキャッスレス決済を提案したんですが却下されました。
 苦:まだ税の大半は現物だよ!! それに農民に宋銭を得させることが先です。1058年、地方官王安石が皇帝神宗に提出した政治改革を訴える上奏文は文章・改革内容とも大きな注目を集めました。
 微:由利公正が原案を作ったそうです。
 苦:五箇条の誓文かよ!! 司馬光らも王安石を賞賛するくらい文章が素晴らしかった。説明した通り、神宗から翰林学士に抜擢され、1069年には副宰相となって政治改革にあたりました。
 微:副総理って、金丸とか麻生とか腐敗臭がすごいんだけど。
 苦:王安石は若手の官僚を集めて制置三司条例司と言う組織を作り、翌年には主席宰相となり、本格的に改革を始めます。
 微:なんか「仕分けチーム」「内閣官房」「専門家分科会」臭が漂ってきたな。
 苦:改革、つまり新法の背景ですが、五代から宋にかけて商業活動が活発化し、平和の回復に伴って地方からの上供=税の移送も安定するようになっていました。都も交通至便な開封でしたし。
 微:実は、上納金の額で地方官が評価されるという人事評価を導入した成果でした。
 苦:ソ連時代のコルホーズ責任者かよ!! しかも商業活動から得られる商税・塩・酒の専売などの収入を背景に宋王朝は非常に強い経済力・財政力を誇っていました。
 微:高度成長期みたいだな。法人税の伸び、専売収入で年度末に大蔵省が余った歳入の使い道に困った時代。「税収がこんだけ余っちゃったら所得税率下げろと言われるよ。何に使う?」状態。
 苦:しかし1044年の西夏の形式的臣従と引き替えの歳幣支払い=慶暦の和約、その前の遼との澶淵の盟で定められた歳幣増額によって財政が悪化しました。
 微:思いやり予算で味をしめた在日米軍かよ!
 苦:これらに対応して国境防衛兵力を建国時の40万人弱から120万人超に引き上げ、その結果、軍の維持費5000万貫が1億2000万貫ほどに増加しました。
 微:兵士数が3倍になっているのに支出は2倍強だから、ケチっているな。
 苦:以上のような次第で北宋の財政が悪化し、英宗時代に赤字に転落したのです。行政改革と言うと維新の会みたいですが、宋は官僚の人員整理が大きな課題でした。
 微:合併して合理化なんていう日本企業の解雇の美的表現も使えないしな。
 苦:3年に1回の科挙で数百人が官に、つまり実務のない教養官僚となりました。しかもがやるべき仕事がないので重複する不必要な役職、すなわち冗官が増えていたのです。
 微:日本の国家Ⅰ種みたいに、「合格イコール採用ではない」にしとけば良かったのに。
 苦:それをすると地域指導者たる士大夫が小作農を使って反乱を起こすからでしょう。なお3代真宗の代に「天下の冗吏十九万五千を減ぜん」との記録があります。
 微:おお、やればできるじゃん。
 苦:よく見てください。「吏」は胥吏、つまり国家が採用した役人ではなく、手数料や賄賂によって生計を立てる定員外の実務役人のことですから、全く意味はありませんでした。
 微:原発処理の作業員を減らすと事故は収束しないどころか悪化するのにな。しかも日本は末端が上乗せするんじゃなくてピンハネされる側。東電というかパソナシステム。
 苦:戻しますね。そうなった背景も唐に遡りますが、安史の乱で律令と現実社会との乖離が誰の目にも明かになり、その間を使職と呼ばれる令外官を置いていくことで埋められていきました。
 微:日本でも9世紀の平安遷都すぐに格式の編纂による現実対応と、関白・征夷大将軍・蔵人所・検非違使という「令外官」による現実に見合った行政が進められたことに一致すると。
 苦:皇帝が君子であることも求められる中国では、官の面子もあり、人員削減は進みません。また唐代の制度改革も計画性がなく、節度使の乱立に象徴されるように、場当たり的でした。
 微:節度使削減だけでも太祖の功績じゃないの? 日本は地方領主の武装化から武家政権に行く。
 苦:宋帝国は唐風の三省六部体制が形だけ残り、実際に政治を動かすのは使職という二重体制が続きました。このような体制はわかりにくい上に非効率で、同じような役職が併存していました。
 微:日本の危機管理や原子力行政と一緒だな。似たようなものが複数あって仕事と責任押しつけが本業状態。ちなみに自称「原子力研究機関」は財団だけで10以上あるんだぞ、日本には。
 苦:しかも台頭してきた大地主・大商人たちは農地を買い占めました。当時は現金納税が基本だったんですが、収穫期は穀物供給が需要を上回るのを悪用されて安値で買い叩いていたのです。
 微:今の日本のワープア・サービス産業従事者状態だな。
 苦:科挙官僚を供給した士大夫層は、多くがこの大地主・大商人層の出身でしたから、この格差問題解消という鬼門の問題解決に着手した王安石はほとんどの官僚を敵に回すことになるのです。
 微:そろそろ新法の話にしないと延長戦に入るぞ。
 苦:はい。青苗法は1069年施行されました。飢饉や貧民救済用穀物を蓄えておく常平倉・広恵倉の運用がまずく、備蓄穀物が無駄に腐らせていたので、これを農民への低利貸付に回した制度です。
 微:農水省みたいに、でかい冷蔵倉庫を作って輸入米を保管し、そこに天下ることはできないわな。
 苦:募役法は免役法とも呼ばれます。形勢戸たちは州郡の倉庫管理・租税運搬・官の送迎などの様々な雑用・負担を課せられ、その上、事故が起きたら全てを補償せねばなりませんでした。
 微:うまい富の再分配制度じゃないのか?
 苦:しかし、本業の妨げになり、これが原因で破産してしまう形勢戸も少なくありませんでした。
 微:金の卵を産むニワトリを殺すようなものだと。
 苦:そこで職役の代わりに、免役銭を納付させ、それを使って仕事のない人に職役を行わせました。また職役免除対象の官戸、坊郭戸(都市戸籍者)からも助役銭と称して免役銭の半分を徴収しました。
 微:江戸時代の江戸、大坂、京都、奈良の商人たちと同じですな。日本は被差別民を悪用したけど。
 苦:均輸法も1069年に施行され、大商人が請け負っていた物資の運輸を発運使という国家機関を通して政府の統制の下に置きました。
 微:「官から民へ」ではなく「民から官へ」戻すと。フリードマンが激怒しそうだな。
 苦:中央への上供品の転売で財源も確保し、物価の調整を行うという一石二鳥の改革です。
 微:1980年代、日本は逆に国鉄を分割・民営化し、事故を多発させた上に責任逃れしてることを思うと、こういう輸送、教育、医療、水道といったインフラは民営化したら、ダメだな。
 苦:1072年施行の市易法は2つの面を持っています。一つは物価調整機能で、政府に納入する商品価格の査定を政府が定めた行に加盟した商人に任せ、大商人による勝手な値上げを抑制しました。
 微:公正取引委員会を民間にやらせたと。
 苦:もう一つが教科書にも出てくる、政府が中小商人や都市住民に対しての低利貸付です。
 微:銀行がリボ払いで借りてくれるアホがいなくなったようなもんだな。
 苦:始めた当初は担当役人の運用がヘタすぎて混乱したものの、軌道に乗ると、資金が下流層にもまわり景気拡大に大きく貢献しました。
 微:アベノミクスによる株高の恩恵が外資と上級国民間だけに還元されるのとは大違いだな。
 苦:そして神宗後半期は莫大な市易銭運用利益を利用して、下 級役人・胥吏への給料増額や保甲法=共同体再生の費用に充てることができるまでになったのです。
 微:現代だったら、グラミン銀行みたいにノーベル平和賞受賞できるな。皮肉な平和賞しかもらえない今の中国政府と違って、誇らしく。でも司馬光との対立はいつ始まるんだ?
 苦:新法党と旧法党の対立の真の原因は科挙改革でした。1070年から詩文の試験を大幅縮小し、経書の内容理解とそれの現実政治への実践化を論文に纏める進士科一本に科挙を絞ったのです。
 微:グローバル人材ではないが「主体的・対話的で深い学び」だな。
 苦:ややこしい喩えですが、その線です。以後、進士が科挙合格者と同義になります。経書については『論語』・『孟子』が必須で、それ以外の五経はどれか1つの選択とし、しかも王安石親子が注釈を施した『周礼』・『詩経』・『書経』の『三経新義』を科挙受験者の必読の書としたのです。
 微:大阪府の教員採用試験が維新の教育政策文書を知らないと1次試験通らないようなもんか。
 苦:本当の狙いは、胥吏・実務役人に科挙官僚への道を開き、従来の科挙官僚を供給してきた形勢戸や大商人を閉め出すことでした。まあ既得権益に胡座をかく抵抗勢力に打撃を与えたんです。
 微:それで回りくどく「旧法党」と名乗り、華北の大地主の司馬光をボスにして抵抗したと。
 苦:王安石は福建省出身なので、長州閥と東北出身の陸大卒者の抗争的な面もあります。
 微:そりゃ、熾烈な足の引っ張り合いになるわ。

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