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世界史漫才再構築版15:チンギス=ハン編

 苦:今回は「蒼き狼」と誤解されているチンギス=ハンです。
 微:「モンゴル風」天津飯だな。
 苦:草原世界は"粉もん"だよ!! 饅頭でも水餃子でも。
 微:じゃ、まんま羊肉の焼き肉ジンギスカン?
 苦:まあマンガでも石川サブロウの『蒼き炎』と「炎の漫画家」島本和彦の『アオイホノオ』という耳で聞いたら区別のつかないものもあるけどな。
 微:島本は2019年からTSUTAYAを運営するアカシヤの社長だからな。漫画家時代のことには触れてやるなよ。漫画家としては今ひとつだったんだから。
 苦:いじりすぎだよ!! 岡田英弘先生に言わすと世界史の起点となったモンゴル帝国の開祖です。
 微:杉山先生的には、現在も終わらない長い「ポスト・モンゴル帝国の時代」だろうけど。
 苦:まず誤解を解きますね。「蒼き狼」をチンギス=ハンのことと勘違いする人が多いんですが、彼の属するボルジギン氏の祖ボドンチャルの12代前ボルテ・チノのことです。
 微:さすがモンゴル高原は広大で空遠いな。
 苦:感心するのはそこじゃねえだろ!! 正しくは灰色で斑模様の狼です。「白き牝鹿」も妻のコアイ・マラルのことです。映画路線で行くと『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』みたいなもんです。
 微:いやあ、朝青龍以来、モンゴルからきた力士の名に青とか白とかつけるのは日本相撲協会が相撲による世界征服を目指しているためだとずっと思っていたよ。
 苦:あまり馬鹿にすると日馬富士にリモコンで殴られるぞ。
 微:古いし、みんな忘れているぞ。まあ、その時は鶴竜得意の休場で窮状を脱しますから。
 苦:引退した給料泥棒をいじるなよ。まず「モンゴル」の語ですが、これは地理的概念ではなく、本来はチーム名です。遊牧民の部族は拡大する時に異族を吸収して大きな勢力となります。
 微:安物洋菓子メーカーがナボナの亀屋万年堂を子会社化したようなもんだな。
 苦:シャトレーゼも余計です。チンギス=ハンは一代で大小さまざまな集団に分かれて、抗争してきたモンゴル高原の遊牧民諸部族を1206年に統一しました。
 微:イオンが日本中の商店街を破壊していくようなもんだな。
 苦:「イオン公国」とも言われてますが。そのチンギスが率いた集団の名がモンゴルで、モンゴルが支配した高原が後からモンゴル高原と呼ばれ、地理概念、民族概念になっていったんです。
 微:山名軍の陣地があったから西陣という地名ができたのと同じだな。
 苦:そうです。日本の場合、鎌倉武士団は本貫地を一族名にしました。三浦半島の三浦氏とか。そっちと逆なので、日本史の人には最初わかりづらいかもしれません。
 微:それよりも「モンゴルもどき」「モンゴル仲間」の「モンゴロイド」の方が問題だと思うが。
 苦:まあ西欧の学者に勝手に付けられたんで、諦めましょう。
 微:まあセルロイドよりマシか。
 苦:チンギス=ハンはモンゴルを統一しただけでなく、中国北部、中央アジアを次々に征服してモンゴル帝国を築き上げます。そして彼の孫の時代に空前絶後のユーラシア国家が出現しました。
 微:遊牧世界のCEOと呼ばれたそうです。いかがわしさ込みで。
 苦:まあ、東西交易のプラットフォームを築いたという点ではそうかもしれん。話を戻すと、チンギス=ハンの生年は主なもので1155年・62年・67年と諸説が分かれています。
 微:どこでどんな嘘をついたか、自分でわからなくなったんだな。
 苦:昭和のアイドル歌手と違うよ!! 父イェスゲイが早くに死に、テムジンと呼ばれていた少年時代はモンゴル部内のタイチウト氏に抑留されました。
 微:「モンゴルの徳川家康」と呼ばれたそうです。
 苦:時代がずれてます。成人して自分の部族長になりますが、モンゴルのメルキト部族連合の王トクトア・ベキ率いる軍勢に幕営を襲われ、妻を略奪されるなど、辛酸をなめつづけました。
 微:辛酸なめ子と結婚してたのか、そりゃ苦労するわな。
 苦:なめ子さんは2021年現在も独身です。メルキトの襲撃後、ジャムカの助けを得て勢力を盛り返したテムジンは、次第に一目置かれる有力者となりました。その原動力に鉄の増産があります。
 微:草原でどうやって鉄を増産できるんだ?
 苦:モンゴル高原は全部が草原ではなく、川もあり森林もありますから。白石先生の最新の説では鉄器量産と騎馬用鉄器の軽量化がその原動力と考えられてます。
 微:それを参考にしてセブンイレブンは食品やドリンク類の軽量化に邁進しているのか。
 苦:それは卑怯な商売で、テムジンは殺戮はしてもそんなせこいことはしません。
 微:褒めているのか貶しているのか、どっちなんだよ?
 苦:さあ。かつて父に仕えていた戦士たち、ジャムカに身を寄せていた遊牧民が、次々にテムジンの元に集まってきました。騎馬軍団を誇った甲斐の武田氏の最期とはえらい違いです。
 微:私のマンションの前にも、私の人徳を慕ってたくさんのホームレスが集まっています。
 苦:それは単に空き缶を集めに来ているだけだろ! テムジンはこうした人々を僚友や隷民に加え勢力を拡大しましたが、それとともにジャムカとの関係は冷え込み、二人は完全に仲違いします。
 微:嫉妬だな、叶姉妹の姉が「もうアナタとはやってられわせんわ」と最終通報するようなもんだ。
 苦:それは傷口の化膿ということで。ジャムカとテムジンは、1195年にバルジュトの平原で会戦し、実はテムジン側は負けます。
 微:ジャムカはラピュタの雷を使ったそうです。
 苦:ムスカはやられる方だよ!! 負けたんですが、ジャムカは捕虜を釜茹でにし、その残酷さによって逆に人望を失い、敗れたテムジンのもとに投ずる部族が増えました。
 微:織田信長みたいなもんだな。勝つほど敵が増えていくという。
 苦:この頃、ケレイト部の内紛で王トグリルとその弟がテムジンのもとに亡命してきます。テムジンの協力で復位し、オン・ハンと称したトグリルは、テムジンに「百人長」の称号を与えます。
 微:大河ドラマの信長と明智光秀みたいだな。正式に君臣関係を結んでない。
 苦:テムジンは、オン・ハン率いるケレイトとともに1196年~1202年にかけてモンゴル部内の宿敵タイチウト氏・ジャジラト氏同盟を破り、高原中央部の覇権を確立しました。
 微:まさに『信長の野望』みたいな展開だな。どっちもKOEIが出しているし。
 苦:ですがオン・ハンの長男とテムジンの仲違いから、1203年にオン・ハンは突如テムジンを襲います。逃れたテムジンは態勢を立て直し、秋に高原に戻ってオン・ハンに大勝しました。
 微:このあたりは足利尊氏・直義兄弟みたいだな。
 苦:モンゴル高原最強のケレイト部は壊滅し、ついに高原はテムジンの手に落ちました。
 微:『ジョジョ』のジョルノ・ジョヴァーナ的な感じだな。大物が全部消えて、「ごっつぁん」的。
 苦:1205年、テムジンがナイマン部とメルキトを破ると、南のオングトも服属し、高原の全遊牧民はモンゴル部に服属しました。
 微:昔、運動部の顧問したくなかったんで希望に「オイラト部」って書いたことあったな。
 苦:意味が違いすぎます。1206年2月、テムジンはオノン川上流の河源地において最高会議クリルタイを開き、諸部族全体の統治者たる大ハーンに推戴され、モンゴル帝国を開いたのです。
 微:会議というより宴会のついでに話し合いをした感じだろ?
 苦:そうなんですが、相手を満腹させられる財力も権力なんです。チンギス=ハンの称号はこの時にココチュ・テプテングリというシャーマンがテムジンに奉った尊称です。
 微:オレもあやうく王将での宴会でテンシン=ハンの称号を授けられるところだったよ。
 苦:そりゃ注文だよ!! 1155年誕生説に従うと、この時チンギスは51才。遊牧民の老化は農耕民より格段に早いので、現代人に置き換えると80才近い老人に相当します。
 微:ハンというよりも古老だな。
 苦:こう考えると、テムジン1167年誕生説の方が真実に近い気がします。
 微:1155年誕生説なら丹波哲朗みたいなもんだな。死んでからの方が元気で。
 苦:総裁に確認を頼んだのかよ!! チンギス=ハンは、まず腹心の僚友、服属した諸部族の指導者を貴族(ノヤン)に編成しました。
 微:誰をノヤンにするか、かなりなやんだそうです。
 苦:笑点以下のダジャレですか、ここで!! 最上級のノヤン88人は千戸長という官職に任命され、その配下の遊牧民は95の千人隊と呼ばれる集団に編成されました。
 微:一針ずつ縫った布を交換し合ったそうです。
 苦:死ぬだけだよ!! 千戸は兵士動員の単位で、兵士は遠征に家族と馬とを伴なって移動したので、一人の兵士に対して3、4頭の馬がいました。でないと家族も移動できません。
 微:なんか、丹波平定後の明智光秀の山陰遠征をユーラシア規模でやったというか。
 苦:東西に長く、草原はパンノニア平原まであります。モンゴル兵士は常に消耗していない馬を利用し、奪った草原にそのまま居座るので、遠征が帝国拡大と同時進行できたわけです。
 微:うーん、乗り捨てた馬はどうなったんだろうか? そのセカンドキャリアが気になる。
 苦:兵士の家族の元にに戻りますから大丈夫です。モンゴル高原の中央にはチンギス=ハン直営の領民集団が遊牧し、その左右両翼にはそれぞれ10の千戸が配備されました。
 微:さしずめ親衛隊だな。
 苦:さらに左右両翼の外側に、東部の大興安嶺方面に3人の弟を、西部のアルタイ山脈方面に息子ジョチ、チャガタイ、オゴタイそれぞれの遊牧領民集団(ウルス)と広大な牧地を分封しました。
 微:兄弟を対中国戦争で消耗させ、息子たちに東西交易路と遊牧地を任せた感じだな。
 苦:そんなところですかね。このモンゴル帝国の左右対称の軍政一致構造が恒常的な征服戦争可能にしました。
 微:オランダ・サッカーの、左右にウィングを配置する3トップ方式の原点だな。
 苦:チンギス=ハンの征服事業がうまくいった理由ですが、121年からの対金戦争で降伏した中国将兵から攻城戦を学習したことです。有能な人間は出身に関係なく処遇します。
 微:アメリカ的だな、イタダキすると。賢いというか、ハイブリッド集団というか。
 苦:こうしてモンゴル軍は遊牧国家でありながら、戦史上で最も成功した都市征服者となるのです。
 微:学びて時に習う、だな。中国を攻めているのに。
 苦:1218年、ホラズム・シャー朝に派遣した通商使節がオトラルの統治者に虐殺されました。報復としてチンギス=ハンは1219年に20万の軍隊を率いて中央アジア遠征を行います。
 微:日本が海を隔てた島国だったのは本当に幸運だな。
 苦:金遠征と同様に三手に分かれたモンゴル軍は中央アジアを席捲、中心都市サマルカンド、ブハラなどを征服します。
 微:利に聡いソグド人はちゃっかり協力したんだろうな。
 苦:当然です。モンゴル軍に抵抗した都市は見せしめに徹底破壊されました。ホラズムはなすすべなく瓦解し、1220年にはほぼ滅亡しました。これが後々効果を発揮します。
 苦:チンギス=ハンはホラズム王をインダス川流域まで追い詰めますが、インドの気候に負けます。
 微:フビライもここできちんと学習していれば東南アジア遠征という無駄もなかったのにな。
 苦:西征から帰ったチンギス=ハンは領地を分割し、ジョチに南西シベリアから南ロシアの地まで将来征服しうる全ての土地が与えました。キプチャク=ハン国をジョチ=ウルスと呼ぶ理由です。
 微:イル=ハン国もフレグ=ウルスと呼ぶようになったな、杉山御大の力はすごい。
 苦:次男チャガタイにはカラ=キタイの故地を、三男オゴタイには西モンゴルおよびジュンガリアの支配権を与えました。次のハーンには温厚な三男のオゴタイと決めていたようです。
 微:1234年に金を滅ぼすし、それで最近、オゴタイ=ハン国が教科書から消えたんだな、納得。
 苦:末子トゥルイにはその時点では何も与えられませんでしたが、末子相続によりチンギス=ハンの死後に本拠地モンゴル高原が与えられる事になっていました。
 微:それでトゥルイ統とオゴタイ統で揉めるんだな。でもグユクほぼ即死だし。
 苦:1226年初め、モンゴル軍の遠征で西夏は事実上壊滅します。翌1227年、チンギス=ハンは自分が指揮する興慶攻略軍だけを残し、他部隊を金遠征に向かわせました。
 微:西夏がモンゴルを裏切ったからしかたない。相手を見て裏切らないと。
 苦:引けなかったんでしょう。ところがチンギス=ハンは陣中で危篤に陥り、そこで死去しました。
 微:お疲れ様ですな。マンガの『シュトヘル!!』は西夏文字を網羅した玉板が主題だったな。
 苦:モンゴル帝国出現後、チンギス=ハンとその弟たちの子孫は、「黄金の氏族(アルタン・ウルク)」と呼ばれ、ノヤン(貴族)たちに君臨する集団になりました。
 微:この一族の歴史が『いきなり! 黄金伝説!』になりました。その割にはせこいんですが。
 苦:それはもう終わったTV番組! モンゴル帝国では男系血統原理が貫かれ、チンギス=ハンの男系子孫しか大ハーンになれない原則=チンギス統原理が定着しました。
 苦:モンゴルやカザフでは20世紀の初頭まで貴族のほとんどがチンギス=ハンの男系子孫で、現在も大統領に選ばれるのもかなりの部分がチンギス裔です。
 微:オレ様路線はベラ=ルーシの大統領が継承しているよな。もちろんプーチンも。
 苦:レーニンの父もタタール系の貴族でしたから可能性濃厚です。
 微:革命の強引さを見てたら納得するな。
 苦:ロシアの非チンギス裔の貴族たちもキプチャク=ハン国で代々チンギス統の娘と通婚したので、多くの遊牧民は女系を通じてチンギス=ハンの血を引いてます。
 微:ロシア貴族の娘もヨーロッパ貴族と通婚してるからチンギス統は西欧まで及んでるな。
 苦:2004年にオクスフォード大学の遺伝学研究チームは、DNA解析の結果、チンギス・ハンが世界中でもっとも子孫を多く残した人物であるという結論を発表しています。
 微:ユーラシア世界の種馬としてのディープインパクトだな。
 苦:いえ、本当にモンゴル帝国の記憶は強く深くユーラシアに残ってます。

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