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世界史漫才再構築版57:ニコライ2世編(前編)

ごぶさたしております。デキン原人です。父の死去から4ヶ月が過ぎ、色々なことも片付きました。また、本を読み、twitterに投稿できるくらいに気力というか、好奇心というか、オチョクリ心が復活してきました。これもツッコミ所しかない大阪維新の会のおかげかもしれません。

以前ほど書けるかどうかわかりませんが、応援あるいはお勧めしてくださっている読者の期待に応える一歩として再開します。

 微苦:ども、ひさしぶりの微苦笑問題です。
 微:アッキーナみたいに「事務所総出で行くよ!!」と脅した罰として謹慎してたわけではないですからね。
 苦:いじるなよ。今回はロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世(位1894~1917年)です。
 微:まあ、1891年の大津事件、1895年の三国干渉、日露戦争と、何かと日本と縁のある皇帝だな。
 苦:最後の皇帝というよりも最後の「ツァーリ」「ハーン」というか。
 微:大丈夫。プーチンが「ツァーリ・ボンバー」撃って世界も終わるから。
 苦:終わりたくねえよ!! ニコライ2世は「宮廷内」で「謎の死を遂げたアレクサンドル3世」の第1皇子として生まれました。
 微:ああ、列車事故でも死なずに息子のニコライを助けた屈強な男だったんだろ。不思議だな(棒)。
 苦:ちょうどその時期の露仏同盟締結に関連した裏取引や駆け引きに絡んだものなんでしょうが。
 微:それよりも弾道ミサイルが「イスカンデル」で親父が「アレクサンドル」というアレクサンドロスの使い分けの根拠がわからないんだよ。
 苦:それは2022年の出来事でロマノフ朝とは関係ないよ!!
 微:案外、「タラコ」と「明太子」みたいなもんかな。
 苦:「筋子」と「イクラ」かよ!! 話を戻すと、祖父アレクサンドル2世の死も目撃しています。
 微:2つの事件への関与を疑われ、重要参考人として何度もKGBの尋問を受けたそうです。
 苦:尋問官がプーチンだった、ってはならないよ!! 縁戚関係では、ヴィクトリア女王との関係で従兄弟にはイギリス国王ジョージ5世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がいます。
 微:近づきたくなるような血縁関係ではないな、確実に。21世紀ならメーガンが食いついたかも。
 苦:まあ、「最後」という言葉がこれくらい似合う人もいないですね。皇子アレクセイがヴィクトリア女王からの遺伝で血友病になります。
 微:ミドリ十字(当時)が非加熱血液製剤を売り込んだことが日露戦争の原因だったそうです。
 苦:まだ存在してないよ!! その治療のために皇后が宮廷にラスプーチンを連れ込み、不倫疑惑が吹き出すわ、血の日曜日事件で農民たちを王朝の敵に回すわ、と突っ込みどころ満載です。
 微:奥さんが小林麻耶だったんだな。
 苦:海老蔵関係ないよ!! ニコライの皇太子時代の家庭教師のポベドノスツェフは、民主主義とは「下品な民衆の手に負えない独裁政治」と言ってはばからない人物でした。
 微:そいつはビザンツ帝国の生き残りか、スターリンじゃないのか?
 苦:確かに。「下品な民衆」を利用した「手に負えない」レーニンたちの「独裁政治」に家族ごと葬られたわけですから。
 微:たぶん、1891年の大津事件は予兆、オーメンだな。そっち行ってよ。
 苦:はい、ウラジヴォストークからのシベリア鉄道起工式参列の名目で、親善と視察を兼ねて1891年4月27日に軍艦アゾフ号でギリシャ王子ゲオルギオスと一緒に長崎に上陸しました。
 微:日露和親条約に従ったんだな。プチャーチンも喜んだだろうな。
 苦:関係ないです。日本政府は国を挙げてニコライを接待しました。
 微:長崎だから丸山の花街かな。
 苦:事件が起きたのは5月11日、琵琶湖遊覧から京都に戻る時でした。
 微:やるな。コンスタンティノープル開都記念日に合わせるとは両国への最大の敬意だな。
 苦:大津港で警備担当巡査だった津田三蔵が、ニコライは西郷隆盛を連れて帰ってきたと誤解し、人力車に乗ったニコライに突然サーベルを抜いて斬りかかったのです。
 微:「全集中で挑んだ」そうです。
 苦:遂に鬼滅ネタで来たか。津田は西南戦争に従軍しており、西郷が帰還すれば功績で授与された勲章を剥奪されるのではないかと危惧したようです。彼のサーベルはニコライの頬を裂きました。
 微:それ、真犯人は奥崎謙三と違うのか、『ゆきゆきて神軍』の?
 苦:惜しいけど違います。津田は負傷して逃げるニコライを追いかけて、なおも斬りつけます。
 微:用意したサラダ油に火がつかなくて、焦ったそうです。
 苦:電車じゃねえよ!! 王子ゲオルギオス、人力車夫の向畑治三郎、北賀市市太郎に倒され、警備中の巡査に取り押さえられました。ニコライは右側頭部に9cm近くの傷を負いましたが無事でした。
 微:既にラスプーチンの特殊能力を伝授されていたんだな。
 苦:ロシア公使シェービッチは、青木周蔵外相、西郷従道内相らに死刑を強硬に要求しました。
 微:ロシア国内の基準なら、少なくとも家族全員そうなるわな。
 苦:ですが、時の大審院長の児島惟謙は法治国家として法は遵守されなければならないとする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発しました。
 微:本当は「なぜ、とどめを刺さなかったんだよ、このヘボが!!」と思っていたんだろ。
 苦:政府は大逆罪を援用して死刑としたかったのですが、小島惟謙は無期徒刑判決を下します。
 微:しかし、無期徒刑も死ぬまで網走で本当に働かされそうだな。死刑の方が温情判決。
 苦:これを以て、罪刑法定主義が確立したとか、司法権の独立が確立されたと、脳天気な評価がよくなされますが、いきなり最高裁である大審院にかけたこと自体、大逆罪適用への布石です。
 微:まず検察No.2に黒川を抜擢すべきだったな。
 苦:あくまで司法権と行政権の妥協なのであって、司法権の独立と断言できるものではありません。そしてこの事件は海外でも大きく報じられました。
 微:一面の見出しは「新興国日本 決定力に欠ける!」「各国から落胆の声しきり」でした。
 苦:サッカー代表かよ!! 国際的に日本の司法権への信頼は高まり、結果的に日本が近代的な主権国家として認知され、当時進行中であった不平等条約改正へのはずみとなったのも事実です。
 微:1895年の李鴻章襲撃は「日本は野蛮国」評価につながったんだから、どれだけロシアが嫌われていたのか。で、矢面の青木外相は、どうなったんだ?
 苦:「自分は伊藤博文に言われて、死刑にする事を約束しただけ」とロシアに対して言い訳します。
 微:うん、青木らしいセコさだな、その言い訳。
 苦:それを知った伊藤の逆鱗に触れて政治家としての栄達を絶たれ、体よくイギリス公使として国外に放り出されました。
 微:まあ、国外追放というか、「八丈島遠島のお裁き」だな。
 苦:しかし皮肉なことに、その青木公使がイギリスを相手に領事裁判権撤廃交渉を成功させていくのです。まあ、陸奥宗光の指示を受けてですが。
 微:それでも権力中枢に復帰できなかったんだから、伊藤の執念もすごいな。
 苦:ところで、津田を取り押さえた向畑治三郎と北賀市市太郎の二人は、事件後にニコライから直接、勲章を授与され、当時の金額で2500円の報奨金と1000円の終身年金が与えられました。
 微:国民栄誉賞並みの「タックル」でラグビー日本代表にも選出されました。
 苦:まだ日本でやってねえよ!! 日本政府からも勲八等の勲位と白色桐葉章、年金36円が与えられるという僥倖に恵まれます。
 微:ロトで三億円当てたような展開だな、もちろん、色々なたかりで食いものにされること込みで。
 苦:それに近い人生ですね。前科者だった向畑は博打と買春に明け暮れ、事件を起こし刑務所に入れられます。まあ、終身の食事は保障されたわけです。
 微:なかなか気が利いているな。で、北賀市は?
 苦:市太郎は郷里の石川県で田畑を購入して地主となり、郡会議員にまでなりましたが、日露戦争が始まると「ロシアのスパイ」と非難され、家に放火されて全財産を失う羽目になります。
 微:和歌山のカレー事件の豪邸みたいな展開だな。めでたし、めでたし。
 苦:んなわけねえだろ! その後日本とロシアは表面的には友好関係が続きますが、それが終わったのが1895年4月の三国干渉です。
 微:18世紀末の北辺紛争の記憶もあるだろうし、やはりロシア=敵国と改めて思っただろな。
 苦:ニコライ2世はドイツ、フランスと「清国の秩序維持」を名目に、下関条約によって日本が得た遼東半島を賠償金3,000万両と引き替えに清に返還させます。
 微:これは朝鮮半島分捕りの布石だよな。
 苦:日本国民のロシア恐怖症は反ロシア感情に転換し、日本はやむなく勧告を受け入れたものの、「臥薪嘗胆」を合言葉として好戦的ナショナリズムが定着していきます。
 微:一体、当時の日本人の何人が漢字で書けたんでしょうね。
 苦:自分も書けねえだろが! さらにロシアは、1898年には旅順・大連を租借し、旅順にいたる鉄道敷設権も獲得します。
 微:これ以上ない当てつけだな。
 苦:さらに韓国皇帝高宗が日本を嫌ってロシア公使館に亡命します。さらに旅順艦隊(ロシア第一太平洋艦隊)を配置しました。
 微:まさにウラジヴォストーク、「東方神起」!
 苦:「東方征服」だよ!! 陸上でも1900年の義和団事件もロシア軍は鎮圧の主力となり、混乱収拾を名目に満州を軍事占領したまま居直ります。
 微:奉天は「満洲のマリウポリ」と呼ばれたそうです。
 苦:それも時間が逆だろ! 日本の反ロシア感情を利用し、1902年に日英同盟が成立します。
 微:バカを利用するにはおだてるのが一番だもんな。「ぼっち」の日本はさぞや喜んだだろうし。
 苦:第2次エジプト事件以来、イギリスは帝国維持のためにロシアの南下政策を阻止しつづけ、アフガンでは「グレートゲーム」を展開していました。
 微:よく、あんな何もない上に武闘派住民の多いところで争うよな。
 苦:そのイギリス陸軍の弱体化、特に労働者階級の身体的劣化が1899~1902年の南アフリカ戦争で明らかになり、「まあ、極東は日本を利用しよう」って展開です。
 微:植木等が「♪てなこと言われて その気になって」って歌ったのは日本のことだったんだな。
 苦:今の大学生でも知らないよ! 1904年2月、日本の先制攻撃から日露戦争が勃発します。
 微:ロシアがやったら全部「専制攻撃」だな。
 苦:ロシアは侮っていた日本に敗戦を重ねます。1905年1月、宗教者ガポンに率いられた民衆のデモ隊が嘆願書を携えてペテルブルクの冬宮殿前広場に近づきました。
 微:ニコライ2世は「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです!」と叫んだそうです。
 苦:それはアベだよ!! コサック兵はニコライ2世の命令で丸腰の10万もの群衆に発砲しました。2000人を越える死者、2000人に達すると言われる負傷者を出しました。
 微:被害者はみな映画『血の日曜日事件』の試射会、いや試写会に当選した人たちでした。
 苦:不謹慎だよ! これがロシアの専制支配を支えた「良きツァーリ信仰」が終わった瞬間でした。
 微:その後の「人がゴミのようだ」が決め手だったそうです。
 苦:ニコライ2世はしぶしぶ嫌っていたヴィッテを再登用して戦争の早期終結に当たらせます。
 微:「組織内の人事異動」で切られた原が巨人監督に復帰したようなもんだな。
 苦:日本側も苦しんでました。日本は「総力戦」を戦っていました。
 微:乃木希典が肉弾戦で兵士をボロ雑巾みたいに浪費したのが原因でした。
 苦:さっそく『ゴールデン・カムイ』に便乗ですか。まあ、あれも児玉源太郎の機転というか、軍法違反なしには解決しませんでしたしね、二〇三高地。
 微:命の値段の安い国同士が戦うと、あんな展開になるんだよ。その点、もっと命の安いインドやネパールから兵士を送ったイギリスが一番あくどいけど。
 苦:「総力戦」は兵士の命だけでなく、財政面でもそうでした。
 微:戦争国債が売れずに高橋是清も困っていたもんな。それを救ったのがドイツからアメリカに亡命したユダヤ系金融家ジェイコブ・シフだな。
 苦:はい、彼については後で取り上げますが、ロシアの弱点はユダヤ人問題だと日本政府も理解していたでしょう。上海や満洲のハルビン経済を支配していたのはロシア系ユダヤ人でしたし。
 微:田口卯吉の『日本開化小史』は関係ないと思うぞ。それより、講和に行こう。
 苦:6月8日、アメリカ合衆国のセオドア・ローズヴェルト大統領が日露両国に講和会議開催を呼びかけます。ちなみに彼と憲法起草者の金子堅太郎はハーヴァード大学で同級生でした。
 微:それで陸奥宗光は金子のことを評価していたんだな。
 苦:2日後に日本政府が、4日後にロシア政府がそれを受諾します。ニコライ2世は9月にはアメリカのポーツマスに全権代表ヴィッテを派遣してポーツマス条約を結びました。
 微:ポーツマスはイングランドにもアラスカにもあって、「どこなんだ?」と迷ったそうです。
 苦:そこまでバカではないと信じたいけど、大阪のタクシーで酔って深夜に「福島まで」と言ったら、翌日の昼に会津に着いたという伝説がありますから、可能性はありますね。
 微:それは都市伝説だよ!! 維新が改革を進めていると信じるバカが多いからあり得るけど。
 苦:留学先の正規のカリキュラムに沿った授業を受け、個人的信頼関係を築く。これがあるべき留学や外交の姿です。1年間だけの留学は、語学研修になればマシな方です。
 微:学歴からお遊び留学を削除した麻生や安倍とはえらい違いだな。
 苦:少し考えれば、個人的な信頼関係や憧れが、どれだけ現実の外交を動かしていくかは、ジョン万次郎見ても、ヨン様見てもわかります。
 微:それでLSEで1単位も修得できなかった小泉首相は、靖国に魂を持っていかれたと。
 苦:マンガ喫茶に籠もる方がまだ同情も集められるでしょうが、マンガ喫茶に寝泊まりしなければならないような非正規労働者を大量に生んだ張本人です。
 微:あれだな、日本の伝統を守るふりをすることで、日本の利益にならないことを「聖域無き構造改革」と表現するセンスはすごい。
 苦:しかも劣化コピーの維新の会誕生までアシストして。でも、ダメだ! ネタありすぎて終わらない。延長戦です、久々に。(つづく)

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