唯一の自慢。
自慢できること
胸を張って言えること
人よりも何か抜きん出てできること
そういうものを
考えさせられる機会が多いのは
転職活動をしなくてはいけない
身分だからかもしれない。
また、心身の調子が悪くなって
3度目か4度目の、
転職活動休止にしてしまったけれど。
その度に、
特技も何もないしなぁ、
頭良いわけでもないし、
手先はびっくりするほど不器用だし、
おしゃべりは好きで初対面の人とも
よく話せる方だけど、
いや、むしろそれは特性で、
喋りすぎてしまう、
思慮深さがないというだけか…
言語化が得意なわけではないし、
話し上手でもなければ、
言葉を紡ぐのに優れてるわけでも…
英語系で大学院まで出たけど
英語は中高生の時の方が
得意だった気がするし、
教員免許持ってるけど、
教育実習に失敗したし、
大学院卒で、
英語の先生の免許を持っていれば
当然
「英語ペラペラでしょ」
「英語すごいできるんでしょ」
と要求も、期待も高くなるのは
見えていて、
そんな相手の想像を壊すほどに
本当は英語ができないんだ、、
という事実に一層焦って
英語を見ても、
並ぶ単語と単語の配列が、
単語がゲシュタルト崩壊し、
ついに日本語の本を読んでいても
文字が読めなくなってからもう
2ヶ月近く経つ。
「何もできない」という気持ちが
大きく心を塞ぎ込ませていた。
人生における賞歴だって
高校時代の部活動の大会くらい。
それだって県大会の上位のなかの、
下の方。
そんなふうに遡ると、
本当に
自分自身のできること、
私にできることは、
何も浮かばない。
何にもできないんだ……
私何も持ってないや…
そう、思っていた。
そんな不安は、今の生活や転職活動
などにも現れていて、
いつぞやかに、友人に
「いつも、自信なさげで、
とてももったいないよ」
と言われた気がする。
そうは言ったって、
自信持てるものがない。
自信を持てるようになるために、
ちゃんと英語系の大学院卒、と
言えるようになるために
英語を勉強しよう。
(なんといったって、色々とあって
1週間もないくらいの時間で
書くことになってしまった修士論文は、提出後に読んでみたら
誤字脱字のオンパレードに、
文法崩壊、まるで何言ってるのか
わからない有様、といった感じ
だった。当時色々とあって、
寝なくてはいけないのに、
寝ずに書き続けても間に合わないかも、
となっている私に、
心優しい友人が英語チェックを
してくれてそれでも、
直してくれたところだけは
マシなのだ。そして、
提出後の修正期間に
直せるだけは直したけれど)
そう、それで英語の勉強をしよう。
英検1級取ろう、
TOEICだって
結局勉強して受けられたことがなくて
公式問題集すら持っていなかったから
大学院卒なのにいつも
TOEICの問題のやり方に慣れないまま
ただただ受けて
700点ちょっとしかない。
ちゃんとTOEICの問題に慣れるために
公式問題集買ってやろう。
英検も、きちんと勉強して
英単語を覚えるのが
とにかく昔から苦手で
英単語を覚えられないことが
1級のネックになってるから
ちゃんとやろう
そう決めていたのに、
英語が1文字も読めない。
単語だって全然覚えられない。
問題を解いてみようとしても、
頭に英語の文字が入らなくて
見えている英文が、
バラバラになっていく感じ。
本当に、
「ゲシュタルト崩壊」
していく。
教えることそのもの、は
英語、よりは少しだけ自信があった
塾で指導した生徒達は
全員成績アップさせたし、
志望校も合格した。
楽しかったし好きだったし、
何よりやっていて楽しい。
どんなに社畜しても、結局
塾講師という仕事を、
1年やって、辞めて
また戻ってきて1年やって、辞めて
また戻ってきて1年、
と3年もやったんだと思う。
家庭教師をしたのも楽しかった。
私は個別指導塾で
教えていたのだけれど
個別指導は楽しかった。
でもビデオ講師とか、教育実習は
本当に大変で、
目の前に生徒のいない状況も、
対大勢に、
自分が授業を、「つくって」
その通りに進めていくのも、
苦手だった。
もともと計画を立てる、
その通りに実行する、
予測をする
そういう部分が、特性として
著しく欠けているし、
ひとつのことに気が向くと、
それこそ生徒をおいて教室を出て走って
ものを取りに帰ってしまったり、
いろんな仕事を頼まれすぎると
一つのことでいっぱいで
手が回らなかったり、
塾の時は頼まれると、断らないから
どんどん任されて気づいたら
お金も出ないのに残業していたり、
もうとにかく不器用で、
頭の情報処理の容量も少なくて、
忘れっぽくて、予定を立てられない。
そういう、自分のできないことで、
これまでの二十数年の人生、
学校生活も、人間関係も、
勉強も、つまずいてきた。
それをなんとか、
死なずにやってきたのは、
心優しい友人や世話好きの友人、
助けてくれる先生方や親、
上司や先輩がいたから。
そしてもう一つ、
幼稚園生の時から、
みんなより理解するのが、
ワンテンポもツーテンポも遅かったから
成長するにつれ、
人より先にやりはじめる、
とか
隣の子の何倍も時間がかかるなら
寝ずに、遊ばずに、やる、
とか、
人より習得が遅いなら
何度でもやる、
とか、小学校に上がった時から
少しずつやっていたから。
例えば、
小学校の時から、
宿題が終わるまで遊びにいかなかった。
塾の宿題が
終わるまで寝ようとしなかった。
夏休みの宿題は、
なるべく7月〜8月頭とかには
終わるように、
とか色々工夫をしてきた。
もちろんはじめは、
親がそういう手伝いをしてくれたから
だけれども。
そうやって、
隣の友人に追いつくために、
周りの人と同じスタートになるために、
裏で時間をかけてなるべく
同じスピードで進めるよう生きてきた。
それでも、
年々、
成長スピードが加速する
友人達に、
ついていけなくなってゆく。
それが高校生、大学生、大学院生、
そして大学院を修了して、
どんどん、どんどん、苦しくなった。
転職活動をはじめたとき、
決めていた希望は、
病気があるから体力を使わない仕事、
特性的に事務仕事と
じっと座っているのは向かないから
それ以外で、
それが私の
夜遅い時間に勤務しない仕事
仕事を辞めてしまった最初、
まだ仕事を辞めて1年
経たないくらいで、
ある会社のリクルーターにいわれた。
「正直ね、
24歳で女性で、職歴なくて、
専門性があるのは教育で、
大学院卒の人にね、紹介できる仕事、
事務とかさ、営業補助とか、
清掃とかだけなんだよね」
そうなるとあなたの希望をどれか
曲げてもらわないと…
そのお言葉は正しい意見なのだろう
と思ったけれど、
曲げることはできなかった。
だって24年間自分の身体と、
特性と付き合ってきた私が、
直感的に、
それは私ができない内容の仕事だ、
パニックを起こす、
と思ったんだもの。
もしかしたらやってみたら
できるようになっていったかも、
しれないけれど、転職活動なんて、
だいたいのところは、
できない人を雇って、
一から育てますよ
という話じゃなくて、
営業補助ができる人員を、
会社の事務ができる人員を、
求めているんだもの。
あと、私に入ってくる仕事は、
塾か、介護ケア系だった。
きっと私のこれまでの経歴や
やってきたこととのつながりを考えると
そういうところの方が関心を
持ってくれるのだろう、
合点がいった。
でも、それは私の
「働きたい働き方」
(夜遅くの仕事はしない、
体力こそ重要な仕事はしない)
に反するから、
自分の健康を守るために
そこを曲げるわけにはいかなかった。
そんなふうにして、
何か、自分は
こんな仕事をしてるんです!
といえる正規職や定職もなく、
英語なら任せてください!
といえる英語力もないどころか、
勉強しようとすればするほど
英語ができなくなっていく闇にはまり
手に職、もなく、
体力は人の半分もなく、
情報処理能力が低いから
いろんなことをゆっくりやりたい、
正直、今の社会のスピードでは、
生きているのがどんどん
苦しくなっていく、
そうなってくると、
風の音、風のにおい、人の疲れの音、
緊張や疲労によるストレスのかおり、
そんなものを、街を歩いているだけで
吸収して、自分が意識を失う、
私は、身体以外も脆いんだ…。
そして、ついには、
どの仕事も雇われなくなった。
何かの能力に長けるものもない、
身体や健康は人よりない、
精神力も強くなければ
ストレスも感じやすい、
何より集中力がない。
英語力もない、
大学院卒、
専修免許の教員免許、
というだけで、
頭がいい、能力が高いことを
求められるというのは
わかっているのに、
その免許や名前に見合うだけの何かを
届けることができない。
考えれば考えるほど、
何一つ、長けているもの、
は見えない。
最近、また転職活動を、急遽
再開しなければならない事態になって、
悠長に、
「仕事探さなきゃ」なんて言っては
いられなくなった。
そう考えたら、
日本語の文献ですら
文字が、
literally(文字通り)
バラバラに、
崩壊した。
不安が募りすぎて友人に連絡をした。
「英検や英語力に固執しなくて
いいんじゃないかな、
塾講師とか教える仕事って
他の能力も必要で、
自分の英語力がそこまで高くなくても
生徒の必要とする英語力を高められる
講師はいて、
しかも、塾講師、教職課程、
家庭教師、英語教育の研究とか、
そういうことをずっと
やってきた君だからこそ
持ってる能力ってあるし。」
そう言われた。
その時、ふと、
まだ大学4年生だった時
就活の最中で友人たちに聞いた、
「私ってどんな人?」
への回答がよぎった。
友人たちには申し訳ないが、これは
私がもらった言葉だから、
勝手に全部記載する。
Aさん
「何事にも一生懸命。
ちょっと空回りするけど
明るく真面目に物事に取り組むかな。
あと、人当たりがよく初対面でも
物怖じしない。
物事に熱中しすぎて
周りが見えなくなる。自分のことを
後回ししがち。」
Bさん
「明るく楽天的に見えるけど
しっかり考えていて、気配りができる」
言い忘れていたが、
私は、とてつもなく明るくポジティブ、という人間だったのだ。
大学生になるまでは。
3人目なんか、ものすごい長文できた。
Cさん
「友達が多い。
自分の意見を持っている。
こうすると決めたら
誰にも止められない。
から他人の話を聞かない。
第三者的視点が足りない。
うるさい、浮き沈み激しい。
沈むとほんとに近寄れない。
でも上がるとすごく楽しそう。
心配性。
こっちが心配になるくらいなのに
人の心配を人一倍してる。
良くも悪くも影響されやすい。
特に好きな人にはすぐ影響される。
不器用。
言いたいことあるのに
自分から言わない。
デリケート、人の目を気にする。
ガラスのハート過ぎて傷つきやすい。
だから面倒くさい。
危なっかしい。」
彼女らが書いてくれたのは
大学4年生の時なのだが、
その当時の計算で
「さすが10年目の付き合いだ」
と思うほど確かに私を言い当てていた。
ポジティブさは、
ここ5〜6年ほどでずいぶんと
どこかへ置いてきてしまった
気がするけれど、
彼女たちは私に、
そういういいところを
見出してくれていた。
頭が良くなくても、
英語力がなくても、
仕事してるしてないとか
どこの大学だなんだとか関係なく、
それ以外の場所で、
見出してくれていた。
大学院に進学して、
「大学院生、大学院卒」
というだけで、
「頭いいね」とか
「英語できるんだ」
といわれ、
それは一方で当然のことであって、
大学院生たるもの、
大学院卒たるもの、
前提として本来
「頭が良く」ないといけない、
し、
英米卒たるもの
「英語ができ」なくてはいけない、
のだ。
専修免許持ちたるもの、
「知識や教えること」に
長けていなくてはいけないのだ。
それは確かに前提ではあって、
私もそう思うものの、
その、求められるであろう力量なく
持っている
免許や、大学院卒、といった
名前だけが先歩きして、
私にはそれにふさわしい何かは
何もないと思っていた
さらには、体調を崩し、
いや、本当言うと
体調ではなく、
心調を崩し、
それは、2年という時間をかけて
なんとか少しずつ良くなっていても
戻ることは決してなく
さらにその2年の間に、
周りの友人たちは
さらに進んで
どこにいるのか
見えなくなってしまった。
私の友人たちは本当にすごい。
毎日、
きちんと同じ努力を積み重ねられる人、
やろう!と思ったらすぐ形にできる人
神経をすり減らす仕事の中で
もっと勉強しようと、自主的に
勉強したり研修会に行ったり…
明るくて頭の回転が速くて
機転がきいて営業成績が本当にいい人、
細かい専門知識を使って、
高い専門性の必要な資格を目指しながら
その勉強をしながら働く人、
毎日、学校のなかで、
子供達と向き合い、親と向き合い、
地域と向き合いながら
授業に、部活動に、生徒指導に、
真摯に向き合い続けて学校の先生をする
英語力もきちんと高い友人たち。
ある仕事をしていて、
さらに教える仕事をし
英語に興味を持ったら、
一気に集中して勉強して、
高い英語力を身につけて
英語学習を支援する仕事に就き、
そこでさらに畑の違う仕事に、
英語力という素地を活かして向かう人。
どの人をとっても、
みんな素敵で、
優秀で、
努力家で
そして何より、
ちゃんとそれが結果になっている。
(もちろん私に見えていない結果も
あるし、私の見えないところで
本当にとてつもない努力をしていると思う)
そういう友人たちを横目に、
自分だけが、
何も身につけられず、
何もできずに、
過去の穴を
埋めることもできず、
努力することもできていなくて
戻ることも進むこともなく
立ち止まったまま、
動き出せずについに、
3年経ってしまった…
そう思っていた。
それを
「そんなこと言ってばっか」だとか
「甘い」とか
親や先輩に言われることもあって、
それが正しくても、
一度失った心の調子は、
もう、
“元どおり”には、
ならないのだ
と3年経ってやっと
私自身わかったのだ。
なんとかこの、自分で
周りと比べてどうとか、せずに
生きていくしかないのだと。
心の調子が
あらゆるものを狂わせたけど、
どうにかやっていくしかない
それはわかっているのに、
転職活動となると、
「他の人より優れていること」
が結構重要になる。
そうなると、何一つ浮かばない。
その時に、先に書いた、
「英語以外の、
強みあるんじゃないのかな」
ということばを友人にかけられた。
そのとき、私は3人の友人に
同じような悩みの相談を送っていた
のだけれど、
その3人は即日返信をくれた。
1人は翌日には会ってくれて
1人は翌日には電話をしてくれて
1人は来週の頭なら話聞けるよ、
と本当に瞬時に返信が来た。
「私には優しい友人がいる。」
そう思ったと同時に、
私の唯一の自慢あった、
と思い出した。
この自慢は昔からだけど、
特に25歳をこえたあたりから
1番の自慢なのだ。
私には、
心の優しい、自慢できる、
素敵な友達がたくさんいる。
みんなそれぞれ能力は違うけど、
どの人もそれぞれの能力に長けて、
能力の高いその友人たちは皆、
私にとてもとても優しい。
就活などで、履歴書を書くように
なって、特技欄という欄を
見るようになってから、
特技ではないから
そこに書かなくても、
私にとっての自慢は、
いつも浮かぶのは
これだった。
私には、自慢の友人たちがいる。
いろんな人に紹介したい、
聞いて!この人ね!と、
話したくなる素敵なところをもつ
多くの友人が、いる。
あなたの自慢は?と聞かれたとき、
自分のことじゃないのに、
その友人たちの凄いところを
話してしまいたくなるくらい、
自慢の友人たちがいる。
もちろん、
彼らの能力だけじゃない。
そもそも彼ら彼女らが、
この私の、友人であり続けている、
その人間性や面倒見の良さ、
私にいいところを見つけたり
私の悩みに親身になってくれたり
心配してくれたり
そのすべてすごい。
私の自慢は、一つしかないけれど、
心の底から誇れるものなんて
一つしかないけれど、
私にとっては、本当に
心の底から、
彼らの存在が自慢なのだ。
今のところ、私の自慢は、
わたしのなかでは、
素敵な友人がたくさんいること、
だけだけれど、
それだけで十分だ。
私は胸を張って、
「私には素敵な友人がたくさんいる」
「こんなすごい友人がいて」
「あの友人はこんなところが本当に
面白くて」
「私こんななのにあの子は本当に
面倒見がいいの」
そう、他の人に言える友人が、
両手じゃ足りないくらいいる。
私は何にも持ってない
と思っていたけれど、
私の友人たちのそれぞれが
どれだけ素敵かは、永遠に語れる。
私の唯一の自慢。
友人が言ったように、
そうやって、
英語ひとつとっても、
自分自身の、
しかも試験測定的な英語力
だけじゃなくて、
さまざまな角度から、
もうすこし自分の良いところ、
好きなところ、
を見てみようとおもった。
素敵な友人たちにとって、
わたしも素敵な友人で
いられるように、なりたい。
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