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Do it!!

  

 前職(アフタースクールのスタッフ)を辞めると決意したのは辞める5か月前の4月だった。


  それよりもっと前、その前年の10月に契約更新をした時に、次の契約更新はせずに1年間の契約で辞めようと決めてはいたけれど、いざ本当に辞める、と決断できたのは4月だった。


 今の仕事は、前職を辞めた後およそ1ヶ月後から決まって働きはじめた。いつまでも非正規雇用、薄給で生き続けられるわけではない。それも現実的にわかってきた。いや、わかっていたつもりで生きてきたけれど、ちゃんと現実的な行動一つ一つに移せていなかった、それをちゃんと今やっていくんだとわかってきた。わかってきたばかりでまだ何もできていないけれど。



 満28歳。今年29歳になる。それにしては、
気付くのが遅すぎる。わかる。


 けれど、27〜28歳の間に、
「経験しないと本当の意味でわからないのだ」
「早くに経験すればそれだけ早くに気づけるのだ」と体得しはじめて
26〜27でわかったことは28歳くらいになって行動できるようになってきたし、28歳で少しずつ気づけるようになったことはここから体得できるように経験を積むのだとわかっているから大丈夫。30歳になって、もっと歳をとって気付くよりずっとマシ。


 けれど、そうやってきて
そもそもVC以外の仕事は1年程度しか続いたことがなかったのに長く働けるようになってきて、前職のうちに人との距離感や働きすぎない働き方とか、責任感とはなんたるかを考えたり感じたり体験してきて、そして今の仕事で、一人で黙々と作業するという私の得意な働き方で働きながら教育、学校教育という緊張感漂う環境を感じ始めた私は、


 もう少し今の仕事で、速く処理できること、
もう少し幅広く仕事をこなせること、もっとパソコンを使えるようになること、学校で働くこと、もう少し誰かとコミュニケーションを自分からとることに慣れることなどを身につけていけばいい。


 今の仕事でとても良かったのは、入力するだけという簡単な業務が大半ながらパソコンを使う仕事であることだ。パソコンが苦手で、高校の時、情報の授業はまるでついていけなくて5段階評価の2という赤点を免れただけの最低成績をおさめ、大学入学時に履修した情報では初回授業時に先生にパソコンをまるで使えないことを自己申告し、様子を見ていてアシスタントの方が私の横につくほどに客観的にパソコンを使えない私が、
卒論でも修論でも、Wordの書式設定が全然わからなくて友人に直してもらわないと規定通りに提出できなかっただろう私が、(今だってまるでできないけれど)パソコンを使って(入力作業だけにしろ)業務をこなしているのだ。

 VCを辞めてからは使っていないがVCの2年間の間にはslack、Excel入力(上司が入力するだけで自動計算されるよう設定してくれた)、Googleカレンダーもはじめてつかった。(そのくらい疎い)



 けれど、こうして少しずつ、非正規の仕事で触れてきたことは私の技能として身につけられているのだとわかる。

 一方で、院卒後にやっととった英検準1級以来、英語の勉強をしていないどころか英語に触れてもいないから、英語力はどんどん落ちている。今は聞き取り能力も発音力も落ちたのが自分でわかる。英語を発音してめちゃくちゃ下手になってる…と。英語を教える力などさらにない気がする。


 27歳28歳になって、ぁあ、私ほどいろいろできない人もあまりいないかもしれないけれど、できないことがあるのは現状仕方のないことで、それはどこかでやらなければ身につかないことであるとちゃんとカラダでわかってきた。
できないなら教えてもらうか自分で調べたり勉強して身につける他なくて、日常を生きて人生で出会う多くのことは、遅かれ早かれいつかどこかで向き合わなければならないことなのだから、人それぞれタイミングはあるけれど、ぶつかったら、わからないと、教えてほしいと、できませんと、素直に伝えて、習得が遅くても努力して身につけていく以外方法はないのだということがやっとわかるようになってきた。


 私は26〜27歳まで、
「自分には、能力がないから先生になれない」
「できないからこの仕事に就けない」と強く思っていた。今も怖い。失敗するのを人に見られるのが、評価づけられるのが、批判されるのが怖い。できないことが露呈されるのが怖い。たいした肩書きや賞歴なんてないけれどその肩書きや過去の栄光を今の力として発揮できない自分が露呈するのが怖い。そして何より、自分のペースで動けないと(大抵私のペースより世の中の動きのほうが速いので)パニックを起こしてしまうそれが怖い。


 もちろん、技能的にスタートラインの水準を満たしていないという差もあるけれど、できるようになってからやろう、、できるようになったら就ける、できるようにならないとこの仕事はできない、私にはできないからこの仕事は無理とそう思う。


けれど、そう思っていたのは思い込みで、


 本当は、誰しも得意不得意の差はあれど、
能力差はあれど、やってみて習得していくしかないのなら、やってみることをはじめないと何も進めないのだ、とわかってきた。


 経済的自立も同じ。もちろん、経済的自立をはかれるほどの収入源を確保しなければ、賃貸も含め契約などもできないから難しいし、薬を飲んで生活していることを考えれば、一人暮らしが好ましいかもなんとも言えないし、医療費を、薬代を払って生きていくことを考えたら他の友人たちのような支出ではいられない。


 けれど、当たり前の生活を満足にできるようになったら、お金が貯まったら、そのお金を貯めるための働き口が見つかったら、


 そうやって考えていたらいつまでもたられば言ってるだけで、自立も親離れもできないし、責任感も持てない。(おまけに体力がないことや専業主婦の母がいることをいいことに、私はほとんど家事をしていない。最近はちょこちょこと家事をやるが、3時間の仕事の疲れが翌日の昼まで続く中でそれをやると、本当に動けなくなってしまう。それで自分の部屋すら満足に整わない。)




 こうしたことはもっともっと昔から頭でわかっていたことだけれど、実際に覚悟を決めて、動き出していかねば何も変わらないままなのだとずっしり感じられるようになってきたのはやっと、30歳が近づいたつい最近だ。



 けれど、24〜26歳にかけて少しずつ自分で人間関係を剪定して、友人関係に負担を感じなくなってきて、26〜28歳でやっと自分の人生の時間を楽しめるようになってきたから、私は今から、生活の自立、精神の自立、経済的自立を含めた自己と向き合っていけるはずだし、向き合うべきだ。



 人によって、ある事象に、人生のどの時点で、
本当の意味で気づくことができるのか、行動に移せるのかは異なる。16〜18歳で責任を持たざるを得ない環境にいてわかっている人もいれば、わからないまま他責にして死ぬまで生き続ける人もいる。

 私が気づいた26〜28歳というのは、周りの兄弟や友人たちの気づきからするとやや遅いような気もするが、一生気づかないで過ごしているより、40〜50歳になって気づくよりずっといい。そう思うことたした。気づいたのにまだ動けていないしふとすると認識は過去のままで責任を持てないでいる日もまだ多い。


 そして、こういうことになぜ気づけたのかといえば、そうしなければならないという現実がやっと近づいてきて向き合うようになったからだ。それから周りの友人や同級生たちに結婚したり子どもができたり、上司の立場、管理職の立場になる人が増え、責任が増えているなかでその責任を一生懸命全うしているのだと一端だがわかってきたからだ。


 私は、私以外の周りの人はみな、なんでもできて失敗もしないで、と思っていた。けれど、すごく仕事ができる友人でも、話を聞けば、叱られたり失敗したりしていて、それでも働いている。

 私は、失敗して責められたり責任を負うことから逃げていたのだ、と。それにやっと26〜28歳を通して気づき始めたのだ。叱られずに失敗せずに生きている間に、新人だし、若いしと許される年齢を超えてしまった。それで一層就ける仕事がなくなってきた。(職歴を要するものが増えた)


 けれどこうして気づけたおかげで、これまでの自分と今の自分と今後の自分の生き方を考えられるようになってきた。


 そうなってきたから昨年、もうここで得られるものはないと思えたからアフタースクールのスタッフを辞めたわけで。


 今の仕事は、次の仕事をまだ見つけられていないことと、まだまだこの仕事のなかで身につけられること、気づけることはあると思えるから続ける。


 けれど、次の期限で今の仕事を卒業し、次のステップへ行く時が来る、とわかる。25歳の頃より、26歳の頃より、27歳の頃より、少し先のステップが見据えられるようになってきた。


 そして、今私に必要なのは、モノの整理の量をもう少し増やすことと、頭や身体や部屋や予定や人間関係に、つまり全てをまとめると自分に、空き容量をつくることだ。


 空き容量を作ることが必要だというのは、当の昔、院生より前からわかっていたことで、日々頑張ってきたはずだが、見たもの聴いたもの、感じたこと、得たもの、人間関係などなどインプットの洪水を止めることはできなかった。(特に人間関係。)2019〜2021年にかけてインプットされる情報や人やモノを少しずつ手放してきて、整理したりアウトプットしたりすてたりする時間をつくってきたが、まだまだ追いつかない。


 インプットしたものを整理するまでは仕事も何もかも前になんか進めない、と昨年まで思っていたけれど、全てを整理するのを待っていたら私は40、50、60と歳をただとるだけになるだろう。


 自分の中で、区切りをつけ、整理をし、
情報が入りすぎたら、

 ある情報Aが大量にきたら、すぐにAを処理しきれなかったとしても、ほかに頭に入ってきていて整理できていないままのBやCを処理することで、手放すことでAが入っても逼迫しないようなんとかするしかないし、
もっと言えば、仮にあらゆる情報が入り込みすぎて逼迫して、頭や身体がメタボ状態になったとて、現実の道を、目の前の仕事ややるべきことをやれるような管理の仕方にかえていかなければ、何も進めないうちに時間のほうがはやく過ぎ去ってしまう。


そういう一環で、手放すべき人、モノ、思い出、進路、執着心、向き合うべき人間関係、自分の気持ち、目の前のモノが溢れる部屋などを仕分けしてちゃんと手入れしながら、仕事の方もそろそろ次の段階へ進む頃だと思えてきた。


 いつまでも若いつもりでいたって

もう若くはないのだ。老いてもいないけれど。


 人生の中で出会う何かは、遅かれ早かれいつか出会うことで、向き合うことで、人それぞれにそれが来る時期も異なり、向き合うべきタイミングも異なるけれど、先延ばしにしていることというのも、いつかは向き合わねばならないことなわけだから、



私が先延ばしにしている目の前のことや整理整頓、まともな生活リズム、ひとり立ちは、いつか少しずつできるようになると思っていたってできるようになるわけじゃなくて、向き合って、とりくんで、経験して、時に失敗して、わかっていかないとならないのだと、ちゃんと身体で理解しはじめた。まだ、理解しはじめたところだけれど、これからそれを経験して体得していくしかない。


 そうわかってきて、


何を目的にある仕事につき、
そこで自分は何を生産することができて、
その対価にどの程度の給与を与えられるのか、
逆にどの程度稼ぐためには、どの程度の生産能力が必要かという、資本主義経済で労働者として働くのには至極当たり前のことをやっとしっかり念頭におくようになった。
いや、おくようになったつもりでまだ、
ふとするとすぐに忘れてしまうのだけれど。


 今の仕事では、私はもっと得られるもの、得るべきことがある。例えばもう既に5ヶ月半ほど働いているが未だ人見知りして、上司であった友人以外の先生に自分から話しかけることなんてほとんどないし(話す必要もないから話さないのだけれど)、今の仕事も、通うのに慣れるのに1ヶ月ちょっと、業務の流れに慣れるのに1ヶ月〜2ヶ月、仕事のなかで何かを考えて処理できるようになるのに1ヶ月、そしてそこでコロナ蔓延により休職状態になってしまい復帰から1ヶ月ほど経った今、やっと慣れてきたと思ったのに上司が変わり通いなれたと思ったら勤務曜日の変更。やっと3月下旬になって、今の仕事で何を得たいか、何を得られるか、その先にどんなことができるようになるか、それは未来へつながるのか、自分のやりたいことややれることは何か、それに今の仕事はどうつながるか、などを考えよう、と思えるようになってきたばかりだけれど、新年度の環境にもまだ慣れない。


 今年度いっぱいは今の仕事があるとわかってやっと、次のステップへ進むべき時が来た。次のステップなんて漠然と言っても進めないこともこれまでの経験でわかる。


 私が次にやるべきは、経済的にもう少し余裕を持つこと、目の前のモノを片付けてスッキリさせること、スマホの中に溜まっている写真などを整理することなどだ。それからもう一つ、特性的に苦手なところだから長期間かかるかもしれないけれど、もう少しだけゆっくり考え、ゆっくり行動し、ゆっくり話す意識を持つことも。


 先日、就活でお世話になった先輩と久しぶりに会った時も、マシンガントークというかひとり喋りしてしまった気がするから。


 ちゃんと、わかっているじゃない。やるのよ。


やれ、Do it!!!(←そのままの意味で使ってますが、この台詞自体は、テニプリのわかる人ならわかる…誰かに、届け。)


 アデュー!


#todo


#変わりたいこと


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