上半期。


 とりあえず仕事を終えて地元に戻ってきた。もうずっと新卒から短時間労働で今年は1日3時間×週3日しか働いていないから、周りの人たちとの比較で言えば全然働けていないのだけれど、それでも、仕事を終えて地元に戻ってきたらぐったりだ。


 マスクをするようになってから、酸素量が少なくなって眠くなるし疲れやすくなったと思う。


 365日の半分は、182.5日だから、正確には7/2の午前中が終わったら1年の半分が終わるわけで、まあ大体を言えば7/1が終わると半分終わった、ということになるのだけれど、


 半期という計算で言うと、月で数えるわけだし、1〜6月/7〜12月だろうから、今日6/30で、2023年度前半が終わったといって良い。


 もう半年終わってしまったのかという気持ちと、年始がとうの昔に感じるこの感じを毎年同じように、感じている。


 毎年、毎日、過ぎてしまった時が戻らないのは同じのはずなのだけれど、今年は本当は特別でもあるはずだった、20代が終わるから。


 わたしにとって20代は、とてつもなく長かった。おそらく、こんなに苦しくて辛くて濃い10年間は、生涯訪れないと思う。と、同時に20代のうちにやっておくべきことややっておいた方が良いことを、結局できずにいる。


 経済的自立問題だけの話で言えば、健康を害した学生時代から、働けないのを、頑張れないのをさらに無理して卒業・修了してしまったおかげで本当に、新卒時点から立ち上がれなくなってしまって、そのまま働けないまま既卒もう6年目である。この6年間はとても充実していたし、コロナ禍の3年間は非正規雇用のわたしには本当に辛くて、どうしてやっと少し働けるようになってきたところで、世間的に、世界的に働けなくなって職を失ってキャリアを断たれなきゃいけないんだ、と思ったり、それを挟んで余計に雇われなくなって、辛いとかいう陳腐な言葉では、語り尽くせない辛さがあった。


 筆舌に尽くしがたい、と言うのはこういう時に使うのかもしれないと何度思ったことだろうか。


 新卒すぐに、身体が無理になって働けなくなって仕事を辞めてしまってそこから働けないまま時間が経ってやっとのことでアルバイトをはじめて、少しずつ働けるようになってきて、転職活動をするも、雇ってもらえず、何度も同じ話をしなければならなくて、精神的に追い込まれてお金が持たなくて続けられなくなり、それをもう何度繰り返したことだろう。


 "まわりと"、"みんなと"同じように働けないんだろうなと、はっきりキッパリ自覚しだしたのは2020年秋以降で、それでも、私にできる働き方で、経済的自立を目指すやり方のモデルロールもなくて、どうすればいいのかわからないまま、体力も持たずに、やりたいことどころかやっておいた方がいいこともやるべきこともできず、まともにご飯を食べたり、寝たり、起き上がることもできない生活を繰り返してここまできてしまった。


 結局、私ってば、何にもできないで、
まともに、働いて税金を納めて、文句言いながらも生きることすらできないんだわ。


 3時間の仕事が終わって帰ってきたら、外の熱気と気圧と、空気の重さと酸素の薄さで身体が押し潰されそうになる。


 呼吸ができないくらい酸素が薄い。いつから地球はこんなにも暑く、こんなにも酸素が薄くなったのだろうか。身体は、熱を帯びていて、熱った身体はふらふらしている。


 熱があるのではない。もう、、5月頃から夏が終わるまで、10月くらいまで私の身体はずっとこんな感じだ。


 昔は、冬は、本当に文字通り身体がアバターになって手足が、ちぎれたのではと思うほど感覚がなくなるから、冬が苦手だったけれど、近年、とはいってももうここ6年ほどは、全然冬が寒くなくて、大好きなスタンドカラーコートが着られないくらいなので、あんなに好きだったはずの夏が、苦しい。


 夏が好きだったのは、あの、夏の独特な香りとか、それに花火とか、夏の夜が、好きだったのに、私の好きだった日本の夏の夜の、快適はもう何年もない。


 そんな文句を書いている今も、どんどん時間は過ぎて、今年の半期が刻々と終わりに向かっている。


 2023年です!新年ですよ!とわーわー、騒いでいたあのお正月がもう半年も前だなんて。


 29歳のうちにやっておきたいことややるべきことを、上半期でしっかりやって7〜8月にその取りこぼしをきちんと拾って、それで20代をきちんと終えて30歳になるんだと意気込んでいたのに、


 このままでは、無職・恋人なし・金なし・実家暮らし・無能体力なし女が、ただ爆誕してしまう。


 マスクを外して、呼吸が浅かったことを知る。


 眠いのも暑いのも、呼吸が苦しいのも生きるのが息苦しいのも、全部マスクのせいなのかもしれない。


 コロナウィルスの蔓延と共に世界が変化して私は、目の前の仕事も失ったのに、政府からなんの援助も受けられず、給与も振り込まれない3〜4ヶ月を過ごして、実家に暮らしていなかったらおそらく2020年を生きていなかったし、それでもコロナ禍で仕事を失って、今も仕事はずっととりあえずのままだ。


 子ども支援は、重要だけれど、働きたいのに働けないでいる若者の多さに対しての対応をもっと頑張って欲しいと思う。子どもだって欲しいし、結婚だってしたいけど、こんな生活じゃ結婚どころか恋人だって作れないし、自立もできない。


 持病は、ありがたいことに、2回目の入院以降、5年半以上発作を起こさずになんとか生きている。


 薬で抑えられている。でも、その薬代と通院費用も、まともに払えていない。それでも今年から親に払ってもらってきたそれらのお金を自分で支払っている。


 経済的自立できていなくて、親の扶養内にいるから通院3割負担なのに、自分で払うという、鬼畜だ。せめて働けていれば1割負担で済むのに。


 何が、若者支援だよ。どこで支援されるんだよ、と時々苦しくて辛くて生きていたくなくなる。


 でも、親にも親愛なる友人にも何も恩を返せていないし、


久しぶりにこの間会った友人にも、生きろ、と言われてなんとかそういう言葉で生きている。


 私には何もない。能力もないし、特筆するものはないし、"普通に"できると思われることが何もできない。


 何も秀でることがない。


6月末に、死ぬつもりでいたのに、8月末には死ぬつもりで30歳になる前に命を絶とうと思って、なんだかんだ生きていて、9月にEXITのライブを入れてしまったし、11月末にNissyの握手会も入れたから、多分11月末までは生きている。


 推しの力というのはすごい。


でも、そうやって生きていたら、やっぱり生きていてやるべきことや、義務もある。権利だけを享受して生きることはできない。


 息をしづらいのは、マスクをしていて暑いからだと思っていたけれど、マスクを外していても、毎日酸素が吸えなくて、脳がクラクラしている。


 6月末、越前くんに会いに行ったのは、何という理由はなくて、ただ、ずっと会いたいといっていたのを実行したまでなのは確かで、でも、私の中で30歳になるまでに死にたいたいう気持ちは薄くずっと続いていたから、


 この夏30歳になるから、今しかタイミングがなかったのも事実だった。


 迷惑をきっとたくさんかけたと思っている。もう会いたくないと思われているかもしれないけれど、


 越前くんに、別れ際に、「生きろよ」と言われた。


 何かを見透かされていたのかもしれない。


 もうだめだ、で死ぬことはない


と言われた。


 生きる、にギアを入れろ、といわれた。



 越前くんにあいにいったあと、


 あんなフラフラして揺らいだままで、何も思考できずに呼吸が苦しい状態で、会いに行って、ただ迷惑をかけて、マイナスなイメージを持たれたまま死にたくないなって思うようになっている自分がいて、越前くんにいわれた生きろ、が、心の中で、身体の中で、メラメラと燃えていることにも気づいた。



 夏が来る前から、梅雨が明けてからずっと暑い。



 生きる場所を変えようと、28歳頃から薄く思っていて、29歳になってからのこの旅の連続は、もしかしたらそれを実行する予感だったのかもしれない。


 親に言われた家を出る期限もあっという間に2ヶ月になったけれど、定職すら持っていない。


 このままではいられない。


 とりあえず、生きるにギアを入れ続けて、目の前のことに必死になるしかない。


 私に、なにができるのか、まるでわからないけれど。



 わたしの周りはみんなすごいと思っていたけれど、具体的にみんなどうやって働いていてどうすごいか見えていなかった。少しだけわかっているのは、親愛なる友人くらいで。


 久しぶりに越前くんに会って、移住した先で、活躍して、実直に働きながら、苦労しながら、大変なこともありながら、踏ん張って頑張っていることを見て感じて、


 やっぱり私は、甘えているだけなんだと思った。


 もう遅いかもしれないけれど、30歳になる前に、この甘え癖をどうにかしなくては、と感じた。


 上半期はもう終わるけれど、上半期でscatterされていた大切なことを、後半は一つずつ拾いながら、モノにしていきたい。

#上半期

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