見出し画像

最近シェアしたnote記事


  ほらやっぱり、仕事詰めになってきてnoteと向き合う時間もなくなってきたし、最近は日がな一日、四六時中仕事のことばかり考えていて、ろくに休むことも、ほかのことを考えることも出来なくなっている。



 これも危惧していた。noteの毎日連続投稿出来なくなるんじゃないかって。


実際、ほとんど仕事の時間か、仕事に関して考えている時間か、仕事に関して連絡している時間で起きている時間は終わる。


私の頭の中も、常に仕事のことを考えていて夢の中でも仕事のことを考えていて目が覚めたら休日だったとか、休日の日も、仕事のことで共有しておこうだとかそう言えばあの件って…だとか思い出して連絡してしまったり。


もうとにかく、仕事のことで頭がいっぱい。


確かに、友人が言っていた
「仕事に没頭して忙しくなったら、元彼のことなんて考えてる暇無くなるから転職しろよ」のその考えは正しい。

仕事が忙しくなれば、やはりいちいちほかのことを考えなくなる、


いや、私の場合むしろ、のめり込むとその事ばかり、四六時中考えてしまってのめり込むから危ない。


大学院生の時、人の相談に乗りすぎて倒れた時も、大学院生の時、御手洗にも行かずに何時間もぶっ通しで過集中状態で資料読んでいた時も、
学部生の時に塾講で週7コマとか10コマとか授業を受け持っていた時も。


どの時も、のめり込んでいった。


のめり込んだからと言ってそれだけしかやることがない訳では無いし、
優先順位は間違えていたとしても、
外的にやらねばならぬと出されたやるべきことを放り投げてしまうようなこともしない。


まあ、そんなこんなで、今も、
職場の人達に、

「あなた、四六時中仕事のこと考えているし、すごいきっと仕事してても色んなところが見えるからいろんなことが気になってしまうのだろうし、あなたが倒れてしまわないか心配よ」と言われる程度にのめり込んでいる。


よって、時間を作って、書くと決めて
書かねば描き続けられない執筆をなかなかにスケジューリングできていない。


 noteだけでない。仕事が忙しくなりはじめてからというもの、やってみたいことに手当り次第に手をつけるくせに広げるだけ広げて何も収拾できていない。



 収拾がつかなくなって、よく分からなくなってnoteも開いたって全然書けやしないけど、人のnote記事を読むのはわりとすきで、面白いなと思う記事はシェアすることで、自分のアカウントに保存してある。


 私には無い感性、知性、ユーモア、経験がそこにはたくさんあって、


私とは異なる人達が確かに生きている存在を感じられる。


文字は、それなりにその書いた人の人となりを現すと思う。だから、いろんな人の記事を読むたび、その人と遠い知り合いになった気分になれる。






 4月に読んだ記事で印象的だった記事とそれについて、シェアする時に一言二言添えていた言葉と共に。(要約はなし)





⑴ 花平凛さん

  この記事、全編に渡って分かりみすぎて…

 元彼のことを想いながら、
もともと他人だった私たちは、
他人のままで「他人になった」というのはもはや「過去にすれ違っただけの人」程度になってしまった。友人に、働けば無闇に悩む時間も前に進めなくてウジウジしていることも忘れるよと言われて、それはもちろん分からなくはないし、時間とともに感情も過去への郷愁の念も味わいも異なっているからそういうものってわかるけれど、

忘れたいんじゃない。
忘れたくない、んだよね。たぶん、
これからも。




⑵坂下泰義さん

お風呂で泣くのってなかなかにメンタルにいいよね、わかる。26~27歳の間に、泣くのはお風呂の中にしようって決めたの。気になるなぁ、泣き湯。女湯もあるのかなぁ…






⑶戸山文さん


読み終わりに、ギュンッッッってなった。私にもこういう職場の上司みたいな近い人ほしい。
欲しいと思ったけどよく考えたら多分私があまり心開けていないというか、嫌われるのが怖いなと思ってるだけで、
院生時代の先輩との関係も、親愛なる友人も、それからきっと本当は他の友人でも、私に号泣シュークリームの時間をくれる人数人いるんだ。私がうまく胸襟開けないだけ。



(4)misakiさん

   misakiさん、読んでいたら、
私と感覚が似ているところがたくさんあってでも私より、何倍もウィットに富んでいて言葉の洗練された感じとか言葉の選び方も好き。
 読んでいて、すごいなぁあと感心する部分と、わかるううううって共感する部分とあるの。
 私は、夜神くんに逢いたいってずっと思ってるけど、実際にあってしまったら、本当の終止符が打たれてしまうんだろうか、でも、あったら、misakiさんの元彼のように寄りを戻そうと言って欲しい。でも、その時、私はmisakiさんのようには返せないかもしれない。そう言い返せないうちはやっぱり会っちゃいけないんだろうなと思う。


(5)星野さん


 この方のストーリー自体はわかるの。人間って自分の器に見合った環境にしかいられなくてって。
 でも、この人は、小規模なら成果を出せる人だから上手くいっただけの話で、わたしは小規模でも弱小でも、うまく仕事ができている感覚も、成果をきちんとあげられた感覚もアルバイトの時からさほど持ったことはないからさ。わからないや、と思って読んだ。



(6)momokoさん


 レールから外れた、って書く世の中の人、私からしたら全くレールから外れてないんよね。それに、なんだかんだ働けるだけの体力もあるし能力も健康もあるし。

 momokoさんも私からしたら結婚まで働いていたのだから正規ルートのままですよと言いたい。

 日本は、結局、圧倒的実力がなかったら正規ルートから外れたら、学校でも、就職でも何でも戻れない、
戻りたくても戻れない。これが問題だと思ってる。私みたいに、学生時代に体調を崩してしまったら、この、momokoさんみたいな考え、私もしたことがあって、私は教育のはたけで生きてきた人間だったから、もっと塾とかでも、パプアニューギニア海産のような、受けたい時に授業を受け、先生も勤務したい時にできるとか、もっとなんかフレキシブルな環境にならないのかなっていつも思う。



(7)りょかちさん


これはわかる。
当事者たちにとって大きな問題だとして、ジェンダー問題について大きな声をあげることもそんなに珍しいことというか、特殊な人と言われることはなかったし、
働き方も生き方も多様化したその多様性のそれぞれの母体数が大きくなることで、そんなことするのはあなただけよ、と言われる人が増えていった結果に、たった1人だったのが複数人になって決して少数派とも言えなくなってきたりして。
 でも、そういうのはジェンダーにしても、働き方や生き方にしても、価値観にしても、障害を持つ人の生き方に関しても、最近急に生まれたものではなくて、ただ、社会の多数派に抹殺され蔑ろにされたり飲み込まれていただけ。
 そして、そういうこれまで認識すらされずにきたものを、主張する人たちの努力で認識され、差別されながらも少しずつ受け入れられてきたと思うけれど、やはりそれらは、当事者たちの問題というより、傍観者の立場、聞き手側の受け取り方の問題だと思う。


 
 私は、大学院でストーリーテリングを研究してきたが、それは、語り方、語られ方、その背景の文化、語る人などを考えることだった。
 社会には様々な人がいる。その人たちはそれぞれに人生の背景がある。それらが集まって社会になっている。社会はストーリーの縮図になっている。


  りょかちさんが述べたようにAの問題が大変だ、という人に対して、いやBの問題だって大変だよ、というのは解決策になっていない。これは以前にも書いた。
 なにか大変なことがあったとおもっているMさんに、私の方が大変だとか、そんな大変さや苦労や疲れや頑張りやそういうものをいうのは間違えている。私の家の方が大変だったとか、あんたの家はいいよねとか。そんなことも考えているだけ無駄。それに、これも前に書いたけれど、だからといって「しんどい」という相手に「しんどいのはあなただけじゃない!」というのも違う。それぞれに違う器があって、それぞれに違うしんどさがあって、それぞれに違う環境がある。だから私は、「あなたのことわかるよ」とも言いたくない。 



(8)まゆさん

  発達に特異性があるものの、努力すれば、時間かければ出来るなら診断が要らないとか何とか言われて、それならあなたのはただの努力不足だと言われてきた私が、小さい頃から今でも身支度がろくに出来ないなかで、
さらに、今の職場で忘れ物が多発する児童たちをみているなかで、
3歳のお子さんも楽しめる身支度ボード、素晴らしいアイディアだなとおもった。

 達成度もわかりやすいし、タスク化もわかりやすいし、得られる報酬が食べ物みたいなのじゃないのもいい。


いろいろな人のnoteを体験して、
それを読んで、気に入ったらシェアして、そんなのがとても楽しい。

皆さんも、良かったおすすめ記事あったら教えてください!


#note

#noteシェア


ありがとうございます😊サポートしていただいたお金は、勉強のための書籍費、「教育から社会を変える」を実現するための資金に使わせていただきます。