この世界は、優しい他人で溢れている


※吐瀉物の話が出てくるので、
食事前後の方や体調の悪い方、
想像力の豊かな方は読むのを
控えてください。


その日、お昼ご飯が
思ったより多かった。


「でも、これは昨日も、
多いなと思って残したぶんだし、
食べきらなきゃ」と食べた。


それも、お腹が空かないので、
午後3時4時になって
やっと食べ始めた。

母はその日家におらず、
父から、夜は外でご飯を済ませよう、
6時に駅前で、と連絡があって、
食べ終わった休憩に、
予定を整理したり、
2ヶ月とちょっとぶりに
アニメ、「テニスの王子様」を
観ていたら熱中してしまって
午後五時半すぎに慌てて家を出た。

約束の時間ギリギリになって
しまったので慌てて出て、
いつも持たない鞄を手に取ってきたら、マスクを忘れてしまった。
この時期なのに……


仕方なく父にLINEをして、
待ち合わせ場所に向かい、
すぐに薬局でマスクを買った。



今の世の中は、
マスクをしていないだけで
何となく自分が指名手配犯のような、
周りの人に罪だと思われている
気分になる。


薬局でマスクを買ってすぐにつけ、
一安心すると、
父から「どのお店にいく?」
と聞かれた。


「お昼食べたのが遅かったから
あんまりお腹すいてないんだよね」
と言いながら、父が挙げたなかから
中華のお店に行くこととなった。

お店について、わたしは、
「あまりお腹すいてないから
お父さんが頼んでそれを少し貰うよ」
と伝えた。


父は、
YEBISUビール、
エビチリ
春巻き
餃子
を頼んだ。

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ご飯を食べながら、
やはり今の私の状況などの話になり、
お前も、いつまでも
今の生活のままじゃ……とか、
能力がないからどうのこうの、とか
職を選んでるから、
仕事につけないんだとかいう
話になって
私はいつも通りぐっと、
気持ちをおさえつけた。

体力がない。
その前に体調も安定しないまま
3年の月日がたった。
そして、昨年の夏過ぎ頃から
少しずつ躁鬱の兆候が自覚で、
「あ、そうだろうな」と思うほど
現れていた。


今年の3月になって
メンタルクリニックに行って
波形を測ってもらって、
「うーん、僕は通院しながら
お薬飲んだ方がいいと思うなぁ、
猶予はないと思う」
とメンタルクリニックの
先生に言われたのを、
「でも医療費払えないので……」と
断ったまま、


私はもう社会生活を送れないほどの
自覚症状が出てから
10ヶ月以上、
その自覚症状の最初からは
もう3年以上、
自力で抑え込んでいた。
そのもっと最初、
努力とキャラで抑え込んでいたけど
私の中で大きく
「自分が今までの私じゃない」と
なったのは20歳頃だからもう6年も
心が重い。



当然両親には、
3月にメンタルクリニックへ
行ったことも、その前から
波が激しいなと思っていたことも
話せていなかった。


なんていっても、
過労で倒れた時だって
退院直後の病院の扉を出た後に
言われた言葉は
「あんたの今回の
2泊の入院費6万したんだから」
だったし、
再び過労で倒れて入院した時は
救急車で目覚めてすぐ母が
口にしたのは
「次倒れたらもうダメだって、
薬をずっと飲むことになるって、
言われたよね、分かってるよね」
だった。
親は全く覚えていないようだが
言われた側は覚えているものだ。


さて、話を父とのご飯に戻すと、

お腹の空いていない私は
父に注文を一任した。
父が注文した料理が次々出てきて、
全然お腹の空いてない私は
内心こんなに食べられるかな、
と思いつつ食べ始めた。


元々、食欲のアップダウンが
激しい上に、近年は
ずっとストレスで体調を崩しやすくて
心身ともにさらにやられていた。


途中でお腹が苦しくなってきて……
でも父に言えなかった。


きっと他の人は、
恋人にだって、
初めて会う人にだって、
苦しくなるずっと前に
「ごめんなさい、
もうお腹いっぱいなんです。」
とか言えるのだろう。



私は昔から言えなかった。
残さず食べる、は当たり前だった。
昔からご飯を残す概念はなかった。


最近になって、お腹いっぱいの時に、
とても仲良い友人などに
「無理して食べなくていいからね」
なんて言ってもらったら、
やっと
「そうかな、じゃぁ、
申し訳ないけど
ちょっとここまでにする」
と言って残すことができるのだが、

恋人にだって言えたことがない。
家族にはもっと言えない。


それで、父と食事しながら、
途中で苦しいなと思ったけれど
食べきった。

食べきったあと、父が言う。

「熱中症になるから
多めに水飲んどけよ」

「いつも水あんまり飲めないから
飲んどく飲んどく」

私はそう言って笑いながら
ジーパンでは、少しお腹が苦しくて
これは家に帰ったら
御手洗いかないと、
お腹が尋常じゃないくらい
ぽっこり出たわ……

なんて思い、
コップに入った水を飲み干した。


ご馳走様をして、お店を出て、

マンションまで着くバス停に、
父と急ぎ足で向かった。

「食べすぎちゃったな、」
私がそうこぼした矢先、
お腹ではなくもう喉元が
気持ち悪くなっていた。

今、バス乗って帰ったら、
バスの中で吐いちゃいそうだな、、
でも、なんとかもつかな、
家まで、もってくれるといいな…
いや、無理だな。
そんなにもたないし
車乗ったら無理だな…



お手洗いに今行きたいな
そう思ったが
父は、バスに乗ろうとしている、
我慢した方がいいかな、
なんてバス停で逡巡して、


それでもやっぱり、
お手洗いに行かないと
バスの揺れで気持ち悪くなる!
そう思ってやっと、
声を振り絞って父に
「御手洗行きたい」と言った。


(父には、バスの時間で動いた父に
ー お父さん、バスに乗る計算で
動いてるから、私も家まで
我慢した方がいいかー

と思って言えなかったが、
実はその昔は
恋人とかだと、デート中に、
御手洗行きたいな
すら言えない人間だった。
もともとかなりトイレが
遠い人間なので、そもそもデート中に
御手洗行きたくなることも
2度あるかないか、だが、
恥ずかしくて言えないからいつも
恋人がいくタイミングで行っていた。)

 

「御手洗に行きたい」
と我慢の限界の中、
やっと声を振り絞ってだすと、

「え、もうバス来るよ、家で行けば」
案の定の返答に、
喉下まできている気持ち悪さを
感じつつ続けた。

「お父さん、先帰ってていいよ。
私いま行ってくる」

そう早口で言い残して、
すぐに近くの東急ストアに走った。
猶予はなかった。

よく平静の状態で喋れたな、
そう思うほど
もうその言葉が出た時にはかなり
限界で、喉元くらいまできていた。



店の中を歩きながら、もう少し……
1階は御手洗ないから、
頑張って2階までいって……
2階の女性トイレ
すぐ入れるといいな……

だんだんと
真夏の夜の暑さと気持ち悪さとで
頭がぽーっとしてきて、
急ぎ足で歩いた。


しかし、

それは突然来た。


お惣菜売り場と
飲み物の売り場の間の広い通路で、
突然、胃の中のものは逆流し、
マスクに嘔吐した。


量が多くて、
マスクの下のTシャツにもかかった。


そして間髪入れず第二波がきて、
マスクにもTシャツにもチノパンにも
吐瀉物がかかってしまい、
食品売り場の床にも
そこから漏れたものが
ぽたぽたおちた。


膝からガクッと落ちて、
座り込んで戻ってきた胃酸と
吐瀉物の気持ち悪さと
お腹の気持ち悪さを感じながら
膝をついた。



どうしよう、食品売り場なのに……
そう思った時間もあるかないか
わからないくらいのスピードで、
すぐ近くにいた女性のお客様が
「大丈夫ですか?」
とティッシュを床に敷いて、
そのティッシュをわたしにくれて
背中をさすってくださった。

「ありがとうございます、
ありがとうございます」


すぐに店員さんと副店長さんもきて、
床を拭き始め、
私を店奥の、
従業員用御手洗に
連れて行ってくださった。

「申し訳ありません……
ほんとに……」
それを言うのが精一杯で


背中をさすってくれた
女性にきちんとお礼も言えないまま、
吐瀉物のかかったままのマスクを
外れないようにして、


周囲のお客様に申し訳なくて
うつむきながら
副店長たちに連れられるまま
従業員用御手洗に向かった。

「こんな時期に……」とか
「食品売り場なのに」とか
そんなふうにおもって
周りのお客様の目が怖くて
見られなくて真下の床を見つめながら
フラフラと歩いた。



嘔吐した時に全部出てしまったのか
御手洗では何も出なかった。
マスクを外して、口をゆすいで、
新しいマスクにつけかえて、
汚くなったTシャツやズボンを
着たまま拭きはじめた。

「御家族の方、いらっしゃいますか?」
そう言われて、
「父がいるので連絡します。」
と返す。


ああー、せめて
お手洗いまで我慢できていたら、
お父さんに何もばれずに済んだのに…

と悔しさと恥ずかしさを感じた。


そう、気持ち悪くなっていたことを
父にばれてはいけない、と思っていた。


嘔吐にまでいたった
きっかけが食べすぎと
異常な暑さの中のマスクだっただけで、
もっと前から、
一昨年、昨年から
体調はよく崩していた。


でも、きつい、と親に言いかけても
「いつも寝てるくせに」
と言われし、実際それはそれで
指摘は間違えていないから、
いつからか言わなくなった。



お手洗いに入ると、店員さんが、
袋とたくさんのティッシュと
売り物のはずの
ペットボトルのお水と、
吐いても大丈夫なようにゴミ袋を
すぐに持ってきてくださった。


この間買ったばかりの、
ちょっと気に入っている
NASAのマークのTシャツと、
チノパンを、着衣のまま、
ある程度洗い、
口を何回かゆすいだあと、
頂いたお水をゆっくり飲んだ。


一気に吐いてしまったからか、
御手洗に来た頃には
一切吐き気もなく
口をゆすぎながら、私は父に
LINEで事情を説明して
着替えを持ってきて欲しいと頼んだ。



もってきてくださったお水を
ゆっくりのみきると、
従業員のお姉さんが、

「靴下汚れちゃってますよね、
これ私がさっき買ったものですが、
よかったら使ってください。
どうぞ」と
替えの靴下を渡してくださった。

「本当にありがとうございます。
申し訳ありません」
というと

「いえいえ、いいんですよ」
と笑顔で返してくれる。



まだ買って3ヶ月の
プーマのランニングシューズも
少し汚れてしまった。

少しだけ汚れてしまった靴も
トントンとティッシュで叩き
靴下を脱いで、有難く
店員さんが手渡してくれた
新しい靴下を履いた。

やっと落ち着いて、
お手洗いの中で父を待ちながら、
友人とLINEしている最中
だったので、私の心身が
全然安定していないことを
認識している友人に、

「お父さんに、
心身の調子悪いことも
言えてなかったのに、
お腹いっぱいなんだ
ってことすら言えなくて
進退の話にもなって、
なんも言えないまま
無理して食べてしまってそしたら、
外なのに吐いてしまった……」
と送った。

すると
家に戻ったばかりの父が
そのまますぐに迎えに来て、

「お父様こられましたよ」
とお姉さんがいう。

私は父が持ってきた着替えを
お手洗いの外で受け取って、
Tシャツとチノパンを、
別のTシャツとジーンズに履き替え、
もう1回お水を飲んでから
御手洗を出た。

靴下まで持ってきてくださった
先ほどの店員さんが、
「大丈夫ですか?」と
心配そうに覗いてくれた。

着替えて御手洗を出ると、
その店員さんの言葉をかき消すように
父がひたすら副店長と
その店員さんに謝罪をしている。

「いや、
ほんとにご迷惑をお掛けしました。
お品物など、大丈夫でしょうか?
あの、このコロナの時期ですので…」



副店長さんが返す。
「大丈夫ですよ、
心配なさらないでください。
暑かったですしね……
ただ、あの、もし、嘔吐が
伝染性のものでしたり、
何かあった時のために、
ご連絡先伺ってよろしいでしょうか」


父が自分の電話番号を
副店長さんに伝えていて、


私は、父が持ってきた
テキトーな部屋着のTシャツと
ジーパンを着て
「外なのに部屋着か……
これで帰るのか……まぁ仕方ないな」
なんて思いながら
お姉さんが渡してくれた
靴下を履いて、
御手洗から出て、
店員のお姉さんと、副店長さん、
近くの従業員の皆様に
深く深く何回もお辞儀をして
謝罪と御礼を申し伝えた。


店員さんの対応が、
とてもとても嬉しかった。
父の態度よりずっと。

一通り終わって
「ほんとに
ありがとうございました」
と私はいい、
父は、
「ご迷惑をお掛けしました」
といって、
父をバックヤードへ
案内してくれたという店員さんを
探してお礼を告げて店を去った。

店を出るや否や父は言った。

「明日すぐに、ちゃんとした
御礼の品を買って、それも、
家の下のお店のお菓子とか
じゃなくてもう少し高級な
ちゃんとしたお店の買って
謝りにいけよ、
お父さんも一緒に行くから」


もちろん、
その旨(翌日謝礼にいくこと)は
私も承知だけれど

私はそれを聞いて、うん、
と返事をしながら
心のどこかで、

ー あ、お父さんは、
吐いた私の体調より、
迷惑をかけたお店だけが
心配なんだな ー
そう感じた。

私に対する一言目が、大丈夫?
じゃなかったから。



嘔吐の直接原因が、
食べすぎだっただけだ。
でもいつもなら
もし仮にあのくらい無理して
たべたって、お腹は苦しくなっても
吐いたりなんかしない。



嘔吐の直接原因は
食べ過ぎだけど、
この問題の根本は
「もう食べられないのに、
おなかいっぱいだということを、
父親に言えない」
「無理してると親に言えない」
ということだった。


私は19歳から22歳ほどまで
むちゃ食い障害気味で
気づいたら食べすぎていて
どんどん太って
何度も吐こうとして
手を喉に突っ込んだり
下剤を多用していた時を思い出した

(18歳の時160cm/50kg/20%
だったのがそこから2年で
最も太っていた時は
162.8cm/60kg/28%になった。
しかし、病院に行ったら60kgくらいなら、身長もあるし問題ないよと言われ診断がつかなかった。)

迎えにきた父は、
御礼の品がどうとか
洋服や靴を洗えとか
そんなことを小さな子に
言うような口調で繰り返す。


私だって、そこまでの馬鹿じゃない。
落ち着いた御手洗のあとには
明日、謝礼のお手紙と品を
持っていこう、くらい考えた。


こんな時期に、しかも、
食品売り場で嘔吐してしまって、
お客様やお店の迷惑になったこと
すぐにティッシュを差し出した
お姉さんにきちんと
お礼を言えなかったこと、
その後、ほんとに丁寧な対応で
優しくしてくださった店員の皆様に
申し訳なくて、
多くの人の前で吐いてしまったことが
とてもとても恥ずかしくて


ここ最近、
「いつか体調がぐっと悪くなる」
と思っていたそれがきたことも、

昔、非嘔吐過食になった時
吐けなくて手を突っ込んだことも
全部が頭を駆け巡った。



恥ずかしくて
申し訳なくて

吐いてしまった瞬間、
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と言いながら店員さんに
御手洗に連れて行ってもらうのが
精一杯だった。



それでも、御手洗で服を
洗い終わる頃には
冷静に謝礼のことと
私が吐いてしまった床を
綺麗に掃除してくれたお店の方が
いたであろうことを考えていた。


そんな私に、
「もう大丈夫ですからね、」
「これ私が買ってきた靴下ですけど
差し上げますからね」
「暑いですもんね……」
と声をかけてくださった
店員の皆様と副店長さん。



それだのに、父は、
身体大丈夫か?の一言もなく
開口一番、
「明日、
すぐにお詫びのお菓子もっていけよ。
家の下の洋菓子店じゃなくて、
もう少し高価なきちんとしたもの、
自分で買えよ。
お父さんも一緒にいくから」

だった。

お店にお詫びをすることは
重要でない、

と言いたいのではない。


断じてそうではない。


でも、父の頭のなかは、
「食べ過ぎて吐いただけ。」
それだけで、
吐いたあとの私の体調も、
吐いてしまった時の私の気持ちも、
食べきれないと言えなかった私にも
全く気づいていなかった。


この人は、娘が嘔吐しても
お店に迷惑をかけた、
ということだけで、
娘の体調がどうかは気にならないんだ、

私は心の中で改めて悟った。

無論、わざわざ、
戻ってきてくれたこと、
服を届けてくれたこと、
親だから、
副店長に謝罪してくれたこと
はとても感謝している。


でも、

お前ももう26なんだから、
というんだったら、

嘔吐したのは私なのだから
私ひとりでお詫びに行くのに
なんで、
何より先に、
娘の体調もきかずに、
お父さんも行くから
なんて言えるんだろう……



再びバス停に
次のバスがきたのをみて、
「もうリバしないかな……
バスの揺れで気持ち悪く
なったらどうしよう……」
不安がぎゅっと心臓をつかんだ。

帰りのバスに乗ると
今度は父に、

「人に助けてもらったんだから
今度は街で誰かが困っていたら
助けるんだよ」
と小さい子に言うようにいわれた。

当然のことだから普段だったら
そうだね、
なんて流せたかもしれない。
でも先程の発言の後のこれだ。

父は、知らないのか分からないけど
私は(コロナで
期限が切れてしまったが)

上級救命救急認定も
もう6年も持っているし、
つまりAEDの使い方も
心配蘇生の仕方も
人工呼吸の仕方も
一応分かっているし、

街や電車で人が倒れれば
(まぁそんなに多くはなくて
むしろ、私が倒れる側の人間
である率が高いのだが)

駆け寄って声をかけたり
対応したりはするし、

幸い、まだ
そんな場面に遭遇していないけど、
AEDや心肺蘇生、
(この時期は難しそうだが)
人口呼吸が必要な場面に遭遇したら
すぐやるつもりでいるし、
いつも人口呼吸用マスクも、
持ち歩いている。



吐いた後に、バスか……
気持ち悪いなあ……
また吐いてしまったらどうしよう…
とバス停で不安になった。


そんなのわかってるよ、 という文句を
口にできないまま頭の片隅で
その言葉をぐるぐる回していると

「お前も転職活動してるとか
言ってるけどもう27に
なるんだからな。
仕事を探……」

と転職活動の話になっていた。

そして、転職活動と、
私がその話からこぼした
未だに入らない国のコロナの給付金と
まだ終わっていない昨年の
年末調整の話にかわった。

幸い、一度吐けたからなのか、
遠くを見ていたからか、
バスの揺れで再び
吐き気がくることはなかった。


年末調整等に関して話していたのは
わずかだったが、
父はバスから降りると
「あまりお金の話は、
外でするなよ」という。



その時は考える余裕がなかったが、
今よくよく考えると、じゃあ、

お前も26なんだからとか
転職活動がどうとか
家帰ったらすぐに服洗えよとか

そんな話だってバスの中でしなくて
いいじゃないか。


玄関に入る前に、父が再び言う。


「家入ったらすぐに服と靴洗って
お水飲んで」

そんなこといちいち言われなくても
分かっている。

でも、私は黙って、うん、

とだけ返事をして

すぐに部屋着に着替えて、
汚れた洋服を洗い、
靴を洗い、

その後、
お店の方にお詫びのお手紙を記した。


その手紙の執筆最中、
「お風呂入ったらすぐ寝ろよ」
といった父の言葉を聞きながら



いつも、誰に対しても、

親と恋人には
特に嫌だと言えない自分を、

昔、
過食のようになった時、非嘔吐型で
吐けたら楽かなと思って
喉の奥まで手を突っ込んだことを、


昨年の下半期7月に、大きく
体調を崩してから12月の年末まで
ずっと毎月、体調不良と闘いながら
毎日生きたことを、
その辛さの最中も、
恋人や親や、友人の前では
辛い、とか体調悪いとか
言えなかったことを、

大学院生のとき過労で倒れたときに
救急車のなかで、
病院で、嘔吐し続けたことを


思い出していた。


そしてそれを思い出しながら


ー ああ、私がさっきなにか言葉を
発しようとしてた時全部
お父さんに遮られたな ー


昨年体調悪かった時、
家族にも恋人にも
言えなかった自分を回顧して

言えない、んだよなぁ結局。

と心のなかで呟いた。

お風呂に入ってお水を多めに飲んで
日曜日だったのでいつも通り、
次の1週間分の薬をケースに入れた。


心が疲れきっていた。

父には
「謝礼とお詫びは1人で行けるから」
と言った。

むしろついてこないでくれ、
と思いながら。



体調悪いし、着替えが必要だろうと
思ってお店の方が
父を呼んでくれただけで、
明日になってお詫びと謝礼するのに
親がついて来る必要があるか、
と半ばイライラしながら。

「本当にちゃんと
お詫びしに行けるんだな。
くれぐれもお詫びと謝礼の品、
忘れるなよ、
ちゃんとしたもの買えよ」

と再び矢継ぎ早にいう。

ここまで来ると、
過保護でも過干渉でもなく
別の問題がある気がする。


親と分かり合えない。

周りのみんなには
「話し合ったら
わかってくれると思うよ」とか

「ちゃんと
自分の意思伝えたらいいんだよ」
なんて言われるけど

私の言葉を遮られるのに、
私が何も話してないうちから
人様に迷惑かけたからああしろよ、
なんてこんな時に言ってくる人に、
どうやって和解に持ち込むのか
私はもう10年以上、
試行錯誤しているけど未だに
解決策が見つからないのだ。

父だけでなく、母にも。




でも、
私が嘔吐して座り込んだ時
すぐに駆け寄って
ティッシュを渡して、
背中をさすってくれた
やさしいお姉さんがいたこと、

すぐに床を拭いて、大丈夫ですよ
と声をかけてくださった店員さんが
いたこと、

バックヤードに連れて行ってくれて
父にも話をしてくれた
副店長さんのこと。

靴下汚れちゃってるだろうから
これ私が買ったものだけどどうぞ、
と迷わず靴下を差し出して
お店の売り物のお水をすぐ持ってきて
下さって、
「心配しなくていいですからね」
と声をかけてくださった
お店のお姉さんがいたこと、

私は忘れない。

本当に嬉しかった。
とても嬉しかった。



その夜、
お店の方々へお手紙を書いて、
翌日、自由が丘に行って
お店の方々に謝礼の品を、
御礼、と熨斗をつけてもらって購入し、
お姉さんにはさらに別の御菓子を
「ありがとうございます」と
こちらもつけてもらって、
すぐに店長さんに持っていった。


お店の方に店長を呼んでもらい
お仕事の合間に来てくださった店長に
御礼を述べて、
ほんの気持ち程度なのですが……
あとこちらは、女性の店員さんに
靴下頂いたほんの
お気持ち程度なのですが、と
御菓子の袋を2つ渡すと

「わざわざご丁寧に
ありがとうございます。
お身体はもう大丈夫ですか?
今日も暑いですので、
お気をつけてお帰りください」

と頭を下げてくださった。


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私は、店長に
何度も頭を下げて御礼をして
お店を去った。




この世界には、
優しい人がたくさんいる。


お店のお姉さんも店長も
お店の中の出来事だからこそ
助けてくれた部分は
あるかもしれない。
私だって職場で、何か起こったら
何もしない訳では無いと思う。


でも、倒れ込んで、
吐いてる人がいた時、
しかもこのようなウイルスに皆が
怯えている時期に、
通りすがりのお客様の女性のように
さっと寄ってきて
ティッシュを渡してくれて
背中を優しくさすってくれる人が、
どれだけいるだろうか、

御手洗に連れて行ってくれて
自分のために買ったはずの靴下を
どうぞ、とすぐ渡してくれる
機転の利く店員さんが、
商品のお水を持ってきて
飲ませてくれる店員さんが
それを考えずにさっと
やってくれる人がいる。


親が迎えにきた帰り道、まだ、
気持ち悪いなぁと思っている娘に
ただの食べすぎで吐いたと思いこんで
「まさか食べすぎで吐いたなんて
言えないよなぁwww」
なんて笑った父より、

バスの中でぐったりしている娘に
「明日御礼の品を自分で買って
持っていけよ」
なんて、20代後半の娘に、
冷静に落ち着けば
当然そんなこと考えられる娘に、
今、目の前でぐったりしている娘に
「大丈夫か?」よりも、
前にそう、いう父親より、


私が過労で倒れた時
入院費が6万、
2回目の時に、
また6万と言った母親より

優しい他人がいる。

それは、もしくは、他人だから、
優しいのだとも思う。


親だから、優しくするより
他の方々へのお詫びを考えたのかも
しれない。


でも、ストレスで、疲労で
苦しい時、倒れて
救急車行きになるまで
親は気づかなかった。


今回など、嘔吐しても
気付いていない。


優しい他人がたくさんいる。


この世界は、
捨てたもんじゃない。

優しい人たちが支えてくれている。




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余談だが、
その“事件”の日は家にいなかった
母と弟が、翌日の夜に帰宅して、
私と弟と母と、3人で
夜を外にたべにいくことになった。


私が
「あまりお腹すいてない」というと、
「お父さんと何食べたの」と言われ

「昨日、お父さんと夜ご飯を
食べたんだけど、中華。
でも、量が多くて……」


そこまで言ったところで、
「多いなら持って帰るって
言えばいいじゃん」
と遮られ、話は
全然違うものに変わった。

私はそれ以上、
“昨日のこと”について、
父に言えずに我慢してしまったことも、スーパーの食品売り場で、
多くの人の前で
突然吐いてしまったことも、
お客様のお姉さんが優しかったことも、店員のお姉さんが親切だったことも、
父が迎えにきたことも、
父が勘違いしていて嫌だったことも
なにひとつ母に話せなかった。

そして、

嘔吐の翌日に家に帰宅した母に
「今日出かけたの?」と聞かれたので
謝礼を買いに行った話を含めて
話そうとして、
「うん……あの」まで発し
事情を話そうとすると、


「外出たなら出たって
言えばいいじゃん。ごまかさないでさ。
カフェにでも行ったんでしょ」
と言われた。

カフェなど今日行っていないけれど。
私はもうそれ以上話すのを諦めた。


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 新約聖書の、「ルカによる福音書」
の10章25節からの話には、
「善きサマリア人」の例え
載っているが、
(説明すると長いので、話は
リンクに貼っておきます。
Wikipediaですが、
ストーリーはこの通りです)



その日の私にとっての「隣人」は
間違いなく、親ではなく
「お店の方々」であり、
「ティッシュを出してくれたお姉さん」
だった。


 断じて、家族ではなかった。


家族は、その場を見ることもなく、
話を聞くこともしなかったので
祭司やレビ人ですらない。

親は、「何にも話してくれない」とか
「何も説明しない」というけれど、
そもそも聞いてないのは
どちらなのだろう…

#隣人とは

#善きサマリア人の例え

#店員さんの好対応

#神対応

#ルカ1025


ありがとうございます😊サポートしていただいたお金は、勉強のための書籍費、「教育から社会を変える」を実現するための資金に使わせていただきます。