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人生を変える30日チャレンジ27



はやいもので、30日チャレンジも
9割に到達した。

やれば三日坊主でおわらずに
できるや〜ん!!


途中で飽きていたけど、
やっぱり途中まで続けていると
やめる方が気に食わなくて、
投稿だって1/1から毎日ここまで
きてるや〜ん!!

と思わず自分で肘をつつくような
そんな感じになる。




肘で軽くつつく、といえば

近年、CMなどでもその言葉が
使われて少し知名度が高くなった
行動経済学の「ナッジ理論」がある。

(nudgeとは、肘で軽くつつく、
という意味で人に対してゆるやかに
促す、という意味で行動経済学やコーチングでは用いられている。)


ナッジ理論はもともと、文章の文面や表示方法を工夫することで、
その人の心理に働きかけ、
行動と意思決定に影響を与えることだ。


それとなく気づかせることで
ある行動へ喚起させる。


例えばバナナマンさんが
出演しているCMでは、
「いい時計ですね」なんて
設楽さんがいうことで日村さんが
時計のなかの歩数計の数に気づき
あ、階段歩こう!

となる。


 要するに、人間はどのような刺激によってどのように反応、行動するのかという心理学的観点を経済学に応用しているのだ。



 人を助ける、補助するという時も

他ではわからないが特に教育の場では

学習者(児童)に、
何でもかんでも教える、
手取り足取りやればいいものではない。


かといって、自分でやりなさい、
自分で考えなさいということも、

指導者の腕がかなり重要になるものだ。


 少なくとも、私はそう考える。


つまり、手助け、には

直接的手助け
(直接相手に何かしらを与える)と

間接的手助け
(回り回って相手に恩恵を与える)
があり


さらに手助けには、

他の人の仕事(やるべきこと)を
代わる方法と

他の人が仕事を遂行できるよう
サポートする方法
(他の人のやるべきこと自体は奪わない)がある。


 後輩や子どもだからといって
何でもかんでもやってあげるのが
良いわけではなく、

 また、他者がやるべき仕事があって
それを他者がやらないからといって
あなたが(わたしが)代わりにやることが必ずしも正しいわけではない、

ということだ。


相手のできるを奪わない

相手のやることを奪わない


 教育に携わるものとしては、
これは結構、重要だ。

正しいやり方や、答えを教えるのは
簡単だけれども教えない。


必要なのは、

気づかせること、気づき

である。


至極当然のことだがこれを
いかにやれるか、
それも手助けのうちだ。

 そんなことを理解したうえで、
実行に移せるようになったのは、
実はここ2年ちょっとの話なのだが。


チャレンジ27
「周りの人を手助けする」


 働くという面で考えれば、
先程の子どもたちを助けるというだけではなく、当然、同僚や上司を助ける、という場面も出てくる。


 今日は、上司は1人だったが、
同僚が私以外に2人いた。
いつもよりスタッフが多かった。


 特に大きな困りごとも揉め事もなく
たんたんと勤務時間が過ぎてゆく。

 やはり、スタッフが1人と2人では
全く違うし、3人いれば天と地ほど
労働環境が異なる。


DAY11で記載したが、

仕事、というのは、
事に仕える、
ということ。

教育においては、
子どもに仕えるということであり、
仕えるとは相手が上、
自分が下の立場になる、
ということ。
子どもと向き合い、
常に自分が下の立場になって
話を聞くこと、
それで意識はかわる。
子どもが何かをするのにも、
話をするのにも必ず理由があるから。
周りの同僚がそういう働きかけを
しないなら、あなたが率先して
やればいい。
あなたが子どもに仕える事で
子どもたちは、あなたに対して
「この人は向き合っている」と
感じて心を開く。
あなたが子どもに仕えていると、
子どもたちからのあなたへの
対応がかわる、そうすれば、
同僚の人も働き方をかえる
かもしれない。
あなたがお手本になればいい

ということを考えはじめてから、
随分と意識も、働き方も、
気持ちも心の負担も変わった。




 そういえば大学3年の、
最も就活が忙しかった時、
ある会社の方にこう言われた。

働くというのは、
ハタをラクにすること。


ハタというのは、周りの人。

周りの人をラクにするようなことをする。


それを念頭に大学3年の就活時から、
働くことを考えていた(つもりだ)。



事に仕える、とハタをラクにする

はどこもなく通ずる気がする。



「周りの人を手助けする」、

つまり、ハタをラクにすることを
意識した時、今日はどの程度、
何ができただろう。


今日は、社員の他にスタッフが
私含め3人もいて、ずいぶん
やるべき仕事量が少なかった。


宿題の確認はいつもどおり丁寧に、
学習の時間も時間に追われる中で
できうる限り丁寧に一人一人の
学習に向き合ったつもりだ。

ただ、気づいたら他のスタッフが
仕事をしてくれて私がするべき
清掃業務はとても少なかった。


周りの人を手助けする、

という点で振り返ると、

日々、何かしら誰かしらに
かなり手助けしてもらえてるということだ。


帰り道、転職活動でついに、
応募要項を見るだけで
過呼吸を起こすようになった私は、

昨日の、友人とのビデオ通話の時と
同じように、同僚と別れた後の電車で
最寄駅に近づいた頃に突然
呼吸がはやくなる。


マスクの中でうまく息を吐いたり
吸ったりしてみるが、最寄駅の
階段を降りながらも、私はまだ
荒い呼吸を引きずってふらふらと
していた。


ここ1年は特に、

働く  

ということを考えると、

うまく酸素を吸えなくなる。


“まともに” 働けていないからだ。


“まとも”という基準もよく分からないが、少なくとも
経済的に自立できるような、
生活的に自立したような
そういう生き方はできていない。



 数人の友人に、
「教員や教育に絞らなくても、
君の能力や素質を発揮できるところ
たくさんあると思うけどなぁ」
と言われる。


 「君は、自分は何もできない、
何も能力がないっていうけれど、
狭い世界の中で自分のできないことを
できる人と比較し過ぎてるんじゃないかなぁ」

 「気持ちが完璧主義すぎるんだよ」


と言われる。




 私は、誰をラクにしたいのだろう。

 誰をラクにさせられるのだろう、、

 誰を手助けできるのだろう。


 今日は同僚に助けられたが、
同じように私は今日
誰かを助けられていたのだろうか…。


 振り返ってみるが出てこない。


 家に帰宅すると
お風呂は洗ってあった。

 ご飯は母が用意していた。

 周りの人の手助けをするようなことをできた気がしない。


 けれど、日々の生活で、
たくさん助けられていることは
いつも以上に感じた、


 子どもたちの面倒をみたり、
掃除をしたり、勉強をみたり、
そういうことは業務の一環だ。


 親御さんにお話をすることも。

 周りの人がやっていない仕事をすることも。

業務の一環だけれども、

事に仕える 
という意識をもってからというもの、


ずいぶんと気持ちが変わった。


 学習の時間、
子どもたちに教えることはない。

 指導をするのではなく、
考え方を、答えの道をそれとなく
示すのがうちのやり方だ。


 片付けをさせるときも、
掃除をさせるときも、挨拶の時も、

 直接注意したり、
どうすればいいと思う?と本人に
声をかけたりしていた。

 数ヶ月前からそれを少しずつやめ、

さらに、子どもたちに仕える、と
意識し始めてからは、

意識的に子どもたちの話を聞き、
何か注意するような場面でも、
周りの子や日直のような担当の子に
それとなく、

 「みんな準備できていそう?
よく見回してみて」

といったり、

 宿題や学習のときにも、

わかんなーい、とすぐ言う子に、

丁寧に気づかせるだけでなく、
例えば、周りの子に間接的に
教えさせるよう誘導したりしてきた。



今日も、宿題で、
わかんなーい、と鉛筆を置いた
小学1年生の子の元に、
小学2年生の子が来て、

こっちの数はこうでしょ、

で、

こっちの数は指でおるとこうでしょ

合わせたらいくつになる?


とちゃんと答えを言わず、
教えてくれていた。

子どもたち同士だって、
答えを教えずに、導く、
ということをよくしているのだなぁ、

と思う。


 私が子供の相手をしている間に、
もう1人のスタッフが随分と
掃除を終わらせてくださった。




 私はそのおかげで子供に時間を割き
親御さんに「今日はこんなことを
しましたよ」と報告できた。


家に帰ると、父が同じタイミングで
帰ってきて、すぐにお風呂を洗ってくれた。

母が夜ご飯の恵方巻きを出して、
その他のごはんもつくってくれた。



124年ぶりの2/2節分の日。

願い事をするのを忘れて頬張ってしまった。

次の2/3でない節分は、2025年、
その次は2029年らしい。

結構すぐ、なのだろう。


結局、この日は

「誰かを助けた」感覚などなかった。

しかし、

周りの人を助ける


というチャレンジを意識したことで

逆に、普段どれだけの人に
助けられているのか、


よく見ていたはずの子どもたちも、
どのように誰を助けているのか、

を感じることができた。


DAY27の気付き

・「手助けする」を意識すると、
いかに周りに手助けされているのかを
普段以上に感じられる。

・ハタをラクにすることを考える、手助けする、ということは普段から考えるべきことである。

・手助けすることは、「相手のできるを奪わない」ということを、頭においてやる必要がある。


・その時に、ナッジ理論は有効である。


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