今の自分について少しわかったこと。


昨日、こう呟いて、

ふと、いま、もうすぐ死んでしまうとして、

何が諦めつかなくて、何は諦めつくのかを考えていたら、


少し前まで子どもは欲しい
結婚したい

特に子ども欲しいから結婚したいと思っていた、

と自分では思っていたのだけれど、実際、親になりたいと思っているより、

その気持ちは、好きな人との間に愛する子が欲しいという形の気持ちだったから、

そこまで実は私に、子どもが欲しいという欲はなくて、
結婚という形も、将来的に長く生きることを考えたら好きな人とは、結婚したいと思うけれど、

例えばもうすぐ死ぬのなら、なんか別にもうそういうのもいいやと思っている自分自身に気づいてしまった。


そして、やりたいと思っていた仕事とか、夢とかそういうものもわりとどうでも良いって気持ちに今なっていて、


わたしは、実のところ、

"目に見えて分かりやすく燃え尽き症候群"的な人とか
"目に見えてもう明らかに生きる気力ない人"


よりずっと、やる気がない人生を歩んでいるんだろうなと思った。


もうすぐ死んでしまうとしたら何に後悔するか考えたら、今、決まっている、参戦するライブに行けないことだけだったのだ。


あの映画観たいとかあの本読みたいすら、もうなくなっていた。

何かの記事で、僧侶の方が、


やる気が出ない、気力が湧かない、というのは


やったことに対して大きな成果を期待してしまい、そこには到底たどり着けないという思いから、動けなくなってしまう。やる前から結果を求めているのだ、と語っていらっしゃった。


そういえば昨日、本を読もうとして出かけたのに結局友人に相談に乗ってもらったLINEのやり取りで3時間くらいすぎてしまったけど、

そのときにも友人に、

人生において何を大切にしたい?何がしたい?

全部は選べない、
と言われた。


31歳になる人間として至極真っ当で、大人な意見だと思う。


これがまともな大人だろうなと思う。


そのとき、わたしは、全部は選べない、と言われたのを頭の中ではわかっていながら、全部欲しいんだよ、そうじゃなきゃ私は満足しないんだと思っていた。


好きな人と結ばれて、幸せにお互い慈しみ合って生活する経験も、やりたいと思ったことを事業にして自分でやっていくことも研究者になることも、地方移住もすべて。


でも、わたしには、全てにおいて無理だとわかっているから結局何にも挑戦しないんだろうなと自分自身思っていた。



そして、何も選べないし、全て無理だからもう別にじゃあ、今すぐ死んでも構わないやっていう、投げやりな気持ちで人生を生きている。



将来を生きていきたい、生きていこうという気持ちに溢れたら、今できることや、やらなければならないことに着手せねばならないのはわかっているのに、わかっていても何も踏み出さないのは、

失敗するのが怖くて踏み出せないとか

踏み出し方がわからないとか

そういうのだとつい昨日まで思っていたけれど


「○○したい」という強い意志が、

 消えているからなのかもしれない。

それこそお腹は空くから何かは食べるけど、
今何を食べたいという意欲なんてもうずっとない人間で生きてきて、


お腹さえ満腹になるなら別になんでも良い、って感じで生きてきた。

今のわたしは、人生において、そういう感じで、いやなんなら、今、目の前のちょっとした空腹感さえ消えるならもはや満腹にすらならなくても良いくらい、○○したい欲がない。本当の私は、きっと何もない。


昨日友人に相談していたとき、

仕事を得ることが目標なのか、家を出るのが目標なのか、家庭を得ることが目標なのか、研究職につくのが目標なのか、
課題意識となってるトピックに携わるのが目標なのか、つながってるようでバラバラなんだよな

と言われた。


そのとき友人は

多分正直いうと、全て実現するのは不可能ではないと思う。
でも優先順位はつけないと果たせない


と言っていた。

わたしは、


全部果たすなんて無理ってどこかで頭にあったから、けれど挑戦したら無理だってわかってしまうから、全てにおいて何も選べないできたのかもと思っていたのに、不可能ではないと言われて驚いた。


それでふと、たぶん


欲しい仕事ができなくても、キャリアがなくても、愛される経験が、


自分の好きだと思う人に心から、そして溺れられるくらい、の愛される経験が多分1番欲しいと思っているんだろうなとなんとなく思った。


けれどわたしだってそれが、
自分一人で叶うものじゃないこともわかってるし、


今までの経験から言うに、自分が好きな人に愛されたことがないから、


きっとこの先の望みもあまりないと思っている。



それでわたしはまた、


もうじゃあ、いいよ、

と思う。結局、生きて生活していて、愛されている人、を見るのがわたしにとって寂しくて辛いのだと思う。


結婚がしたいんじゃない


とにかく子どもが欲しいわけじゃない


キャリアで成功するのが第一の夢でもない。


多分、愛したいと思う人に、愛される経験が欲しいだけ。



目標が、愛したい人に愛される経験が欲しい、としたら、

今のわたしは、まだ生きるならそれの努力は、もう少しできるだろう。

他人の心はしかし、努力したところで変わるかはわからないから無駄かもしれない。


わたしはそれで、

断られるのが怖くて、拒絶されるのが怖いから結局、


まあわたしが何か頑張ったところで、今のわたしには無理してる状態になるし、その無理してる状態を続けないと好きになってもらえる可能性がないなら、きっと無理だし、


人の好意って気持ちって、もちろん多少は努力で動くかもしれないけれど、

この人がどんなに変わっても別に好きになることはないみたいなのもあるだろうし、

努力だけでどうにかなるもんじゃないし、無理だろうし、もういいや

って諦めている心がどこかにあって、


でも、


進路も恋愛も何もかも、

行動しなければ、本当に諦めをつけなくてはならないことに直面しないから、拒絶されないから、
何も向き合わず何も挑戦しないで


今の、堕落した人生でも、そのままが楽だから、

そして、挑戦しなければぶつからなければ、まだ傷つかずに戻れるから


親のお金で生活して、家でも何にもたいしてしてなくて、10〜15時間くらい寝て、好きなことだけやって生きてる子どもみたいな生活をしてやっと毎日、今は楽しいを続けてるだけ。


わたしは、きっと、


自分は愛される存在だ!とか

好きな人がわたしを好きになる!とか

夢は努力したら叶えられる!とか

頑張ったらそれなりに結果がついてくる!とか


そういうのを感じられる経験をしてないから


そう思えない寂しい人間なんだろうなと思う。


だから


夢を叶えて、愛されまくって結婚もして、わたしの欲しいもの得てる友人が、


めちゃくちゃ不幸になって欲しいって思っちゃうくらい羨ましいんだろう。


で、今なら失敗せず、傷つかずに、戻れるというところで、選ばずにUターンしている、を繰り返しているんだと思う。この、4年ほど。

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