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人生を変える30日チャレンジ⑯


心の中で、いや、頭の中か、
会いたい人がずっといる。


大学1年の時に亡くした祖父。

一昨年、別れた元彼。


最初に16日目のチャレンジを
目にした時、
浮かんだのはこの2人だった。

けれど、いざ16日目の朝になり、
9時半も過ぎて起き上がると、


「会いたい人」と
「会ってみたい人」って
言葉として同じなのだろうか。

と疑問が湧いた。



チャレンジ⑯
「会ってみたい人を挙げる」



会いたい人はすぐに浮かんだ。


でも、会ってみたい人となると、
どうだろう。


「会ってみたい」という言葉を使う時

「一度でいいから会ってみたい」

「ちらっとでもいいから会ってみたい」


など、"一度も会ったことの無いこと"
や"知れた仲ではないこと"が前提とされていると思う。


会ってみたいということばは、

会う(動詞)+~て(接続詞)+みる+たい

という形で、

「していいかどうかわからいので
試しに~したい」

といった意味である。


会っていいか分からないけれど、
別に約束はないけれど、
会える訳では無いけれど
試しに会ってみたい、出来れば会ってみたい、


という意味あいで
「会ってみたい」をとるのであれば


やはり、最初に挙げたような

失った人

が候補に入るものだろう。


「会ってみたい人」となれば、

例えば著名人、芸能人などの名前を
挙げるものかもしれないけれど、


そしてもちろん、私も考えれば
そういう方々が出てこないわけでも
ないだろうけれど、


パッと浮かばなかった。


V6は北海道旅行中に遭遇したし、
嵐はコンサートなどでみたし、

宇宙飛行士の毛利衛さんは
記憶にないけど、昔小学校にいらしたし

長渕剛さんや桜田淳子さんも
小学校にいらしたことあるし、

日常、
芸能人をみかけない訳では無いし、

ゆうこすも、
原宿の@cosmeができた時のイベントで見たし、

これといって芸能人や著名人が
もの珍しい……という、
滅多に現れない動物のような存在ほどではない。


例えば北川景子さん、深田恭子さん

田中圭さん、千鳥の2人、EXITの2人、

とかは会ってみたい!!!と確かに
出る。

おお、結構いるではないか?

あれ、「一度でいいから会ってみたい」
人きちんといる気もしてきた。


さらにいえば間近で、
お話できるほどの距離で
お話が出来る、と言われたら
もっとたくさん出てくると思う。


けれど、会ってみたい人、として
パッと挙がった名前と比較すると、

どこかその熱情のベクトルは違った。

どう違うのだろう。


実在しない人物はどうだろう。

例えば、有川浩の『図書館戦争』の
中に登場する堂上篤。

例えば、「アイドルマスター」の
星井美希。


例えば「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のギルベルトとヴァイオレット。

例えば『星の王子さま』の王子さま。


会ってみたい人として、
パッとあがった。

(け、結構いた…………)


実在しない人物のほうが、
会ってみたいということばは、
しっくりくる。

実在しないその人物は、
物語の中で、想像のなかで、
私の頭の中でしっかりと生きている。

私は1度その世界線に入り込んで
物語を楽しんだ。

だから、私の人生のなかにも、
その人が生きている。

それなのに会ったことがない、


だから、会いたいのかもしれない。


会ってみたい人を浮かべている時、

前を向いている。


どこかで読んだが、
人は、下を向きながらプラスなことを
上を向きながらマイナスなことを
言いづらい?らしい。


なんだか、嘘をつく時に
右上?を見るとかは聞いたことが
あるのだけれど……どうなのかしら?


会いたい人に2人挙げた。

祖父に会いたいのは、
「ありがとう」を伝えそびれたからだ。

祖父は、孫が5人もいたのに、
私たち兄弟一人一人に、
深い愛情を注ぎ、帰省する度に
様々な所へ連れて行ってくれた。

歌も上手、パターゴルフも上手、
地域のお祭りなどの会長も長年ひきうけて、会計などもしっかりしていて、

とても細かいところに気がつき、
祖母にも私たちにも優しく、

しかし兄弟喧嘩が激しくなると
時に厳しく、

そんななかで、
囲碁や将棋や様々な遊びも教えてくれたし、
小さい頃から私たちがくると、
おしゃべりしているのを録音してくれたり、海外に住んでいたときには、

日本で放映されているあらゆるアニメをビデオデッキにすべて撮って
海外の私たちの元へいつも送ってくれていた。


本当に優しくて、心が広くて
社交的で、なんでも出来て、
ダンディーで、お顔立ちもいい
自慢の祖父だった。


祖母が入院することになって
しばらくは私の母が通いながら
一人暮らしをしていた祖父だが、
みるみる元気がなくなって、
お医者さんに頼んでやっと一緒に
入院させてもらった。

入院すると、一層元気がなくなって、
結局、先に入院した祖母よりもはやく
亡くなってしまった。

祖母の最期は、孫が全員集まり、
娘と息子である私の母とおじ、
私の父、おじのおくさん、など
家族総出で亡くなる前日から
集まって祖母の病床にいた。

最期の瞬間にみんな立ち会った、


一方、その1.5か月前に亡くなった
祖父は毎日のように病院へ行っていた
私の母もたまたま行かない日で、
私も母校の文化祭に行くからとたまたまその日は行かない日で、

誰もお見舞いに行かない日だった。

そんな日に、
家族誰にも看取られることなく、
祖父は静かに亡くなった。


母の話によれば、
母が看護師さんからの度重なる電話に
気づいて折り返して、事態を知って
病院に到着し、
呼吸器等と心臓マッサージをやめていいですか、というお医者さんのその問いかけに、了承するまで、
何時間だったろうかずっと心マはされていた。だから祖父の亡くなった時刻は夜、だったけれど、

呼吸停止と心停止は夕方くらい
だったらしい。


母が連絡をとって母が到着するまで
およそ2時間心マされていた。


かけつけた母から連絡があったが、
私はその日母校の文化祭に友人と行き
そこから夜ご飯をたべていて、
何度もかかっていた電話には
全く気づかなかった。


夜ご飯を食べ終えて、
しばらく話し込んで、

それからやっと、
そろそろ帰ろうか、という流れになって携帯を取り出して、はじめて

母から鬼のように着信があり、
当時まだ使い始めたばかりのLINEに

「おじいちゃん、死んじゃった」


と書かれているのを目にした。


私はその日、認識しているなかで、
親族を初めて亡くした。


気づいたら、涙がとまらなくて、

友人たちの前で
ぼろぼろと涙をこぼし、
「おじいちゃん、亡くなった」と
ぽつりと言うのが精一杯だった。

祖父はそれからおよそ1週間ほど
冷蔵されていた。

やっと祖父のご遺体に会えた時

嗅いだことの無い異様な香りと
血の気のない青い身体、
真っ白な顔と手足

に、私はうろたえたのを覚えている。

人が亡くなったのを初めて
目の前にした。


祖父は、もう居ないのだ、
という事実は全然理解出来ず、

祖父より先に病気のために
入院していた祖母が、母の押す
車椅子に乗せられて
霊安室に入ってくると

「おとうさぁん、おとうさぁん」と

祖母の涙と叫び声が私の身体に響いた。


ー おばあちゃん、おじいちゃんのこととっても好きだったんだなー


強くそう思って、私は感じたことの無い喪失感と悲しみをその日初めて
身体中に味わった。

その霊安室と、祖父のお葬式の日、

私は母から、

生まれた時、毎日病院に兄を連れてきてくれていたのは祖父で、

生まれて直ぐにNICUにいれられて、
命の保証はないと言われた私を、
毎日お見舞いしに来てくれたのは祖父であることを母から聞いた。

ありがとうって、伝えそびれた。

ずっと心に残っていた。

そのおよそ1.5ヶ月後、
祖母がなくなる時は、
前日から皆泊まり込みで
もう最期になりますので一言ずつ、とお医者さんに言われた時に、
祖父に言えなかったぶんも、
祖母に感謝を述べた。

それでも、祖父に言えなかったという事実は今も抜けない。
(こう書きながら涙を流すほどに)


もう会えないけれど、
会えるのであれば、祖父に会って


今まで私にしてくれた全てのことに
感謝をしたい。





2人目は、元彼。

彼とは出逢ってからさようならまで
たった5ヶ月。
付き合ってから別れるまでは
たった3ヶ月。
初めて会った日から最後に
会った日まではたった3ヶ月半だった。

彼と別れてから1年以上経って
これでも私は冷静になった。

それでも、彼に会いたいと思う。

別れてからの1年、様々なことを考え
様々な感情に襲われた。


それを乗り越えて、いま私は、
それでも彼に、
直接別れを告げなかったこと、
素直でいられなかったこと、
彼と直接会わずにLINEでのやり取りを重ねてしまったこと、

ありがとう、を
最後に伝えられなかったことを
すごく後悔している。


様々な感情を乗り越えて、
それでも最後に会った時、
彼を好きだったから、
結局私は今も彼のことがきっと、
好きなままだ。

それも、今の彼、ではない。

あの当時の、私の頭の中に残っている、私から見えていた彼、が
好きなままだ。

そして、その感情に決着がつかないまま、1年の月日が過ぎた。


最後の別れ方を後悔していて
だから、会いたい、というのも、
もちろんある。


けれど、これでも随分と冷静になった
私は、彼が付き合う前から
最後に会った日まで私にしてくれたこと、かけてくれた時間とお金を
考えた上で、

彼だって私のあの当時の状況なんて
わかってなかったけれど、
私は私で彼の状況を教えてもらえなくてもそれで冷静に判断する余裕もなかったし、勝手に自信をなくして勝手に不安になって、勝手に甘えたがりだったな、、、とは思う。


それに、
もっとちゃんと甘えたかった。

もっとちゃんと頼りたかった。

たくさん、話したいことがあったし

伝えたいこともあった。


自分より恋愛経験豊富な彼に、
勝手に自信をなくして、
私は頑張らないと愛されないのに、
頑張れない……と焦って、
余計に心も身体も壊れて

それでも彼にうまく伝えられなかった。

もっと、ぶつけたいことも
文句も、甘えたいことも、
好きなところも、嫌なことも、
たくさん伝えたかったけれど
いつも、言えずにグッと堪えていた。

彼氏だから、言えないというより
もともとあまり他人に、
ズバッと言いたいことを言えるたちでもないし、さらにいえば、
人に言う言わないの前に、
自分自身の思っていることが言葉になるまでに、とても時間がかかるのだ。

だから、
悲しい、辛い、嬉しい、
そういう自分の感情に気づいた時には
かなり時間が経っていて、それが
言語化された時にはさらに時間が過ぎていて、

相手に伝えようとする頃には、
とうの昔、のことになっている。

彼とのすれ違いも、
愛情表現が遅くなったのも、
彼に求めていたことを伝えられなかったのも全部それだった。

そして、結局すれ違ったまま
うまく言語が出来ないまま
別れてしまった。

連絡手段も、会えるすべも、
何をしているかも、

知る術のない私にとって、

彼は、もう亡くなった祖父母と
同じような、届かない位置にいるのに

彼が生きているという事実を
消すことの出来ない私は、
心のどこかで諦めきれずにいる。

それでも、彼を失ったことには
変わりはない。


もう会うことができない、
と頭ではわかっているからこそ、


会いたいと強く思う。


言えないまましまってしまった

ありがとう、

愛してる、は


消えることがないのだろうな、


祖父母の死と彼との別れを経て
私は心からそう思う。


会ってみたい人、程度に
これほどのベクトルは向かないけれど


会いたい人には、想いも熱情も
苦しさも感じる。

心臓をぎゅっと握り潰されるような
苦しさが、喉を絞られるような息苦しさがある。



DAY16の気づき

・ありがとうや愛してるは伝えられるうちに伝えるべき。

・会いたくても会えない人こそ会いたい人。

・でも生きている間に、やっぱり会える人にはあった方がいい。

#人生を変える30日チャレンジ

#会ってみたい人を挙げる

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