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弟子より感謝を込めて〜師匠へ〜

この文章が師匠に届くことはないでしょう。
しかし私は今回の生活保護、ホームレスに対するあなたの差別発言とその後の炎上騒動を見て思ったことをここに書き記すこととします。

私は30代の主婦です。
主人と二人で楽しく暮らしています。
しかし今から20年ほど前の経済状況は逼迫していました。
病の母とその世話などで働けなくなった父。
小学生の私と弟と祖母、5人でご飯を食べるには国のお世話になるしかありませんでした。
我が家は小学5年ごろから断続的に数年に渡り生活保護を受給していました。

こう話すと今回の炎上騒動に対する怒りの吐露になると思われるでしょうがそうではありません。
むしろ皆様が生活保護受給者にそんなに関心があるのかと驚きました。
私は生活保護を受けていた立場として、価値がないとか、意味がないとか思われることは慣れており、当たり前のことだと思っていたからです。

今回の騒動の一番の問題はこの受給者、元受給者たちの自己肯定感の低さにとどめを刺すような非情な発言だったことです。
私が経験した生活保護を受給するというとこ、そしてそこから這い出る難しさについてお話しします。少しでも何かが伝われば幸いです。

生活保護受給の手続きは市役所で同級生の親が

東京のような都会と私の故郷のような限界集落との人間の距離感の違いをご理解いただくのは難しいと思います。
小さな噂は瞬く間に広がり誰々さん家の長女に彼氏ができた、相手は誰だなどと程度の低い井戸端会議が日常的に行われる土地で私は生まれ育ちました。

母は私が小4の時に(師匠の母君と同じく)ガンに侵され中学卒業を待たずして亡くなりました。
その間父の事業が傾き母の看病も重なり経済状況が悪化して我が家に役場から人が来て難しい話し合いをします。
その中には同級生のお父さんの姿もありましたが目を合わせてくれませんでした。
今思うとあれが一番最初の生活保護受給の手続きでした。

地方公務員にも守秘義務はあるのでしょうが、噂の出どころはどことも知れず我が家の経済困窮状態は同じ校区に住むものなら誰でも知ってる常識となりました。何せ全校生徒は50人に満たないような小さな小学校のことです、一日あれば十分でしょう。

習い事もやめて母の苦しむ姿を目にしつつ寂しさに耐え、弟をあやし家事を手伝い勉強もそこそこに日々その日を貧しく暮らします。小学校の教師には理解されず差別的に扱われても仕方がないと割り切って過ごす毎日。
父は事業をやり直そうと奔走するもののうまくいかず少し働いてはダメになりまた受給手続きをとる繰り返しでした。

高校進学と他者との格差

中学3年で母が亡くなりますが、父はその前後から酒に溺れるようになります。
それでも私の高校進学と3歳下の体の弱い弟も進学させなくてはいけません。
こうして慣れない現場仕事に従事する間生活保護を脱します。
しかしここからが難しい。
高校入学や中学進級がかさなる一番お金のかかる時期、少し働いただけで山ほど稼げるわけではありません。
父は母の看病中に一度生死を彷徨う大病を患い復帰したばかりで無理も効かない。なかなか生活は安定しませんでした。
私がバイトでもすれば良いと思われるでしょうがそこは田舎、働き口はほとんどなく、そもそも帰りの遅い父の代わりに家事を任されていますから早く帰宅しなくてはなりません。

ちなみに公立高校に進学できた私ですが学費は当然奨学金を借りました。
にもかかわらず学費の支払いが滞っていたのです。
昼休み、事務所に呼び出されることが何度もありました。

早い話が奨学金は生活費として消費されており、私は毎度毎度事務所で頭を下げて待ってもらい、卒業するギリギリに全額を払い卒業証書を手に入れました。
このように子供の頃から大人に督促され、父に代わって頭を下げて猶予をもらうと言う経験は学校関係だけにとどまらず多岐に渡りました。
派手なスーツのお兄さんが玄関先に来たこともあります。
この、数々の経験から得た惨めな気持ちはその後も私の人生にずっとまとわりつくこととなります。

家族に隷属することを当然と思う価値観

高校卒業後は就職も進学もせずに父方、母方、両方の祖母を私が介護することになります。
そもそも高校入学時に「お前は卒業したら家のことをやって父さんを助けてくれ」と言われており私も当然のことと諦めて選びました。
高校三年生時の担任からはしつこく説得されましたが他の選択肢なんてあるわけないと一蹴し「家事手伝い」となります。

長きにわたる経済困窮状態にあった我が家、父はその中で親戚と何度となくいざこざがあり、残念ながら周囲の助けを借りられるような状況ではありませんでした。
ですから私は卒業したら家の為に免許を取り家の為に世話をして家の為にアルバイトをしました。

19歳の頃です。
納得して選んだとはいえ未来の見えない状況、そして父の酒乱がエスカレートして家庭内に問題が多く発生するようになります。
弟がいなければ私は翌日の朝刊を飾っていたかもしれません。
その決定的な事件が起きて一念発起し、私は夜勤のアルバイトを見つけて家を出て通いで家族の世話をするようになりました。

師匠との出会いと別れ

20歳を超えても父から家族としての役割を求められます。
私は家族のために借金をしたり時間を使ったりしました。
就職はとてもできずアルバイトの稼ぎでやりくりする貧しい生活でしたがそれなりに楽しく過ごしていました。

私が25歳を超えた頃父が本格的に体調を崩し再度生活保護を受給することになりました。
その時の市役所の対応は当然のこととはいえ、辛い思い出です。
生活保護は国民の税金であり、なるべく他の道を探って欲しいこと
そのころ私は契約社員で働いていましたが薄給でありました。
私に向けて市役所の係員は懇々と説きます。父を養うことができないか、養えないまでも同居してやれないか、家族なんだから、と。
当時私は交際している人がおり結婚を前提の付き合いで同棲を考えていることなどをアピールしてそこは逃れましたが、本音を言うとそれ以上に同居時代の酒乱父との生活がトラウマとなっており恐怖でしかなかったのです。

どうにか申請が通り、私もできる範囲でサポートしつつ少ない給料でなんとか生活している中、師匠メンタリストDaiGoがニコニコ動画で初めて行った生放送を視聴しました。
それが師匠との出会いです。


私が師匠から学んだことは多くあります。
その中でも3つのことは私の生きる指針として刻まれています。

1.知識を身につけ上手に使って未来を手に入れること
2.筋トレや瞑想などで体と心を健康に保つこと
3.他人の悪口を言う人は避けること

ロジカルに、理知的に語られるその内容とユーモラスな話術に惹かれた私は毎回楽しみに放送を待ちできる範囲で実践しました。
仕事が営業職でメンタル不調に陥りがちだった私にはまさに師匠でした。

その後結婚したり地元を離れたりなんやかんやあった後の環境の変化を上手に受け入れられたのも彼のおかげです。感謝しています。

こんな私だから最近の師匠の言動には危うさを感じていました。
これを言うと「信者」と罵られるでしょうが、彼の意見は当初からあまり変わっていません。

誰かに助けられるのを待つのではなく、自分で助かるべきだ
他人を変えられないから自分から変わって未来を切り開く

師匠はこのような発言を昔から繰り返しており、そのために必要な知識を披露していました。
幼い頃から環境のせいで卑屈さが身についていた私は、自分を鼓舞し成功、、、とまではいかなくても、幸せな今を手に入れました。今後もそのつもりです。

ですが彼はyoutubeを始めてから徐々に他者を攻撃する発言が目立つように感じました。
少しずつ距離を置き、ある時知識を得るために見ているdラボで不快な感情を抱いていることに気づきます。
そしてニコニコチャンネル時代からずっと続けていた課金を終了しました。

師匠の教え、悪口を言う人は避ける

私はそれを実践しました。

生活保護を受けていた人が立ち直るために必要なこと

私は自分の足で立ち上がろうとした、そのきっかけは間違いなくメンタリストDaiGoでした。そのきっかけがあったからのちの素晴らしい出会いにつながったのです。
彼の与える知識は自らを改変するために必要な世界中の文献をわかりやすく行動しやすい形で伝えてくれるもので、実践的である点が評価されています。

本当の論文の知識と差異があるとか、本を解説しているだけで他人の成果を利用していると言う声もありますが、そもそも生活困窮状態の人はどこから手をつけていいかわかっていません。
自ら情報を手に入れることは難しく、正しい情報に辿り着くのはもっと難しいです。その点においてわかりやすい動画形式での学びは受け入れやすくそこから実践して成果が上がればさらに別のことにもチャレンジできるようになります。

彼本人は常々自分が自分の力だけで立ち上がったという自負があると常々発言しており今回の謝罪動画でもそのように話していました。
しかし私から見ればいじめられて(辛かったでしょうが)帰る家があり、暖かい家族がそこにあり、本を買ってもらうだけの経済力がある状態って相当恵まれていると認識します。
私のようにいじめられて帰宅して病んだ家族の世話と痴呆の老人の世話、自分と家族の食事を少ない予算でやりくりして食えるものを作り、片付けし、酒に酔った父を寝かせてから休む。
このような荒んだ生活があるのが、生活保護家庭の根本の辛さであり、国民の税金により命を繋いだという事実を一生負い目に感じながら生きていくという難しさです。
どちらがより不幸かと比較する意図はありません。どんな暴力も貧困もみんな辛いのです。

いつまでもそんなことに囚われてはいけないと教えてくれた師匠の言葉を胸に私は立ち上がりました。

しかし、もし、今立ち直ろうとしている中で必死に彼の動画を見て勉強していた人がいて、その中であの発言を見たらどう思っただろう。きっと辛く、また立ち直るきっかけを失ってしまうのではないかと想像します。

朝のニュース番組でどんな命も平等だという人がいました。
反吐が出る。そう思えるのは自分が平等に扱われた人間だけです。
生まれながらに貧乏だった人と衣食住に困らない経済状況にある人のどこが同じなのでしょう。
私は昔から何もかも持ってる人たちに「平等」と言われるのが大嫌いでした。
そしてどんどん卑屈になってしまったのですが。

DaiGoは差別的です。
本人はこの事件まで気づいていなかったでしょうが間違いなく人間を、生き物を差別しています。
それは彼自身がイジメられた下層の人間であり、そこから立ち上がった自負があるからです。
だから私たちは自分も頑張れば今の状況を変えられるかもしれないと夢を抱いて動画を見たり工夫して努力をします。

こうやって、昔の自分と同じかあるいはもっと辛い状況の人間が立ち直れるかもしれないという希望を、夢を与えておいて平気で踏み躙った罪は大きいです。

もし、万が一にもないでしょうがもしこの文章が師匠に届くなら
周囲の人間をスキルを高めあえるパートナーとして固めるのではなく、普通の友を作ってみてはどうだろうかという提案をします。
排他的な人間性に拍車がかかっているように見受けられるので、交友関係を広げてみると良いように感じます。

今回の件について傷ついた人々にしっかりと謝罪をし、それが相手に伝ること。
今までの知識と経験が正しく活かされることを願います。

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