見出し画像

Emperor of all maladies

本日は本の紹介です。気まぐれに文体を硬くしています。

『THE EMPEROR OF ALL MALADIES』というタイトルの洋書を手に取ったのは8年前くらいのことだったか。タイトルだけ見て何気なく手に取った。diseaseでもなく、illnessでもなく、maladyという言葉を選んでいるところに抒情を感じたからだ(ネイティブがどのような文脈でこの言葉を使うかは知らないが)。病の皇帝とでも訳すのだろうか。日本語にするとあまり抒情がないな、と思った。何について書かれているか予想もせずに読み始めた。そもそも表紙を見ただけでは、それがフィクションかノンフィクションか僕にはわからない。自分がどちらの棚から本を取ったかなんて、毛頭意識すらしていないのだから、予想できるはずもない。期待を抱くことさえなかった。僕の目の前を通り過ぎるだけの本になるだろうと漠然と感じていた。ただ、あらゆる疾病をつかさどる闇の帝王のイメージだけが頭の中に浮かんでいた。

しかし結局僕がその本を本棚に戻すことはなかった。僕はすぐに本を購入し、自分の英語力のなさを痛感しながら、通読することとなった。貪るように読んだといってもよい。それはがんについて書かれた本だったのだが、普通の本ではなかった。どこか文学的で、一度読み始めると人を捉えて離さない魅力を備えた本だった。描写は精緻を極めていた。その筆致には、がんという複雑極まりない病においては、すべてが複雑さを極める他ないという事実を、細大漏らさず書き記そうという意志が感じられた。

そうこうするうちに、いつの間にか邦訳が出版されていた。邦題は『病の皇帝「がん」に挑む』であった。訳がすばらしく原著の雰囲気も失われていなかった。さらにしばらくすると文庫も出版された。文庫の題名はよりわかりやすく『がん-4000年の歴史-』と改題されていた。上下巻と大著であるが、まったく厚さを感じさせることなく、あっという間に読める。

本書には、がんに関するありとあらゆる事象-がんの歴史、がんの外科的治療、がんの化学療法、がんの生物学-が描かれている。本書の内容は、特に医療従事者にとっては衝撃である。我々は医学教育において、現時点で明らかになっている知識を網羅的、表面的になぞるだけである。そこに存在する歴史は捨象されてしまっている。現時点から遡行すると、我々の祖先がいかに愚かしい医療を繰り広げ、いかに危険な橋を渡りながら医療を行っていたかについて知ることはない。ところが、本書にはそれが余すところなく描かれている。これを読めば、医療というものが決して神聖なものではないということがわかるはずだ。現在の医療は、夥しい数の屍(しかも決して少なくない数が今の常識からすれば殺人と捉えられてもよい)の上に築かれているといってもよい。だが、それを批判する権利は我々にはない。「後医は名医」という格言は、いつ、いかなる時代にも成り立つ普遍的真理なのである。

がんの歴史は直線的な歴史ではない。前進後退、右往左往を繰り返しながら築かれてきた非線形の歴史である。本書を読めば、そのもどかしさを追体験することができる。絶対に止めなければならない治療が平気で行われている風景を、指をくわえて眺める以外にない。過去において、医療は一部の狂信的な情熱をそなえた指導者によって、場当たり的に切り拓かれてきたということもよくわかる。もちろん、今でも先駆者は狂気的であるかもしれないが、我々はそれでも当時よりはかなり洗練されたやり方で医療を行っているということを確認するだろう。だが、それが100年後の未来に礼賛されているという保証はどこにもない。

がんの歴史は、臨床試験の歴史でもある。本書では、治療薬の発見や投与法の進歩について描かれるが、その背後にある統計についても、かなりの紙面を割いて描かれている。「根治的乳房切除術」に対する妄信的信仰を是正するために、どれほど膨大なデータ検証が必要とされたか、驚嘆せざるを得ない。エビデンス全盛の現代ですら、権威あるものの言葉に屈することがあるのは、医学の抱え込んだ負の文化なのかもしれない。「われわれは神を信じる。だが、それ以外はすべて、データが必要だ」という言葉は肝に銘じる必要がある。

現在では、誰にとっても常識として知られる喫煙と肺癌の関係についてさえも、それを実証するまでに多くの苦難が待ち受けていた。本書では、タバコ産業との合衆国中を巻き込んだ闘いの軌跡も描かれている。この闘いを通じ、がんに対する予防医学という視点が萌芽し、人類は新たな戦法を手にするのだが、それにもかかわらず、いまだにタバコという化学物質が、いつでも容易かつ安価に入手可能な状態にあるという事実には驚きを禁じ得ない。

著者のシッダールタ・ムカジーは腫瘍学者である。血液・腫瘍内科医として実臨床にあたっていた経験もあり(ひょっとすると今でも臨床をやっているのかもしれないが)、本書は当時の患者の次のような質問に対する回答として執筆されたということだ。

このまま治療を続けるつもりだけれど、わたしが闘っている相手の正体を知らなければならない

この問いは極めて根源的である。がんの正体とは何か。我々はこれに対する正確な回答を今もって持っているとは言い難い。だから、この問いに率直に答えようとすればするほど、一見迂遠とも思われるような話し方を強いられることとなる。がんは決して単なる病気ではない。それは社会的な意味をまとい、文化的な意味をまとい、多様な姿を見せる実体のない何かである。本書を通じて、シッダールタ・ムカジーは誠実に問いに答えようとし、多方向からスポットを当てることによって、得体の知れないがんという何かを浮き彫りにしようとしている。

著者も言っているように、がん研究とは大きな振り子のようなものである。ある時は、我々はがんを打ち負かし、完治できる時代がもうすぐ来るという楽観主義が大勢を占め、別のある時には、がん研究は一歩も進歩していない、研究するに値しないという虚無主義が大勢を占める。しかし、実情はそのどちらでもない。その楽観と虚無の間に立ち、この複雑極まりない得体の知れない何か-がん-を見つめ続けている、誠実な研究者がいるということが本書を読むとよくわかる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?