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術中迅速診断

術中迅速診断について話をしましょう。

文字通り、手術中にスピーディーに病理診断を行うことです。どうしてわざわざそんなことを行うのでしょう。

前に少し話しましたが、術中迅速診断の目的のひとつは、断端に癌があるかないかを知ることです。断端とは手術で切り取った臓器の一番端のことです。ここに癌があるかどうかが重要な争点となります。なぜなら、一番端っこに癌があるということは癌の途中で臓器を切ってしまった可能性が高いということですよね。体内に癌が残っているはずです。この状態でお腹を閉じてしまったらおおごとです。何のために手術をしたかわからないですね。だから断端に癌があるかないかをきちんと調べることは大事です。

「途中で切ったってことは、手術が下手だということですか?」 そんなわけありません。日本の外科医の腕は世界トップレベルです。彼らがそんな初歩的なミスをすることはありえません。じゃあ、なぜ断端に癌があるのか。もちろん肉眼的には癌は確認できません。癌はミクロにあるのです。これが癌の怖さです。浸潤と言いましたね。癌はミクロにどんどん浸潤していきます。そしてこれを放置したままにすれば、いずれ癌は再び肉眼で認識できる大きさまで成長します。再発です。運の悪いことにそれが血管内に入ってしまうと転移の危険性もでてきます。だから、癌の取り残しは決して許されません。しかも、ミクロレベルで完全に取り除くことが要求されます(もちろん、癌の大きさや部位によっては切除不可能な場合はあります)。だから、かなり悪性度の高い癌や術前に周りに広がっている可能性があると判断された癌などの場合は、積極的に術中迅速診断を行って、ミクロレベルでの判断が求められるのです。

もうひとつ、それが本当に癌かどうかを知るために行われる場合もあります。大体の場合、術前に生検を行い、それが癌であることの確定を得て手術が行われます。しかし、臓器によっては生検が難しいものもあります。例えば、肺癌。肺癌の場合、気管支鏡という機械を用いて肺の奥まで入っていき、癌の生検を行います。しかし、これは気管支内しか走行できないので、気管支から遠く離れて存在する癌までたどり着くことはできません。その場合は、臨床的に癌と判断できる別の検査を行って、癌の確率が高いことを確認した後に手術がなされます。これはもちろん確定診断ではありません。だから、あらためて手術中に病変の生検を行って、術中迅速診断を行い、癌かどうかの判断を行います。癌でなかった場合は大きく切り取る必要はありませんから、手術は予定よりも小さくて済みますが、癌であった場合は、予定通り癌としての標準手術が行われます。他には脳腫瘍なども生検が困難なことが多いので、術中迅速診断で悪性かどうかの判定が行われます。


3つ目に、乳癌の手術の際、センチネルリンパ節転移を調べるときに行われます。癌細胞はリンパ管に入り、リンパ節に転移巣を作りながら広がっていくという性質があります。リンパ節に入った乳癌が最初にたどり着くリンパ節のことをセンチネルリンパ節といいます。センチネルとは「見張り」という意味です。術中にこのリンパ節を同定し、そこに転移があるかないかを調べる際に術中迅速診断が行われます。ここに転移がなければそれ以上遠くにあるリンパ節を取る必要はありません。もしも、転移があれば、多くのリンパ節を手術で取り出す(これを専門用語では郭清といいます)必要があります。「そんな面倒なことをせずに全部取ればいいのでは?」と思いませんか。しかし、その考え方はナンセンスです。取る必要のないものは取らない、これは手術の大原則です。しかも、乳癌手術の際に取るリンパ節の場所は、上腕からのリンパ液が通る大事な場所です。ここのリンパ節を郭清してしまうと、必然的にリンパ液の流れが滞り、腕がむくんだり、ひどい場合は腕がうまく動かせなくなったりしてしまいます。上肢の運動は人間の日常生活で非常に重要な機能を果たしていることはいうまでもありません。だから、乳癌の手術の場合は、特に、不必要な郭清をしないで済むように、センチネルリンパ節に転移があるかどうかの判定が大事になってくるのです。

術中迅速診断では標本の作り方も違います。凍結切片という特殊な切片を作成し、HE染色を行います。ふつうの組織診断では、パラフィン包理から標本完成まで1日仕事ですが、術中迅速診断では10-15分程度で標本ができあがります。これはインスタント標本とでもいうべきもので、普通のHE標本とは見え方が異なります。だから、経験豊富な病理医が見ないと正確な診断は下せません。下手すると本当にどうしてもよくわからないという場合もあります。凍結標本での診断には限界があるのです。わかることとわからないことを正確に臨床医に伝えなければなりません。術中迅速診断の標本の見方は実践の中で学ぶしかありません。若手とベテランが2人1組になって、指導を受けながら診断を行います。

結論が下ったら、手術室へ電話をかけます。自分の声が手術室に鳴り響く姿を想像すると当然緊張します。しかし、向こう側の外科医も緊張しながら返事を待っているので、気合を入れてしっかりと声を出します。その際、必ず手術室の番号、患者さんの名前を確認することが大事です。取り違えが起こるのを防ぐためです。

ある外科医は、病理医の声は神の声だと言っていました。それはちょっと大げさのような気もしますが、それほど真摯に術中迅速診断結果を待ち望んでくれていることを知ると、なんだか背筋がしゃんと伸びます。

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