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病理学

病理診断を支えているのは病理学です。医療系の大学や専門学校では当然のように勉強するものですが、一般的にはあまりなじみがないものかもしれません。

病理学とは簡単にいうと、病気についての見方や考え方に関する学問です。もちろん病気は何百種類とあるわけですからそれを個別に網羅すると莫大なものになります。実際、病理学では、それらを個別的に扱ってもいるわけで、そういう意味では膨大な知識の蓄積によって成り立っている学問でもあります。医療従事者であれば、有名なものやよく出会うものに関しては、病名とその特徴を1個1個頭に詰め込んでおく必要があるわけですが、それは医療を生業としているから必要なだけであって、非医療従事者がそこまでする必要はありません。

細かい病気について知ることは確かに面白い(たとえば、ああそれはpolymorphous low-grade neuroepithelial tumor of the youngですね、などと言ってどやれます)ことですが、それよりももっと大事なことは、個々の病名にあまりとらわれず、病気についての根本的な見方・考え方を学ぶことだと僕は思います。この病気についての根本的な見方・考え方をまとめた病理学を「病理学総論」といいます。僕は「病理学総論」については、全人類が学んで決して損しないものだと思っています。

たとえば、僕の愛読する『標準病理学』には、「病理学総論」についておおむねこのように書かれています。完全な引用ではなく、僕なりにまとめて記します。

「病理学総論は、臓器の違いを問わない点に特徴がある。例えば、肺炎も腸炎も、炎症というカテゴリーの中では、臓器が違うだけで組織・細胞レベルでは、本質的には同じことが起こっていると考える。このように臓器の違いを問わず、組織・細胞レベルで起こる変化に注目すると病気の原因は次の5つに分けることができる。①先天異常、②循環異常、③代謝異常、④炎症、⑤腫瘍」

あまりにもさらっと書かれていますが、ここには驚くべきことが書かれてあります。病気の原因ってなんとたった5つしかないんです。シンプルですよね。たった5つのことを勉強するだけで、すべての病気の見方がわかるのです。だから、「病理学総論」を学ぶのはとてもお得なことなんです。

最近では有名人たちが、自らの病気を積極的に公表するようになり、ますます病気を身近に感じる時代になっています。ヒトとして生まれた以上、我々は必ず病気になります。病気から逃れることは絶対にできません。そして、逃れようのないものから無理に逃れようと願うことは、絶望と同じことです。そういうときは、むしろ向き合った方が精神衛生上は安らかになる場合があります。病気はまさにそうです。得体の知れないものは誰だって怖いですが、言語化し、可視化してしまうとだいぶ怖さが薄れます。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」ですね。太古から病気は恐れられる存在でした。それを少しでも怖くなくすために、先人たちは必死でそれに名を与え、目に見える形にして捉えようとしてきました。その営みが今、病理学として結実しています。

池田清彦先生の『新しい生物学の教科書』には、「がん」という単元があります。いまや、人類が絶対に避けて通ることのできない存在となったがんを、高校の教科書が取り上げていないのはおかしいということで、池田先生は「がん」を高校生のうちから勉強するべきだとの主張をなされています。この本を読んだのはもう10年以上前ですが、感動したのを覚えています。この主張には全面的に賛成しますが、今の僕はもうちょっと進んで「基礎病理学総論」という項目を生物の教科書に取り入れたらどうだろうかと考えています(病理学総論の中にちゃんと腫瘍も入っていますので、これは池田清彦説のアップデートバージョンとでもいえます)。すべての若者が、病気についての根本的な見方・考え方を学ぶことができたら、きっと医療リテラシーはもっと上がります。医療情報を取捨選択できる能力は今より格段に上がるでしょう。

僕もそのうち病理学総論をかみ砕いて、このマガジンで書こうと思っていますが、今すぐに病理学総論を知りたい方には、とても良い本があります。仲野徹先生の『こわいもの知らずの病理学講義』です。ベストセラーになったので、知っている方も多いでしょう。まさに病理学総論そのものをコンパクトにまとめてくれている良書です。この本がベストセラーになったという事実が、病気についての見方や考え方を知りたいという思いをみんな持っているということを物語っています。

つまり、僕が色々と語るまでもなく、とっくに病理学ブームはきていますね。大事なことはそれを一過性のブームで終わらせることなく、持続して誰かが社会に発信し続けることだと思います。だから僕はこのマガジンをゆるく、長く続けていこうと思っています。

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