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福井地震の記憶~令和6年能登半島地震に寄せて~

※本記事は、Facebook内の公開グループ:#オンライン防災 内での投稿と同様のものです。リンク先も併せてご参照いただけましたら光栄です。
https://m.facebook.com/groups/711895056039971/permalink/1459466361282833

#能登半島地震   #福井地震 #天候が防いだ二次災害

▼太平洋側、関東在住の私でも揺れを感じた元日の大地震。
揺れ始めがはっきりしなかったので、震源地を近場とする小規模な地震とはどうやら違いそうだとすぐさま察知しながら、情報を収集しました。
父が隣県の福井を出身とする者として、特に実用的な情報は含まれませんが、以下書き残したいと思います。

◆今回、福井県内での大きな被災は見受けられませんが、戦後まもない1948年の夏、震度7規模(現在の基準に換算)の福井地震が発生しました。

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1948_fukui_jishin/index.html

震源地は県庁所在地の福井市から10km圏の直下だったこともあり、同市では2700棟が倒壊し、死者も3700人以上に及びます。
(※ご参考までに、福井市は沿岸部から山を隔てた内陸部に位置するため、全焼や全壊の被害が主でした。市外でも津波による被災の記述は見られないようです。)

◇福井地震が初夏だった一方で、今回の地震は冬でした。
現地の方によると、例年であれば積雪が生じるところ、穏やかな晴れだったそうです。(兼六園の傘に雪が積もっていなかった風景が印象に残ったとのこと。)
私見として、当日の晴天は避難行動中の二次災害を縮小し、その後の救出活動も進めやすかったのではないかと見ています。
一週間後に大雪が発生しており、これによる二次災害の危険性は視野にいれておく必要がありそうです。

◆福井地震に話を戻しますと、当時は戦後の復興と併せて、街路や下水道の整備も全国の中でも急速に進み、今でもフェニックス(不死鳥)が市の象徴の一つとなっています。(※フェニックスは、阪神・淡路大震災発生後の神戸市の象徴でもあります。)
前年に制定された「災害救助法」の適用を国内で初めて受けたそうで、その点でも歴史的な出来事です。

私の父は福井地震発生の6年後に生まれましたが、小学校入学当時も地震活動は続いており、度々生活に影響があったそうです。
大きな揺れが発生したら、銭湯に入浴中の人も、直ちに屋外に避難してきた様子が印象に残っているとのことでした。

◇今回の能登半島地震はまた社会情勢も被災の様相も異なりますが、福井地震を教訓としてきた方々の知恵もきっと支援の一環になるのではないかと思っています。

▲2ヶ月後の今春には北陸新幹線が金沢駅から延伸し、石川県西部・福井県東部を縦貫します。この開通が、現地の混乱を招くことなく、復興の後押しになるよう、県民二世として祈りを込めながら結びといたします。
何かご参考になりましたら幸いです。

🎍🌅🗻謹賀新年🐇➰🐉



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