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怒れない病
怒れない病に犯される私たち
理不尽社会に一言申す
人間生きてると、それっておかしくない?ということにたくさん出くわす。
そういう時にへらへらしてしまう病気、それが怒れない病。
主張するのが下手くそなんですよね。主張するよりもその場の空気を壊さないことや気まずくならないことに注意を払ってしまう。で、まっいっか。となる(主張するめんどくささというのもかなりある)。結果、理不尽なことでもおかしいと言えずにやっぱり消化不良に陥る。
理解されるなんてないだろうというスタンスからくる諦めとやっぱりおかしいと消化不良になる平衡状態。
理不尽への憤りというのは他人に対する期待なのかもしれない。
そんな感じ。昔からよく「怒らないね。」と親に言われてきて、仲の良い女友達にも「何を言っても怒らんね。」と言われてきた。
これは褒められてるようで褒められてないんだよな。そして温厚な性格であるというのともまた違う。単純にその場の空気を自分のせいで壊すことが怖いと思ってるだけなんですよね。
それでも何とか起きた出来事を自分なりに納得しようと思って無理やり納得する。そうすると、だんだん麻痺してきて何が正しくて正しくないのかがよくわからなくなってくる。そういうループに陥る。
最近も、何度かLINEで飲みに行こうと誘われて、日程も組んでいたはずなのに直前になっても全く連絡が来ないので「どうしてる?明日だよね?」と送ると、「あリスケしてくれん?」と返答。
こういうことが同じ人から何度もされたりする。そこで怒れば良いのだけど、「おけ!^^また飲みに行こう!」なんて言ってしまうからたちが悪い。
これが何度か続いて、私はこんな風に考える。
1.まずリスケしようじゃなくて謝ってよ!
2.それから予定が悪くなったのならそっちから分かった段階で連絡してよ!
3.でもまあ忙しかったのかなあ。じゃあ仕方ないか。
何度も同じことを繰り返しされているのに、どうにかその状況を理解しようと3.みたいな思考になる。で、「おけ!^^また飲みに行こう!」
いわゆる"都合の良い男"である。
こういうことが職場だったり友人関係だったりで多々重なって、どんどん嫌になってきた。何でも自己責任にしないと物事は始まらないが、自己責任の仕方が間違っているのだなと最近気づいた。
上記の件で言えば、怒らないといけないのに怒っていない自分が悪いという自己責任の持っていき方が良いのに、あぁ自分はないがしろにされても良い存在なのだなと卑下する方向に考えてしまう。結果、病む。
別に何度約束を反故にされてもそんなことくらいで病まないんですが、色んな方向から同じようなことが何度もあると原因は私にあるのじゃないか?と考えてしまうわけです。
怒れないのは実に罪深い性格だし、ナメられる。いくら"自分"だからと言ってないがしろにされて良いわけがなくて。
別にその場で怒らなくてもいいけど、その人から綺麗に離れる心の強さみたいなものは必要なのかなと思う。
職場でも"蔑ろ"に会うわけで…
職場の悩みをここで書くべきなのかよくわからんが、書いてすっきりするならば別に書いてしまえという気分なので書く。(もちろん個人名や諸々は伏せます。)
模試作成が私の仕事なんですよね。で、作問は誰がするのかというと、講師だったり元講師だったりがするんですね。私も作問をして出題することもあるのですが。
で、その原稿締切日というのがあるのですが、毎年化学(私の担当科目)だけなぜか原稿締切日に送られてこないんですよね。で、1ヶ月くらいして原稿が送られてくる。
原稿内容を見ても支離滅裂だったり意味が不明なものがあったりする。そんな原稿が1ヶ月遅れで入ってくるわけです。
原稿が1ヶ月遅れるともはや手のつけようがないわけです。他科目が2ヶ月かけて編集をするところを数週間しかもらえずに編集しないといけない。
ああ…万事休すだな。と思いながら毎年模試を作っているんです。
で、原稿作成者との間で普通はメールや電話でやりとりができるんですよね。原稿段階ではまだまだ未完成の状態なので、原稿作成者の意図を聴いたり、考慮されていない内容があったりすると、原稿のままでは出題ミスになるからこのように直したいという内容を送って検討してもらうんです。
それが、化学の原稿作成者にメールをしても「好きに直してください。」の一言で終わりだと。
で私なりにギリギリの期間で間に合わせて作って、その出来に上司に怒られる。
しかも、化学担当って私しかいないんですよ。国語も数学も英語も社会もみんな複数名なのに。結局模試作成と並行して他の担当業務(←これもまた重いし、化学担当一人でやってるんだから外してくれよ。と素直に思う。)をやってたらもう無理なんですよね。
我ながらもう十分やってるだろうと。何度も原稿作成者に死ぬほど頭も下げてやってきたが、もうここまでじゃないのか?と。
何度か上司にこの件を打ち明けたが、「じゃあ自分で作る?」と言われた。いや、他の業務も大量に抱えて作問から全てやれるわけがない。
そろそろガチでブチギレてもいいんじゃないか?と思うし、もう本当にこれ以外にもたくさん不満がある。結局不満に対して対応できていないのは自分自身なのだなとも思う。
だって、怒ればいいし。ここで怒らないのはある意味で"保身"の意味もあるんだろうなと自分なりに思ったりもする。これだけかわいそうな状況下でやってるのだから色々大目に見てくれよみたいな(能力が低いので)。
でも、別に大目に見てもらってる感じもないし、結局原稿作成者も私が怒らない、もしくは怒っても怖くないからこういう状況なんだろうなとつくづく思う。
私はここで変わらないといけないなと思う。本当に怒らなくてもいいけど、怒る演技をその場でして、空気をちゃんと壊せる自分にならないといけないなと思う。
自己評価の低さだったり、能力の低さ(つまり誰かに頼る必要のある状況)が実は「怒らない病」を招いているのだろうなと思う。結局「怒らない病」というのは優しい性格でもなんでもなくて単に能力のない人間が「迎合」しているに過ぎないんだろうなとつくづく感じる。
何も言わない、怒らないというのは実に罪深い。
場の空気が凍るとかこいつのやり方はおかしいと思われることに恐れるよりも自分の思うようにおかしいと思ったらもうおかしい好きに思えというスタンスで生きることが大事なのかもしれない。
あとがき
数分の遅刻(2度)をしてからそのペナルティで遅番担当になったけど、これももう3年近くペナルティ解除されてないし。大体絶対他にも長年働いてたら遅刻2度くらいやってる人いるでしょっていう…。っていうか、話を聞くだけでももっとやばいことしてる人よく聞くぞ!!!!遅刻どころじゃない話!!!!
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