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別れのことば

学年主任の責務を終えて、3月末で中学校の正規教員を退職します。
小学校では学級崩壊を起こして進学してきた学年でした。

1年次の学年目標「仲間」、2年次「自信」、3年次「自主自律」を生徒とともに目指し、歩んできたその答えがあります。
私自身の思い出として、ここに掲載します。

*校名、学校を特定できる地名等は伏せてあります。

答辞 別れのことば

教室。グラウンド。廊下。体育館。なにげない場所。当たり前だった日常。ちょっとだけ面倒な上り坂。友達と駆け下りた下り坂。今日でもう卒業。

 あれだけの毎日が、今日で最後だってこと。未だに信じられない。まだ言いたいことがたくさんあったのに、まだまだ一緒にいたかったのに。今日で卒業。
 私たち140名は、今日、この○○中学校を卒業します。

 最初の目標は、「仲間」。

 4月、暖かく柔らかな陽の光のもとで行われた入学式。ぶかぶかな制服。丈の長いスカートとズボン。これからの未来への期待と不安を抱えながら学校に登校しました。横を見れば顔なじみ。前を見れば初めて見る後ろ姿。心臓が破裂するんじゃないかってくらい強く打っていたのを鮮明に覚えています。きれいに積み重ねてあった教科書と、緊張感が漂う教室。先生の声だけが大きく響き、しかし遠く、聞こえていました。

 仲間との心の距離が縮まらないままむかえた5月。近づく体育祭。なにもわからないまま始まった大縄の練習。全然跳べなくて、みんなの不満は、つのるばかり。担任の先生だけではなく、色んな先生にアドバイスをしてもらいました。クラスのみんなで初めて喜びの声を上げた時。それは10回以上続けて跳べたときでした。今思えば、たったの10回。でも、その10回が、本当に嬉しかった。朝や昼の練習を重ねるたびに、不満の声は、少しづつ、励ましの声に変わっていきました。

 夏休みが明けると、待っていたのは分散登校でした。良くも悪くも、もう慣れたものです。パソコン越しに受けたオンライン授業は、ぎこちなかったけど、ちょっとだけ新鮮な感じでした。

 本当は4月にやるはずだった自然教室。コロナ禍でできなかった宿泊行事の代わりに、その一部のPAAを10月に◯◯中のグラウンドで行いました。

結団式では、コロナ禍のない5ヶ月前の世界へタイムスリップして、キャンドルファイヤーを行うという劇を実行委員が演じました。

 「協力の火」、「笑顔の火」、「努力の火」、「信頼の火」の4つの炎を持ち寄って、それぞれの心の中に灯すことを誓いました。朝の体育館の中、みんなで見上げるはずだった星空をスライドで流して見上げました。偽物の星空はなんだか切なかったけど、あの時、少しだけ感じた「一体感」。

 12月、声を出すのが危険なコロナ禍の中で、苦肉の策。合唱の代わりに行われたボディパーカッション発表会。うまくリズムが合わなくてイライラした練習、声を出せないもどかしさを感じました。


 1年も終わりを告げる寒い季節。2年生で行う**遠足に向けた練習ともいえる活動が始まります。みんなの不安をあおるのはコース作り。小学校と違うのは自分で予定を立てること。戸惑いながらも作業に手をつけようとすると、班の中でぽろぽろと声が上がりました。「私これ調べるね」「じゃあルート確認するね」と。この時の私の頭によぎったのは4月の記憶。お互いに見えない線を越えないように気づかいながら、ためらっている会話。まっすぐに友達と向き合うことの気まずさとガラスのような作り笑い。埋まらない距離を感じていた春。しかし、はずむ会話。目と目が合い、こぼれる笑顔。いつの間にか私たちは信頼し合い、ぶつかり合い、笑い合える。そんな関係になっていました。一人ではできないことってたくさんあります。

「仲間」という課題は、仲間を作ることの大切さやその意味を見つけるために与えられたのかもしれない。そう感じました。

あまりにもまだまだ不安定な私たちには、鳥の巣の中の小鳥のように、寄り添える仲間が必要だと知りました。

 次に求められたのは、いつか飛び立つための「自信」。

 2年生へと進級した私たちは先輩と後輩、2つの思いを受け止める立場に置かれました。後輩からは「2年の先輩に負けない」という熱い思いを。先輩からは「後は頼む」という確かな意志を。それぞれの期待に応えるため、そしていつか飛び立つための自信をつけるために周りを見て学ぶ、見学をしていきます。

 5月、**遠足もいよいよ本番。むかえたコース作り。去年の経験を活かして頑張るぞ、と意気込むものの、同じ班には初めて見る人がいました。そう。当然ですが、クラスメイトは変わっています。

しかし、ああ、また一からスタートか。と悲しくなることはありませんでした。仲間の作り方とその意味を、このときの私たちは知っていたからです。班員と仲を深め、協力し合ってコースが完成しました。初めての班別自主行動だ、とワクワクしながらむかえた当日。**で待っていたのはハプニングでした。あれ、この電車、どこに向かってるの?平日なのに**ってなんでこんなに人がいるの?私たち、今どこにいるの…?それでも仲間と話し合いながら力を合わせて、無事に遠足を終えることができました。

先生方には心配をかけたけど、仲間と歩いた**、楽しかった。

 10月、2年生にして中学校生活初めての合唱コンクール。一生懸命やろうとするものの、私たちには目指す姿がうまくイメージできないまま、日々の練習は過ぎていきました。●●●●という大きな会場で、私たちは持てる力を出し切って歌うことができました。ちょっとした満足感があったのもつかの間。3年生の歌声がホールに響くと、空気が一気に変わったのを全身で感じました。張り詰めた緊張感、真剣な眼差し、完成された歌声。全てに圧倒されました。合唱ってこのレベルを目指すんだぞ、って。先輩がその身をもって、伝えてくれているようでした。確かな目標を見つけたのと同時に、不安が押し寄せてきました。はたして、来年の自分たちに同じような合唱ができるのだろうか。**遠足で芽生えた自信は大きく揺れ動きました。

 時を同じくして、3年生から2年生へと思いが託される時期。私たちは、委員長や部長といった学校をまとめる役割を3年生から受け取りました。先輩たちから渡されたタスキと周りからのエールは、積み重ねてきた自信を揺るがすものに感じられました。たくさん見てきた先輩たちの背中が、こんなにも遠かったなんて。それでも、私たちは拙い足取りで追いかけていきました。先輩たちのカッコ良さは、確かな自信、があるからなのかもしれない。今の私たちと同じように、先輩の姿を見て、成功と失敗を繰り返したからこそある姿なのかもしれない。「自信」という課題に向き合うと、その難しさに気づかされました。

背中には折れそうな翼。ただ、一人で飛ぶためには「自信」という心の核は、避けては通れないものでした。しかし周りには温かい仲間。一人ではない。

支えあってこうして私たちは3年生へと進みます。



 最後に求められたのは、大空へと飛び立つために必要な「自主・自律」。

 5月、頼りない翼で臨んだのは修学旅行。京都という広い範囲での行動となり、班員との協力は必要不可欠でした。更には、自分たちのよく知る**ではなく、全く知らない土地を歩くことへの不安も高まってきました。

そんな中で生まれた修学旅行のスローガンの副題は「一人でないって最強だ!」でした。希望の中に若干の不安感が混じった、この言葉。

 例えば2日目班別自主行動。バスの中で見知らぬ人に道を尋ねられ、タイミングを逃して目的のバス停で降りられず、自分以外の班員だけを降ろして次のバス停で下車、先生たちとの待ち合わせ時間ギリギリに到着した人。周りに顔見知りの大人が誰もいない中、体調不良のメンバーを気遣い、行きたい場所を大幅にキャンセルした班。
旅の途中のいろんな出来事から見えてきた、それぞれの思いやりの深さや優しさ。お互いに誰かを支え、そして同時に支えられてきたことを旅の中で深く味わう経験になりました。仲間がいるって本当に最強。1年生の時から意識し続けていた「仲間」という言葉の大切さはここで強く実感することになりました。

 そして程なくして始まった、体育祭の大縄やクラスリレーの練習。

『最後の体育祭』というふうに、枕詞のように行事の頭に「最後に」が付いてしまうことを初めて意識した時でした。全力を出して競技に臨んだ結果の勝敗は、これまでよりも胸に強く突き刺さりました。隣のクラスは悔し泣き、逆隣のクラスは嬉し泣き。全力でやり切ることの意味を再度教え込まれたような気がしました。

夏休みが終わる頃には本格的に受験への取組が始まるとともに、委員会や部活動では2年生への引き継ぎが行われました。自分達がいなければ成り立たないと思っていたけれど、以前よりも着実に後輩が頼もしくなっていて、その姿に頼り甲斐があるなと感心しました。でも「私たちがいなくてもいい。」ということに対して、ちょっぴりさみしいこの気持ち。

真っ直ぐに向けられた後輩からの尊敬の念と自信に満ちたその目を信じて、私たちはタスキを渡すことになりました。

最後の合唱コンクールは、どのクラスも練習に力が入っていました。「優勝」を目指したクラス、結果ではなく最後まで一生懸命、全力で練習に取り組むことを主眼に置いたクラス、それぞれのクラスで目的は違っても、一人ひとりが取り組む姿勢を問われました。取組の結果は美しいハーモニーとなって響き渡り、最後の行事が華やかな賑わいを残し、ついに終わってしまいました。

そして私たちに残されたのは「受験」。

ただひたすらに自分自身と戦っていかなければいけないこの現実は、想像以上に辛いものでした。10月、11月とカレンダーをめくるたびに心に迫ってくる焦り。無情にも近づく入試。勉強する気持ちはあっても、SNSやyoutubuに逃げてしまい、点数が伸びない時期もありました。眠れない、食欲がわかない、お腹が痛い・・心の不安定な状態が体に表れました。けれど同じ思いで頑張っている仲間や支え続けてくれた家族や先生方がいたから、ふらふらになりながらも受験当日まで走っていくことができました。

振り返ってみれば受験という一大イベントは、人生の大きな壁であったと同時に、周囲の支えのありがたさと、自分を自分で律していくという3年生の学年目標である「自主自律」の必要性に気づかせてくれる機会でもありました。


時の流れは残酷です。早くも今日、卒業式をむかえました。

大好きな仲間と過ごした日々がもう当たり前ではなくなると考えると、さびしい気持ちでいっぱいです。いや正直、まだ実感は湧きません。朝起きた時、新しい制服を着た時、きっとそんなさりげない日々の瞬間にふと、仲間がいないさびしさが込み上げてくるのでしょう。

けれど、私たちが一緒に経験し、多くのことを学んできた3年間は消えることはなく、心の中にしっかりと積み上がっています。お互いのことを知らなかった3年前よりもずっとずっと仲良しになったし、互いのかっこいいところだってわかっています。

だから私たちは知っています。

さびしくても自分の道を進まなければいけないと。これから辛いことや挫けそうになることもおとずれるかもしれません。これからきっともっと厳しい現実が私たちを待ち受けていると思います。

ですが、3年間で段階を踏んで培った「仲間」「自信」「自主自律」の力を私たちはもっているのです。それぞれが自分のことを頑張りながらも繋がっている。支え合える。こんな私たちだから大丈夫です。

3年間、私たちを支え続けてくれた、飛び立つ不安に寄り添ってくれた先生方。

毎朝ハンガーにかかっていた、綺麗にアイロンがかけられていた皺ひとつないYシャツが示すもの。
お父さん、お母さん、私の心もそうやっていつも丁寧にととのえ、あたためてくれていましたね。そうやって私たちを支えてくれた無数の手。背中を押してくれた手。その全てに感謝の気持ちを伝えます。

在校生の皆さんへ。
楽しく学校へいくことができているのは当たり前ではなく、周囲の気づかないほどの細やかな無数の支えがあるからです。その全てに感謝をもって過ごしてください。大切な◯◯中学校を預けます。

最後に3年間、共に過ごした仲間へ。

きっと私たちには別れの言葉は似合わないのです。いつも通りの言葉がちょうどいい。私たちは古巣である◯◯中学校から一人で力強く飛び立ちます。

でも横には仲間が力一杯羽を羽ばたかせて飛んでいます。


(原稿を閉じる。2人顔を見合わせ、間をあける)

(2人で)

「一人じゃないって、最高だ」 


生徒代表 3年2組 ◯◯ ◯◯

     3年4組 ●● ●●


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