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子供が生まれた日のこと

私が「子供を産んだ」大分の「くまがい産婦人科」がもうないと聞き

あらさみしい

と思ったのです「くまちゃん先生」「孝子先生」

ただ今

子供は大きくなりました

25?か26歳です

忘れた・・・・

早産で帝王切開、高齢出産

あの破水の時は「清川村で宇田姫さまの生まれたお家」で住

んでいてそこは

ポッチョントイレ

怖かった___


くまがいまで「車で1時間30分かな?」今のところ一番遠い

言われたな

なるべく寝て「シート倒して」行く


くまちゃん先生は

まだおいとこ

早すぎる言わはった

なるべくお腹にいた方がいいのやとも

窓には桜の花が・・・1日桜を見ていたわ

そのお腹の大きい時に

神戸の震災で

友人が

精神を病み

一人でいてたので「見舞いに行く」

その時は切迫流産仕かけた

行くなと言われたけれど

友人のことも心配だった

あの頃

本当に皆「震災のショック」から抜け出せないでいた

くまがいを決めたのは高木くん

においがいいここは美味しい匂いがしてる

いうて決めた

ここはいわゆる「病院くさくなくてね」ご飯が美味しかってん

安心安全な食

でさここで私ははじめての自然分娩でなくて先生ごめんなさい

初めての帝王切開

やってんね

その時のこと

友人の鍼灸師「石坂流」の松田くんが

来てて

旦那がおらん時に

切りましょう

いうことになり

松田くんがあわててた

無事「高木がその時立ち会う」

お腹を切ってすぐ子供は「大分の県立病院に運ばれる」

母乳で育てないとけないので

私はせっせと「乳搾り出す」

高木はせっせと「県病に」乳を持って行く

「せやから、父親いううんか??」ちがうやろー

乳親???

でその松田くんがさ

私がお腹切ってるのに

面白い漫画ばかり持参してくるんよな

痛かったわ

笑いすぎで

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宇田姫様の生まれたお家は

道沿いにあり「畑は目の前」でそこの草ばかり食べてた子供は

大きくなり野菜をあんまり食べませんがな

私たちがここに越した時は

白髪の老人が杖をついて尋ねて来て

「あんたたちかーここに越して来た人は〜このお家に住むと徳がある」言わはった確かにここに住み「7年間生まれなかったのに」子供ができたわ

あのおじいさんはその後見かけない

山のお家に越してからは

よくお水が止まり

川で洗濯もしたし

薪生活やったわ

目の前は全部畑で

鶏は放し飼い

時々小屋に帰ってこない鶏がいて

そtれは木に登るんやけど

夜中に何かに食べられててる


わな。。。


卵を自由にそこらで産むから

探すのが仕事やったわ

面白いことにちょうど21日でひなが生まれるんよな

面白かったな

子供が「小学校に上がる前に」保育園に入れたんやけれど

ある日突然「はるかぜくんが帰る言うてます」と電話

慌てて行くと、門の前で荷物持参して怒ってて

「かあちゃんは嘘いうた、ここは遊ぶとこやないわ||」

本当のことを言う「ごめん、、かあちゃんは嘘を言いました、仕事がしたかってん|」

そう言うと「子供は」「わかったと言うて」保育園

その名前が夢がないんよなここ

「へきち保育園」僻地の僻地やで・・・・

私はあんまり学校にも行かなかったしましてや保育園や幼稚園も行ったことがないし

遊ぶとこやと思うたら違うんやね

小学校で

きちんと集団生活できるるように教育するんよな


今思えば「いじめもあったんやけど」

今のあの子見てたら「友人がいて、仲良くしていて、楽しそうやから」学校は良かったなと思うわ

ほんま

親は先に死ぬしな

友達が大事やわ

思う

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ああ

くまがい産婦人科

なくなったんや

さみしいな


それから友人が

昨日電話してきて

私みたいに

早産やったみたいで同じく県病みたいや

でもさ

おめでとうおめでたいわさ

生まれてきてくれてありがとう

わが子よ


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感謝します











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