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生きてる意味がわかった時

人生がいつまで

あるかは

わからんのやけれど

私は

ずっと

生きてる意味がわからずいて

写真を撮るのも

ああ

生きてはる!!!っていう人を

写してたんやけれども

なんか・・コピペ出来る??

そんなわけないねんけど____


それは多分

自分に自信がないからだった

誰も

私を

誉めてはくれない

抱きしめてはくれない

ある時

インドに行き

その全てが

理解できた

自分で自分を愛する事

自分に自分を二重丸するという事

誰かに

何かとか

そんなことはもう

どうでも良い

生きてるって最高やんか!!!!

notoに

「あのね文書室」が

書いてくれた

FB三浦順子さんが

書きとめてくれた



高木康子さんインタビュー⑦「いま生きとるんが天国ちゃうかな、確かに」

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かめポン(あのね文書室)
2019/02/19 16:48
高木康子さんは、1958(昭和33年)3月3日、大阪・南河内生まれの60歳。
28年前に大分県に移住。現在は竹田市で、機織りをしたり、染色をしたり、布の服を作ったりしています。
インタビュー記事⑥では、つらかった幼少期から脱皮したかのように走り続けた末に、30代前半で完全に立ち止まってしまった康子さんの姿を収録しました。そして、生還…。そのとき「さをり織り」と出合います。
以来、ひたすら作品を生み出し続けてきた康子さん。1日に10メートル以上も布を織ったり、大量の糸を鮮やかに染め上げたりする姿に、聞き手(三浦)はいつも驚かされてきました。
康子さんは、なぜそんなに作ることができるのか。一体どういう風に作っているのか。今回は、創作活動と「縁」についてのお話です。


・ビビるかもしれへんけどね

――「人の縁」についての話なんやけど。
高木先生が以前「人と人とを繋ぐのが自分の
役割やということが分かってきた」っち言い
よったやん?
どうしてそんなことが分かったん?

康子さん(以下・康):
あ、人と人を繋ぐ役割?分からんよぉー!。
何となく?笑。
えっと、Facebookをやっててもそうなんや
けど…Facebookってさ、新しいテレパシー
ツールやと思うんよね、あたしは。
で、よう考えたらもうブログは11年前から
やってて。Facebookはもうちょっと後かな。

やっぱこう、いっぱい人がおるやん?やけど
ウォールとか見ても何となく「この人が気に
なるなぁ」って分かるやん?そんでそのうち
出会うやん?
で、すっごい面白いんやけど「この人はこの
人と合うんちゃうんかな」とか思って、紹介
するやん?そしたらなんかやっぱしすんごく
合ったりするんよ。ほんでまた、その様子を
見られるやん?。ここにいて、テレビ見てる
みたいに。笑

――可視化やな

康:うーん、せやから、まあその、いろんな
意味でビビることもあるかもしれへんけどね

――わたし(聞き手・三浦)も、ビビってた
もんな、最初は。


・人として「繋がってる」って感じ

康:SNSって怖いなぁていうのもあるけど、
それがなかったら出会ってないような人たち
いっぱいおるもん。
あたしは(32歳のときインドを旅するまで)
孤独感あったんや。自分って誰にも分かって
もらわれへんのちゃうんかなというのが心の
どっかにあった。
ほやけどインドに行ったらさ、あたしと同じ
ように思とる日本人が、わんさか旅してた。
(SNSが普及した今)そういう感じの人が、
ここまで会いに来てくれるようになったんよ
何人も。
それで、あたし(インドに行った頃と)何も
変わってないんやなーて思いよったんよ。

――同じ思いをしている人たちを見よったら
自分が分かったりもするよな。

康:機織り教室でもそうやけど、ただ教室に
来てるから「先生と生徒」ていうよりもな、
人として「繋がってる」って感じやんか。
その繋がりって切れへんで、なんとなくこう
ずっと、あるやん。これが縁やったりするん
やんかー。面白いなーて思う。
自分は、人と人を結びつける一つのツール?
…お役目みたいなんがある気がするんよ。
これは直感なんやけど。


noto

していて

これはいい

自分を自分で

見つめられる


毎日は

奇跡で

ここは天国なんやわ

ありがとう

noto


ありがとう

出会ってくれた

友人たち

これから

出逢う人




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