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ダブスタなのよね

GW中に、空いた時間で久々にツイッターをがっつり見てると
さくらももこ先生のキャラクターを流用して、覚醒剤やらのブラックな内容の二次創作がTLに流れてきた。

結構こういうのって、昔からあって
ドラえもんのキャラクターで残酷、バイオレンス表現、やたらオタク表現や思想をもりこんだもの、アンパンマンでムキムキにしたり、手塚先生の絵柄で卑猥だったり、クレしんでアングラネタだったり・・・と人気作故に"皆が知っている"から
過激表現で釣り、ビュー数を稼ぐという行為はツイッターに限らず昔からありました。

原作を含め、冒涜されているようで凄く凄く不快で、ミュート(ブロック)しているのですが、ふと、自分が好きなMADも一歩引いた視線で見ると、同じなのではないか?と考えてみました。
つまり、MADは良くて、前述のパロディはダメってのはダブスタなんではないか?と。
また、中学生ぐらいのころ、(ネットがまだ掲示板やフラッシュ全盛期)
ドラえもんやドラミちゃんの絵描き歌とかでめっちゃ笑ってたし、それこそアンパンマンのマッチョ系も多量にあって、それもそれで当時は不快ではなかったのも事実。

こういった自己矛盾が単にお気持ちなのか、ちゃんと一本筋の通った理論があるのか?を
考えてみようと。

結論から言うと、お気持ちが強いっぽいんですが、
自分の中の考え(気持ち)で受け付けない点を順に書き出すとこうなる。
1.描いている人の思想が強く出ている
2.原作キャラを利用してることに敬意が感じられない
3.改変が社会倫理と乖離している(クスリ、犯罪)
4.原作ではそのキャラが絶対取らない行動や心理で動いている
5.世に出している作品がその二次創作しかない

3,4あたりは重複しているけども、特に1、その国民的キャラに自身の思想を代弁させたりするの本当に無理。

でもさこれ、MADにも当てはまるでしょ? 例えば私自身が凄く好きな
ブロリーMAD。これも歴史は長いですが、
パラガスの「大人のお姉さん」をはじめ、トランクスルー、10円のピッコロ等
キャラ改変とか言ってる場合じゃないぐらい面影ないわけで。

MADも許せない!って気持ちが自分にあるなら、一貫していて
納得できるのに、ブロリーMADは、むしろこれまでの歴史(MADを作ってきた人々)へのリスペクトや系譜さえも感じれてしまっている。

これでは、話にならない。客観的にみたら、どちらも原作改変をしており、かつ、その原作の影響力をつかって、ビュー数を稼いでいるわけだ。

ダブスタじゃん。ってなる。何故MADでは気にもならず、前者のパロディでは嫌悪感が出てしまうのか。

ここが整理できないため、もやもやしたまま、結局ミュート、ブロックで暫定対処している今がある。

現時点において、絶対的な理論が自分の中にはなく、簡単に論破されてしまうような
お気持ちであることがわかった。

もう少し時間が空いたら、また掘り下げてみようかしら。深層心理ではちゃんと答えがあるのかもしれない。
ここで履き違えちゃいけないのは、パロディ自体は好き。 だからこそよくわからなくなっているw

兎にも角にも、だからと言ってわざわざ該当のアカウントに対して、「やめろ!」とか攻撃的にアクセスしたりはせず、お互いに干渉をしない。という最善の外交で済ませたい。

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