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少女と衝動



ある少年に出会った。
成人した男を単に少年と表現するのは少し憚られるが、彼は紛れもなく少年だった。
一見しただけで長年鍛えてきたのがわかるゴツゴツした背格好に、不器用で優しい眼差しを燃やす男だった。
そしてそのある種過剰な不器用さがその男を少年と表すにふさわしい初々しさを与えていた。

少女は彼を食べたいと思った。
その少年を食って食って、貪り食ってメチャクチャにしてやりたい。そう思った。
性的な意味で獲って食ってやろうと言ってるのではない(それはそれで楽しいかもしれないが)。
兎にも角にも人にこんな感情を抱いたのは初めてだった。


かつて少女には恋人がいた。
彼女は恋人のことを深く愛したし、恋人も彼女のことを深く愛した。
しかし、恋人は少女を愛することはできても大切にすることはできなかったので、少女の幸せは傷ついて何処かへ行ってしまった。
きっとあの幸せは、あの日の路地裏に、あのバス停に、あの海に、きっとどこかに迷子になって、もしかするともう永久に帰ってこないのだろう。
少女は路地裏で不安げに怯える恋人を想像して、少し悲しいようなおかしいような不思議な気持ちになった。


少女は別の男と遊びたかったわけではない。
恋人の代わりを探していたわけでもない。
強いてゆうなら誰かに破壊されたいと願っていた。
こんな世界に疲れた心をめちゃくちゃに壊して欲しかった。
そんな時、少年と出会った。

少年は人の心を破壊できるような野暮な男ではなかった。現代では稀に見る慎重さと優しさを持ち、簡単には隙を見せなかった。
決して暖かいだけではない。穏やかなその眼差しの中に時折ちらりと深淵の冷たさがのぞく。
たまらなく恐ろしくなるその歪んだ冷気は少女を虜にした。
その少し乾いた心がたまらなく欲しくなった。

そんな少年はとても不器用に少女へ好意の合図を発信していた。
「私でなければ見逃しちゃうね」
少女は少し驕って心の中でつぶやいた。
彼の好意を受信できる自分を少し好きになれた気がした。

少年を初めて抱きしめたとき、少女は自分よりひと回りもふた回りも大きなその男が小刻みに震えていることに気がついた。
その瞬間少女の心も震えた。
この男を食べたいと思った。

ああ、この人を全部食べてしまいたい。
この心臓ををもぎとって私のものにしたい。
私だけのものにしたい。
私のつくった世界の中に彼の心を閉じ込めてしまいたい。
私の心に彼を思い切り打ち付けたい。
画鋲で、杭で、打ち付けて打ち付けて、打ち付けすぎて私の心が千切れるまで彼を愛したい。

少年は到底人を傷つけることのできないその不器用な優しさで、確かに少女の澱んだ心を破壊したのだ。



少年はもうすぐ遠くの街へ行ってしまう。
2人は遠くに離れて何事もなかったように互いの人生を生き続ける。
少女は、それはそれでとても美しい運命かもしれないと思ったり、でもそんな運命は鑑賞するだけで十分だとも思ったり、何が良いのかよくわからなかった。
きっと少年はこんなくだらないことを考えてはいないだろう。考えてるうちに眠くなった。
少年が今日も良く眠れるといいなと少女は思った。
震える少年を想った。
唇まで流れた涙は少し塩辛かった。




もしまた会えたら
あなたにまた会えたら
とても感謝していること
とてもあなたが好きなこと
他の誰でもないあなたが好きなこと
ぜんぶぜんぶきっと伝えよう


そうしてわたしは今日を生きる。






あなえより、くされ銀行員へ

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