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幼稚園児とプペル歌舞伎を観劇した話

歌舞伎、それは片思いの先輩的な存在

私が初めて歌舞伎を観たのは、確か小学生。学校の社会科見学か何かだったと思います。どんな話だったかは覚えてないし、たぶん理解も出来ていませんでした。

大人になって女性誌でモデルさんやエッセイストさんが、

お着物を着て歌舞伎を観に行くのが趣味なんです

なんて言っているインタビューを読んでは、はぁ、素敵、、、いいなぁ、、、私の周りに歌舞伎の話をするお友達なんていないし、お着物も持ってないし(歌舞伎には着物を着ていくもの、と何故か信じていたw)
という感じで、気になるけど踏み込めない、「憧れの先輩への片思い」的な距離感にあったのが、歌舞伎でした。

そして時は2020年。
きっかけは家事の合間や移動時間に聞き始めてハマったVoicy
Voicyのおかげで、私の世界はだいぶ広がりまして、いろんな事を始めてみたのですが、その一つがこの歌舞伎鑑賞でした。
私のお気に入り番組のひとつ、キングコング西野さん、そして白木夏子さんのチャンネルで「プペル歌舞伎」の事を知り、これは何かのご縁、観なくては!!と思い、遠いとお~い、ところにいた片思いの先輩に会いに行く、(つまり、歌舞伎の観劇)ことになりました。

子供の教育のため、となったとたんお金払える説

しかしながら、歌舞伎は高い。
何が高いって、「敷居」が高いし、「チケット」が高い。
Netflixが出てきて、映画チケットの1800円だって高い、と思ってきちゃってるのに、歌舞伎ときたらきちんと見えるお席だと1万円以上するし、未就学児は入場お断りがほとんど。
(オットが激務のため、幼稚園児の年子姉妹をワンオペで育てるワーママの私。週末ワンオペも多く、とにかく「こどもと一緒に行ける」視点でアクティビティを選ぶのがデフォルト。)

しか~し!プペル歌舞伎は違いました。
6000円の席がありまして(何なら一番安いのは3000円だった)未就学児もオッケー。母娘3人で観劇して18,000円です。
決して安くはないけど、、、どうしよう。ここで母親モードの登場です。
自分の片思いの成就のため・・・だと決して発動しないモードです。

いま流行りのアクティブラーニングよ?
後から観たい、ってなっても観れないのが観劇ってもんよ?
子供にも本物をみせなさい、ってどっかの本に書いてあったわよ?

あっという間にポチっていました。
母親の性として、自分の娯楽のためにお金を使うのは何だか気が引けてしまうけれど、子供の教育となったらとたんに罪悪感ゼロ。むしろ良いことにお金を使えた!という満足感。不思議なものです。

こどもと歌舞伎との接点づくり

憧れの先輩と逢える日(=歌舞伎観劇の日)が近づいてくるにつれ、
如何に幼稚園児たちが歌舞伎を怖がらず、素敵なものとして喰いつかせるか?が私のミッションとなりました。
この初対面の日を素敵なものにしなければ、今後、歌舞伎嫌いになってしまうかもしれないですから・・

私がやったのは、勸玄くんとぼたんちゃんが出てくるYoutubeを沢山見せること。以上。普段は制限しているYoutubeもこの時ばかりは解禁です。
自分と近い年齢の子供が頑張っている姿が、我が娘達にはキラキラとまぶしく見えた様子で、毎日のように、

勸玄くんが8歳だから、私とは3歳ちがうんだね~
私が8歳になったとき、勸玄くんは11歳か・・・

などと、自分と関連付けて勸玄くん、ぼたんちゃんの話をするようになりました。特にお二人の初舞台の映像は、何度も何度も観ていました。
(やたら年齢を気にするあたり、数字に対する敏感期なんだろうなぁ、、と思ったりしました。にわかモンテッソーリ知識より。)


こどもが何を感じて何を持ち帰ったか

観劇の後に、パンフレットを読んで知ったのですが、市川家の歌舞伎は、
「勧善懲悪」のストーリーが特徴だそうです。
もちろんプペル歌舞伎もそのようになっていて、悪者とヒーローが出てきます。こども達は、ストーリーの展開に合わせて、怖い思い、主人公の悲しい思いを理解し、共感していましたし、正義が勝つシーンの、勸玄くんの名台詞、

「だれか見たことがあるんですか!!!」

は影響受けまくりの、今でもおうちで再現しまくり。という状態です。
こんな姿を見ていると、しまじろうコンサートのような、子供向けの文脈で作られた劇でなくとも、作品の世界に入り込めるんだ、と気づかされました。
逆にいえば、このプペル歌舞伎が如何に構成・演出が上手く練られているか、如何に演者の皆さんの演技が素晴らしいか、の証ともいえると思います。
歌舞伎の様式美や、非日常の世界観など、五感でビンビン感じ取っていたのでしょう。大人の私でも、それはそれはビンビン来ましたからね。

わたしの世界と、あの人の世界

年中の長女は観劇が終わった帰り道、ずっとずーっと

わたしも歌舞伎の家に生まれたかった。
歌舞伎の舞台に出てみたい。
どうして私は出れないの。悲しい、悲しい、悲しい。

とゴキゲン斜め。銀座のラデュレで大好きなマカロンを食べさせても、機嫌は直らず。。
親としては、まさかそんな反応になるとは思っていなくて、

毎日お稽古大変なのよ?学校から帰ってもお稽古よ?
生まれた時から将来の職業が決まっているって、ちょっと窮屈じゃない?
でもあなたは自由に何でも選べるんだからラッキーよ!!

などと、大人の感性から紡がれる言葉でなぐさめてみるも、全く効果なし。
今にも泣き出さんばかり。

生まれた環境によって、女の子だから、出来ない事があるという現実を突きつけられた5歳。
ママに読んでもらう絵本『女の子はなんでもできる!』(愛読書です)ではそんなこと言ってなかったじゃん! ・・・そんな風に思ったかもしれません。

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」

「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」

ぶーたれた長女に、私はこのSNOOPYの言葉を贈りました。
最近、UNOやトランプで遊ぶようになった年中さんには、わかりやすい例えです。
歌舞伎の家に生まれる、というカードは持っていなかったけど、あなたなりのやり方で、出来るはず。ゴールは決まってないぜ、と。

私が憧れの先輩と再会した日は、娘にとっては、
自分とは違う、でも何か物凄く素敵にみえるものの存在を知った日でした。

何でもない日、おめでとう。


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