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自分にとどまること

#1月の男と女

GTOです。

新しい毎日、新しい瞬間、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

今日は「自分の花を咲かせる」っていうことについて、いまの私が感じていること、そのイメージのひとつを書きたいと思います。

「自分の花を咲かせる」

それは、本来備わっているゴール。

しかし、ほとんど全ての人が、それを体験せずに終わってきました。

これは、まず「自分になる」ということへの理解から始まる。そう思います。

しかし私達人類は、誰もがすでに「自分」になっている。

最初から「自分」になっている。

なのに、

私達人類は本当に不思議なことをしている。

「自分」から離れてしまう。

誰もが、今の自分にとどまれずに、何かを目指してしまう。動いてしまう。

「自分」ではない、「他の何者か」になろうとしてしまう。

私達に沸き起こる、あらゆる感情は、私を、他の誰かになろうとさせる。

不安、恐怖、惨めさ、あるいは、褒められたい、賞賛されたい、有利に立ちたい…

これらを感じている時も、それは自分。
そこから動かなければ自分。

そこが自分の家なのに、そこから動く。動いて行った先は自分の家ではない

当然、自分の家は、留守になる。

しかし、
何もしないこと。動かないこと。
これは、非常に難しい。本当に難しい。

恐怖を感じているのに、不安を感じているのに、何もしないことは、そこから動かないことは、まるで死んでしまうような恐怖を感じてしまう。

動くと、いっときは解放される。
しかし再びそれに捕まる。そのサイクルからは永久に逃げられない。

動く生き方は、行けども行けども、その道には、一生、何も見出すことは無い。自分の家ではない場所は砂漠の様なもの。砂漠の中に決してオアシスはない。砂漠に種が落ちても花は咲かない。そんな生き方。

動かなければ、すでに自分。
足元が最初からオアシス!
世界はそうつくられていた!

動かずにいること

自分自身への深い受容。
深い敬意が絶対に必要。

それは種が開花して自分自身の花を咲かせる為の絶対的な条件 

動いてしまったことを知ったら、最高な出来事。

新次元思考テクノロジーには、今まで存在していたあらゆる全てを超えた、全てを見通すことが出来る設計図があります。

自分自身の花を咲かせる上で、この存在は本当にすごいことなんです。

移動手段として「どこでもドア」が存在している様な凄さです。

ご興味ある方は、是非触れに来てくださいね。

本日もお読みくださりありがとうございます。

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