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ニンゲンのこと、好きかもしれない

最近はもう、18時を過ぎるとあっという間に日が暮れる。
今日は在宅で仕事をする日だったのだけれども、なんだか色々上手くいかなかった。だからという接続で繋がるかはわからないけど、退勤時間のタイミングで一区切りとして、髪を整え、化粧をし、デートにでも行くのかというような服装で、近くのスーパーの売れ残ってしまっているパンを回収して、公園のベンチまで歩いてきた。これが人間らしさの回復になるのかはわからないけれど、ずっと家にいてサバ缶食べているよりかはマシだと思う。

人間が恋しい。薄々感じていたけれど、最近の自分は異常かもしれない。こんなに人間に会いたがっていた期間が、未だかつてあっただろうか?(いや、ない)
別に死ぬほど暇という訳でもないので、自分から予定を空けて人と約束を入れる訳でもないし、本当は黙々と仕事をこなして精神的な負担を減らしていくのが一番いいとは分かっているつもりなのだけれど、妙な孤独感に襲われて、人間のことばっかり考えてしまう。

急に話を変えるけど、最近のぼくは無職になりたい。今こんな風に仕事をしているのは、結局のところ無職になる勇気がなかっただけなんじゃないかと思う。自分が仕事をしていることについて、全然腑に落ちていない。はやく、自分には何も要らないって言って何もかも投げ出したい。服や靴や鞄や乗り物、そういった俗世のものを欲しいと感じる心を疑ってみると、自分が周りに認められるために作った虚構の欲望なんじゃないかと思えて仕方がない。ラカンについて読んだことがないから何も言えないし、いつか真面目に読んで理解したいんだけれど、曰くして、人間の欲望は他者の欲望らしい。本当は、服も、靴も、鞄も、乗り物も、人間さえも、別に欲しくはないんじゃないかな。

ぼくは今、空港の近くの古いお寺のある街に住んでいるんだけれど、当然一人暮らしはお金がかかる。なんでただ土地に居るだけでお金を取られる場所に住んでいるかと言うと、仕事を東京でやっているからで。仕事の都合で朝早い飛行機に乗る日があるからで。仕事ごときのために、自分の住む場所を縛られるのは落ち着いて考えてみると腹立たしい。好きな人がいる場所に住みたい。ご縁をいただいたという考えもできなくはないし、人の暮らしのうちには仕事があるから、住む場所が仕事によって決まるのは昔からそうなのかもしれないけれど……。

今日も音楽を聴いています。色々要らないとか言っちゃったけれど、誰かにとって思い入れのある音楽を好きなタイミングで聴けるという意味で、音楽のサブスクリプションサービスだけは欲しいかな。

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