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思考を教えてください

他人に日記を見せるってなんだか変だ。変なことをやっているからこそ、ルール無用って感じがする。何か一つのトピックについて書いたっていいし、近況報告のような形で関係のない出来事を幾つか書くのもいい。書き始めてみないとわからないという形だって、いい。
今回したいのは、人について思い悩む話。
ほんの数年前までのぼくは、人のことで思い悩むというのは、非常に俗っぽくてレベルの低い悩みだと思っていた節があって、そういうわけで、実のところあんまり人のことで思い悩むのは好きではなかった。けれども、ここ最近は人のことについて考えるのがすごく心地良い。抽象的な"人は〜"という概念の話ではなくて、個別具体の人についての話。同人作家が異様な解像度でキャラクターを解釈したり、オタクがアイドルの一言一句に目を凝らすように、誰か人について思いを巡らせたり考えたりするという話。
最近のぼくは人について思い悩んでばっかりで、この人はなにを考えているのだろうとか、どんな文章を読んできたのだろうとか、どんな音楽が好きなのだろうとか、そういう純粋な興味みたいな話もそうだし、相手にとって自分という人間は何なのだろうかとか、どう振る舞ってどう接するべきなのだろうかとか、ありきたりだけど全然答えの出ない話もそうだ。多分、多くの人はこういう悩みをもっと早いうちに済ませてしまっているのだろうけれど、ぼくの場合は大人になってから罹患したおたふく風邪みたいなもので、些細なこと一つ一つ考えるとものすごい勢いでドツボに嵌まっていっている感じがする。
(この先の話を細かく書こうとしたのだけれど、書けば書くほど当たり前の話しか出てこなくて、普通の人はとっくに済ませてきている悩みなんだなあ……となっています。)
ただ、このドツボに嵌っている感覚がここのところ本当に心地よい。人のこと知ってみて、わからんなあってなって、またひとつ新しいことを知って、またわからんなあってなって、というのの繰り返しを懲りずにやっている。別にその人がどんな生い立ちでどんな文章を食ってきてどんな音楽を聴いているのかを図録のように集めたところで、それだけでその人のことを理解することは決してできなくて、集めた情報から何かしらのジャンプが必要になるわけであって、その「理解する瞬間」が早く来てほしくて仕方がない。新しい情報をひとつ知るたび、そして新しい一面が見えるたびに、まだこの人のことは何もわかっていないけれど、なんだか愛おしいなあと思える。だから、最近のぼくは人のことばかり考えている。

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