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書くこととアイデンティティ

本当にただのありふれた日記です。
今日は久々に会う先輩と都内を散歩したり、それより更に久々に会う旧知のオタクとお酒を飲んだりして、中々良い一日でした。やはり人と会うのは良い。自分一人の時間も良いんだけれど、何か新しく視野を広げるような話が出てくるのは、人と会っているときだなと感じますね。
コロナが流行って以降、ぼくはYouTubeとかを見るようになってしまって、今では何もやる気が起きない日はハンモックに寝そべってYouTubeを垂れ流したりするのですが、この世界の狭いことといったら。なんとなくでYouTubeをつけて面白そうな動画がないなあと感じるのは、随分不思議に思えます。だって、世の中にはこんなに沢山の面白い事象があって、クリエイターたちが色んな切り口で動画を作っていて、沢山の人がそれを面白がって見ているわけですから。面白そうな動画がないってことはないんですよ。
ぼくが思うにこの犯人はYouTubeのレコメンドのシステムで、「お前こういうの好きだろ」って過去のぼくの視聴履歴から勧めてくるわけですが、それがどんどん狭くなっていって、飛地にある新しい好きなものをおすすめしてくれなくなったからであろうと思います。最早枯れた井戸みたいになってしまっているのです。
つまるところ何が言いたかったのかというと、人と会って話すことってYouTubeのレコメンド機能の対極だな〜ってことです。ぼくと普段話したり会ったりしてくれる人、全然知らん話題や知らん世界を見せてくれて、いつもありがとう。
一人の時間は、そうやって興味を持てた話題を黙々と深掘りするために使うようにしたいです。

以下の引用とタイトルだけで下書きを作っていたのですが、今日の日記は内容がつながるかも!と思い書き出し、結局なにもつながりませんでした。供養です。また次回。

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