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「応答せよ1994」にはまれなかった私のドラマセンスはどうなの?

【2020年12月視聴】

「応答せよ1994」全16話。
「応答せよ」シリーズ3部作の2作目になります。

どのシリーズもとても評価が高く、私のおすすめ作品である「賢い医師生活」「刑務所のルールブック」と同じスタッフによるものと聞いていたので、一度は観ないといけないと思って、期待していた作品です。

観終わって、皆さんの評価ほど心動かされることはなく、そんなに印象にも残らない感じでした。
多くの人がよいと評価している中で、何で私は?と思うけれど、人には好みがあるので、はまらないのは仕方がないですよね。

1994年の出来事を描く中で、現代の結婚相手を推理するというミッションが全編を通して視聴者を楽しませてくれますが、最初から大体分かっています。わざと思わせぶりな画像を挟んできたりして、えっと思いますが、まあ、そういうことです。
最後に種明かしされてしまうと、なーんだとちょっと冷めてしまいました。

私を夢中にさせなかったことはなんだろう?
私自身に時代背景への思い入れがなかったこと、出ててくる人、男女どの人もビジュアル的に好きなタイプがいなかったことかなと思います。
ポケベルは一度も使ったことがないので、その不便さ、もどかしさを想像することはできないし、大学生の暮らしも私たちのものとはちょっと感覚が違います。それぞれのエピソードにも余り共感できず、主人公たちの恋愛にも何で?と思うことが多くて、一緒に泣いたり、笑ったりということがあまりなかったのが残念でもあります。

やっぱりビジュアルが好みの俳優が出てきて、その人たちの誰かに自分を重ね合わせたり、共感できないと私は楽しくないんだと、そういうドラマの見方をしているということが、今回はっきりと分かりました。
多くの人がいいと思っている作品なのに、あんまりはまれなかったことは本当なので、仕方ないし、私自身が一番残念に思うところです。

それから、主役のナジョンと兄と慕う幼なじみのスレギの恋愛模様があるのですが、韓国では女性が身近な男性を呼ぶときに「オッパ」と言いますが、日本語訳に「オッパ」と言うたびに「お兄ちゃん」と訳されていて、それが何か違和感でした。実際にお兄ちゃんとして呼んでいる部分もあるけれど、付き合うようになってからの「オッパ」は二人称としての呼びかけで、名前を呼んでいるのと同じ感じじゃないのかなと思うのだけれど。ほかの作品では、恋人を「オッパ」と呼んでいても名前に訳されている場合が多いです。たんに名前にするとか、「スレギ兄さん」とかほかの愛称でもよかったのでは?
何かいけない恋愛をしている感がずっとあって(;'∀')
それを意図して、わざと「お兄ちゃん」と訳しているのか、そこがずーっと気になって、最後までもやもやしたままでした。
これも私がこだわり過ぎなのか、訳の意図を理解していないのか?

誰もが共感して、絶賛する「応答せよ1994」に共感できない私って、ドラマセンスないのかな?

【その後のつぶやき】
韓国では大ヒットの作品ですが、日本人にはよく分からんことも多いです。
多分韓国の人が朝ドラの昭和時代ものを観ても懐かしくも何ともないのと同じかなと思います。
「応答せよ1994」を観ておくことは、韓ドラ好きとしては必須なのかなと思うし、これぞ韓国ドラマと言えるのかもしれないので、観た、知っているという事実を得ることはできたと思いますが、実際のところ、共感はかなったなー。よかったものだけ紹介するカテゴリーなのに、申し訳ないですが、その時代の韓国の日常が感じられるので、その当時に青春時代を過ごした人には懐かしさやあるあるを実感できるのだと思います。
これの前の「応答せよ1997」「応答せよ1988」を開封したものの、途中で終わっています。
私はどの時代の青春にもはまっていなかったので、共感できず、残念でした。


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