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【コロナきっかけ"人間関係の棚卸し”…?】

コロナ禍のメンタルヘルスに関する記事って無限にありますけど、こちらは一つ新しい視点だなぁと思ったのでまとめてみます(^ ^)

読売新聞


記事の概要

●コロナ以降、20-30代で孤独を感じる人が多い

●オンラインに代わって対面が促進されている2022年に不調を訴える人が相次ぐ

最近、コロナの勢いが下火になってきた(佳境の頃よりは…)ことを受けて、社会の動きが従来の様子を見せるようになっています。
それが、また大きな影響を及ぼしているのだとか。

とくに、学生。
授業等の体制が「オンライン→対面」に切り替わったことで、「元に戻る」ことへの不安が増しているという見解があるんですね。

コロナ禍では願ったりの日常生活が戻るのに、なぜ不安を抱えてしまうのでしょう。
そのキーワードは、棚卸しと剥奪感。



コロナ禍で行われた「人間関係の棚卸し」

個人的には、ちょっとドキリとする恐ろしい概念だと感じた「棚卸し」

まず、棚卸とは
企業の所有する商品、原材料などの資産について、一定時点でのその保有総量を確認すること(コトバンク)
これには、現状の資産を正確に把握し、市場価値の劣ったものを見直すという意味合いも含みます。

要するに、人間関係でも「価値の薄いもの」とそうではないものを振り分ける作業が、コロナ禍では行われたという考えです。

不要不急以外の外出禁止と言われる中、不要不急と言えるほどに会わなければならない人間を厳選したことで、命を張ってまで会う価値のある「コスパの良い人間関係」を築いたのだと、冒頭の記事では考察しています。
付き合う人間関係を利益の寡多で決める習慣が付いたということでしょうか…

一度棚卸しをしてしまった人間関係を改めて引き寄せることは非常に体力を使いますから、その作業に若年世代の不安が募りやすくなっているようです。



不安の要因は「剥奪感」にもある

若い世代に「剥奪感」が強い

という見立ても、冒頭の記事では謳っています。

若年世代は、勉強などの学び、恋愛、結婚等々、目新しいことを獲得していく世代。
そのため、コロナによって「喜びが全て剥奪」されたという犠牲的な感覚が作られたのだということ。

"オトナ"もシゴトを剥奪されるなどの環境には陥りましたが、個人差が大きいため、確かに「世代特徴」としては言えない印象です。
皆が一様に学校に通い、同じように社会生活を送る若年世代は、「剥奪」されたという経験を共有しやすい世代なのかもしれません。



日常に戻るためには

それでは、この不安をどうすれば良いのかということですが…
とにかく日常に戻ってみる
ということが有効かなぁ…と、思うのです。

こういう考察があると読んでいる方もやっぱり不安になるものですが、一つの参考意見として横に置いておきたいなと思うのです。

人の脳のカラクリ的に、恐ろしいものから逃げるより向き合った方が「脳の持ち主」にとって良い結果になることが多いもの。
不安な想いはもちろん人に相談しながらですが、騙されたと思って行動してみるのも有効かもしれない…などと、考えるのでした。

"脳のカラクリ"を説明すると膨大な文章量になるので、それはまた別の機会で^^



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