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【許すという魔法】

何かを許すことのお話。

ぱれぱれの専門は、今までの経歴から言うと精神保健ですが、今日は宗教やスピリチュアルにも目を向けて少し広い視点を持ってみます。


許せない苛立ち

日々の生活で「許せない」想いってありますよね。
例えば、次のようなこと。

人のことにイライラする
●周りに怠慢な人がいて、見ているだけでイライラする
●昔の知人から嫌な想いをさせられたことが忘れられず、その人の不幸を願ってしまう
●話の通じない人がいるが、相手にはそれが伝わらず苛立つ

自分のことにイライラする
●勉強してもしても成績が上がらない自分がクソに思える
●やることなすこと全て裏目に出てしまう



許す魔法

カウンセリングの中で、上のように「許せない」状況にある人から相談を受けた際は、こんなことに気づいけないか試みることがあります。

●自分を許す
●人を許す

変な話、人や事象にイライラしていても、相手や問題は変わらなかったりします。
それでもとらわれてしまい、悶々とした状態をどうやって晴らすのか。

そんなときは「許す」アイディアが大活躍します。
見なかったことにして「やり過ごす」というより、そういう人や事態があることを「そうでもいい」と思える状態になることをめざすイメージです。

そして「許す」には隠し味があって、相手や問題の幸せを「祈る」んですね。
※注:スピリチュアルの話ではありませんよ笑

祈る意識があることで不思議とキモチの変化を感じるようになります。
すぐにできなくても、そんな考え方を知っておくだけok.
こんな話をカウンセリングで行うと相談者さんにとっても思いがけない発想であるようなのですが、納得してもらえることが多いです。


宗教やスピリチュアルで学べる考え方

世界的に著名な宗教は、人を「許す」考えが深いなぁと感じます。

例えば、

キリスト教
聖書の一節に「わたしが復讐する」という文言があるはず。
この「わたし」は、私たち人間ではなくイエスキリストのこと。
つまり、イエスが人間の復讐を代行してあげるから、人間個人は復讐なんてせずに生きとし生けるものへ愛を、という学び。

仏教
「死んだら皆仏」と、言いますよね。
死んでしまったら良いも悪いも皆、同じ仏になるのだというところから感じるものがあります。
死んでもなお恨み続けるというよりは、ある一定のラインで思いを身から離しても良いであろうという学びに聞こえます。

ちなみにワタシは、仕事上「許す」概念は持っていたのですが、「祈る」概念はスピリチュアルのセッションを練習中の友人から教わりました。
不快に思う相手や事象に対して「祈る」ことに目からウロコでしたが、確かに、心の中で相手の今後を祈ることができると、自然と相手へのとらわれが薄れることがわかります。


メンタルヘルスは
一つの学問で学びきれない

メンタルヘルスは、精神医学にせよ心理学にせよ、一つの学問です。
ぱれぱれは精神保健・精神医学が出自的には専門です。

それを突き詰めるのはもちろん大切なのですが、ワタシは心理学や哲学、宗教やスピリチュアルも一つの学問として吸収することに価値を感じます。
いいとこ取りしながらちゃっかり人間理解につなげるのでした。w

末筆ながら、ぱれぱれの相談室は、宗教・スピリチュアルは対象外です。
純粋に精神医学や心理学に基づくメンタルヘルスアプローチでございますよ^^;


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