多様な価値観認め、尊重しあえる社会へ

望月 衣塑子(東京新聞記者)

菅義偉官房長官の会見に出るようになってもうじき3年。会見場にいるのは圧倒的に男性が多い。そもそも官房長官の番記者の男女比率からして男性が大半だ。だからなのか。会見ではジェンダー問題についての質問が極めて少ない。

2017年5月、ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元テレビ記者の山口敬之氏による性的暴行事件について、検察の不起訴の判断が不当だと訴えを起こした際、世の中には衝撃が走った。ニューヨークタイムズやBBCなど海外のトップメディアが続々とこの事件を大きく取り扱う一方で、日本のマスメディアの動きは鈍く、官房長官会見でも男性記者から質問が出ることはなかった。日本のマスコミの意識が依然として「男目線」であることがよく分かる。

世界経済フォーラムが毎年発表するジェンダー格差ランキングでは、日本は昨年、153カ国中121位と過去最低を記録した。政治家も企業の管理職も各分野でまだまだ女性は少ない。ところが、この恥ずべき問題を菅長官に質問する男性記者はいなかった。

3月8日の国際女性デーに関連し、私が、政府主導での政治・経済分野での女性登用が進んでいないと問うと、菅長官は「それは、最終的には国民の皆さんが決めること」と、投げやりな回答に終わった。女性に対して実に失礼で誠意のない答えではないか。菅長官のジェンダー格差への問題意識がこの程度なのだから、日本の政治・経済におけるジェンダー格差が開く一方なのもうなずける。

昨年5月、共産党の志位和夫代表の定例会見に出席して、名古屋の女性市議に対するセクハラ疑惑も質問した。このときも、私の質問が始まった途端、居並ぶ政治部の男性記者たちは手元の携帯をいじり始めた。「そんな質問で時間を潰してくれるな」「面倒くさいなぁ」という無言の圧力や「空気」が伝わってきた。この時の様子は、映画「i新聞記者ドキュメント」にしっかり収録されている。

政治家たちが目指している政治とは何なのか。政治部記者の問題意識はどこにあるのか。こういう場面に出くわす度に、心の奥で疑問が頭をもたげる。ジェンダーの話題や質問になったとたんに「やれやれ」となる男性陣の反応を見るにつけ、毎度のことながら、倦怠混じりの失望を感じる。そのぐらい、政治の世界は遅れているし、国際常識から取り残されている。だが、彼らにその危機意識はない。

では、そんな古~い意識の下、日本では、よい政治がしっかりと機能しているのだろうか。新型コロナウイルスの対応一つを見てみても、働く母親の事情は全く考慮されず、科学的根拠もない中で、今井尚哉首相補佐官らが主導し、全国の小中高校への一斉休校が突如、発表された。

感染拡大防止策や休業補償をめぐっても右往左往を繰り返し、自粛要請しても損失補償は出し渋り、「悩みがパッと解消される」と466億円もの税金を投入してマスク2枚を空き家も含めた全世帯に配布する。世界中で感染爆発が進む中、国民の生命身体を守るよりも、オリンピックを「100%完全な形で実施する」ことに躍起となる——。これが「おじさん政治」の現実なのだ。どうみても国民の不利益にしかなっていないような政治をいつまで許すのか。

呆れている暇はない。ジェンダー格差の改善は、我が国の政治を変える大きな、確実な一歩になるはずだ。メディアに携わる私たち記者が、ジェンダー格差への問題意識を持ち続け、たとえボールが返ってこなくても、政治家や官僚に絶えず疑問を投げ掛け、問題点を報じ続けることで、世代を超えた価値を共有し、世論を喚起していく責務がある。

きっと、その先には、男女やLGBTといった性差や性的指向を越え、多様な個人の生き方や価値観を認め、互いに尊重しあえるような生きやすい社会の姿が見えてくるはずだ。
                                                                                                    

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