ジャーナリズムも「ジェンダー主流化」を

 林美子(ジャーナリスト/「メディアで働く女性ネットワーク」世話人)

 最近、「おおっ」と思ったことがあります。朝日新聞社が4月1日、「ジェンダー平等宣言」を発表したのです。「本社は、報道や事業を通じた発信と、その担い手のジェンダー平等をめざします」とし、具体的にはコンテンツの多様性を大切にし、女性管理職比率(現在12%)の倍増、ジェンダー平等に関する研修などに取り組むとしています。


 私は、2016年に30年以上勤めた朝日新聞社を退職しました。その年のはじめごろ、記事の企画書に「ジェンダー」の言葉を使ったら、デスクに「自分はいいけれど記事にはこの言葉を使わないでほしい。社内でスムーズに通すために、できれば企画書からも削ってほしい」と言われたことを思い出します。「ジェンダー」は読者や編集幹部の反発を招きかねない言葉、「取扱い注意」の言葉だったのです。他の報道機関でも、同じようなことを経験した人がおそらくいるのではないでしょうか。


 朝日新聞の「宣言」を皮肉っているわけではありません。むしろ逆です。「宣言」に至る変化をもたらしたのは、2017年から始まった紙面企画「Dear Girls」をはじめ、ジェンダーの視点を持った記事をたくさん書いてきた記者たちと、それらの記事を支持した読者の力だということは間違いないと思います。世の中は、少しずつでも変わっていきます。一人では変えられないことも、多くの人が行動し、さらに多くの人たちがその変化を支持することで、変わります。


 もちろん、変化は一直線にはおきません。2018年、財務省事務次官(当時)による女性記者へのセクシュアルハラスメント事件をきっかけに「メディアで働く女性ネットワーク」(WiMN)という団体が誕生し、私も設立に加わりました。WiMNは今年2月、会員の声を集めた『マスコミ・セクハラ白書』(文藝春秋)という本を出版しました。そこには、女性たちが取材先や職場で受けた数々のハラスメントの実態が報告されています。「#MeToo」運動が広がり、これだけ暴力やハラスメントの問題が語られるようになった今日でも、いまだに女性への加害行為は止むことがありません。私の直接知るだけでも、これまでに何人もの女性記者が、仕事に関連して被害を受け、非常に深い傷を負い、職場を去っています。最近でも、かつて取材先から被害を受けた知人が、訴えに耳を傾けない会社との長年にわたる戦いに疲れ果てて、退職しました。


 大切なのは、暴力やハラスメントを当事者(加害者―被害者)間だけの問題として見ないことです。加害者が暴力やハラスメントを行う背景には、法制度が不十分だというだけでなく、加害行為を許すような職場の雰囲気や社会的な規範の欠如があります。そういった問題を報道するということは、報道する組織自身が常に問い直される、社会に向けた刃が自らに返ってくるような営みのはずです。


 しかしこれまで、報道機関は「第三者である」「客観的でなければならない」と、あたかも透明人間であるかのように振る舞い、表面上はともかくとして決して自らの問題として引き受けてこようとはしませんでした。ジェンダーは政治や経済を含む人間の生きる場すべてに共通の課題であり、「ジェンダー主流化」は政策だけではなく報道においても貫徹されなければならないはずなのに、実際にはジェンダーは「女性の問題」とされ、ジャーナリズムの周縁へと追いやられてきたのです。


 WiMNの設立趣意書には、報道する私たち自身も「当事者」であることの発見が述べられています。報道機関も、当事者なのです。朝日新聞の「ジェンダー平等宣言」は、その認識を徹底させ、行動を変化させる決意表明だと、私は受け止めています。


 もう一つ、忘れずに付け加えたいことがあります。長く報道に携わってきた女性たちが、かつて自分自身が受けたハラスメントに抗議せず、沈黙していたために、若い世代が今もハラスメントに遭っているとして自らの責任を問う発言をしばしば目にします。その気持ちはとてもよくわかります。
 

 でも、被害者の沈黙には構造的な理由があります。声を上げたとたんに押しつぶされ、追いやられ、無視されてしまうことを、多くの人は知っています。そのこともWiMNの『白書』の中には繰り返し出てきます。だから、責任を問うべき相手は加害者や、沈黙を強いる職場の文化・社会構造であり、被害者は100%悪くありません。声を上げた人も、上げない人も、どちらも大切な隣人であり、大切な自分自身です。報道は声を上げた人に注目します。それらの報道を、声を上げていない人たちも必死の思いで見つめていることを、常に自覚する必要があります。そして、声を上げたければ安心して声を上げられる社会にしていくことが、報道の大きな役割だと思います。

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