アートとパリテ

竹田恵子 
東京女子大学女性学研究所教員/EGSA JAPAN(芸術におけるジェンダー/セクシュアリティ教育を考える会)代表

 現代美術やアートといった「クリエイティヴ」な仕事にはリベラルで、先進的なイメージがあるかもしれない。筆者も実は深く関わるまではそのようなイメージを持っていた。しかし実情はほとんど正反対だ。芸術に携わる職業には、芸術家だけではなく、学芸員、アートマネージャーなどがある。それらの職業には女性の割合が多く、芸術を学ぶことのできる大学の学生も全体としては女性が多い。しかし美術館に収蔵されるような評価される作品の作者は男性が圧倒的に多く、教員や美術館館長も男性が多い。つまり、そこには低い地位には女性が多く、高い地位には男性が多いという構造がある。これは日本社会全体の傾向と変わらないものの、さらに女性に厳しい状態だとわたしは考えている 

*参考:『美術手帖』2021年2月号、『ガールズ・メディア・スタディーズ』(共著、5月刊行予定、北樹出版)


 そもそも芸術教育の構造や、芸術を評価するシステム、芸術を歴史的に編成する視点そのものが女性に不利に働いていることは既に諸研究から明らかになっており、その不均衡を是正しようと活動されてきた方がたがいる。そしてとくに2019年以降はその動きが大きくなった。芸術分野でのハラスメント問題も取り上げられ、ジェンダー・バランスに配慮した国際美術展や、ジェンダーの視点からの展覧会も開催されている。筆者もそれらの活動の末席に加えていただいているのかもしれない。


例えば、展覧会に女性作家の割合を増やすというと、「実力が足りない人が選ばれてしまう」というお決まりの文句がある。これは政治など、どの分野でも言われることだが、これに関してはわたしはつぎの2つの点を指摘したい。ひとつには前述したように、そもそも不均衡を生み出す教育や評価システムが存在することを無視してはならないということだ。芸術はその価値が客観的にはわかりにくい分野である。自分が今まで依ってきた評価軸を疑ってみることも大事なのではないか。ふたつめにはジェンダー・バランスが不均衡な業界で「生き残る」女性は、そもそもその不平等な業界の価値観に適応し、価値観を内面化してしまっている可能性があるということだ。そうなると、そのわずかな女性がいたところで、業界の構造自体は再生産されてしまう。だからこそ、再生産を許さない女性、いろいろな信条をもつマイノリティが必要なのだ。つまり「数」が必要、ということだ。


 芸術とは人間の営為のなかで、現状を超え出ようとする精神に根差した活動であるとわたしは考える。そうであるなら、芸術は何よりも先進的な未来のヴィジョンを持たなければならないのではないか。これはジェンダーに関しても同様であろう。


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