コロナとパリテ

山崎友記子(NPO 法人全国女性シェルターネット事務局長)

非正規労働者の大半を占め、飲食や宿泊業に従事することが多い女性の雇用は、コロナの影響でかつてないほどの大変なダメージを受けた。加えて、コロナ禍において、DVや性暴力など女性への暴力が世界中で急増したことがみとめられている。女性にとってはもう踏んだり蹴ったりである。前年に比べ、女性だけ自殺が増えたこともその表れではないだろうか。
しかし、ではコロナがなかったとしたら、女性の暮らしは平穏無事だったのか。そうとは言えないだろう。女性労働者の6割近くが非正規雇用で、簡単に雇用の「調整弁」とされる危険性をはらんでいた。一時の人手不足のため、仕事には困らないだろうと目くらましされていただけだ。DV 被害も今に始まったことではなく、もともとあったも
のが、パートナーと長時間、過ごすことになって当事者が自覚するようになったり、より苛烈な被害を受けることになったりして、顕在化、鮮明化しただけの話ではないかと思う。
もともと社会の中で女性は脆弱な状態、立場に置かれていた。だから真っ先に影響を受けた。それだけのことではないのか。
しかし、(性の多様性からすると少し乱暴な言い方だが)社会の半分は女性であり、決して少数派ではない。にもかかわらず、なぜこのような不利な立場に置かれ続けているのか。なぜ不利益を受けていることを世に向かって問い、その声を代弁し、制度・政策を変えていく力になりえないのか。それはとりもなおさず、議会の場に女性がいない、少なすぎるからではないか。組織の意思決定層の中でも究極の、国の意思を決定する場にあまりにも女性が少ないこと。そこに原因を求めることに疑いの余地があるだろうか。
……社会の責任ある地位にもっと女性が多く就くべきなのはもっともだ。そのために議員定数や組織役職者の一定割合を女性枠にするのも有効だろう。ただし、それは数の偏りを自然な姿に近づけるためで、高位の女性が増えればそれで社会が良くなると幻想を抱くのは禁物である。(中略)コロナ禍の家庭や職場で女性が追い詰められている。しかし、今より女性議員が多かったら、彼女たちがもっと楽だったのかは疑わしい。(2021 年3月6日付毎日新聞朝刊「時の在りか」より)
これは国際女性デーを前に編集委員が「看板コラム」に書いた一節だ。なぜこのタイミングでこのようなことを書き、掲載されてしまうのか、私は目を疑った。長く日本の政官界を取材してきたという彼の目に映るものは、おそらくその「世界」にいる人たちと同じ風景なのだろう。私はその世界に住むの人たちと対峙し、突破していかなければ女性たちは救われない、との思いを新たにしている。

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