2011年11月19日『UFCとわたし』
【10年前の11月19日のコラム】
UFC。衝撃のスタートからグレイシー柔術にはある種のシンパシーを抱いていた。VTJ95の後はUFCに、と本当に考えていた。本気の妄想だ。
でも、無差別トーナメント廃止後もしばらく重い2階級だけだったのでエンセン井上や高橋義生さんといった友人が出ていても、自身のMMA中断以後はUFCはどこか遠い存在だった。柔術に挑戦しだしたこともそれに輪をかけたのだろう。ジコチューで済まんが。
修斗とも交流があり、面識もあったジョン・ペレッティ氏がマッチメイカーとして参加した98年前後から本格的スポーツとしてのUFCのカラーがより明確になってゆく。
2000年前後には当時実施されていない階級を含め、ほぼ修斗に似せた(?)階級表が存在したはずだ。
ジェンス・パルヴァー、宇野薫、BJペンをフィーチュアした70.3kg級もさることながら、パット・ミレティッチやカーロス・ニュートン、マット・ヒューズらがひしめく77.1kg級はこれはヤバいことになってる、と危機感を抱かせるに十分だった。
丁度そんな中、WOWOWさんから解説者の依頼が届く。以前の放送開始時のUFC36、2002年3月のことだ。以後約2年間、携わらせて頂き、大変勉強になった。当時の関係者の皆様には大変感謝している。
それでも、だ。僕の最大の関心はジャパニーズMMAだったことは素直に認めなければならないだろう。それほどPRIDEを有した日本はある意味世界の中心、だった。
目を背けていたわけではないが、出遅れたようには見えるだろう。それも認めたっていい。認めることからすべて始まるのだ。
今やUFCは上がることすら簡単な世界ではない。グレイシー以来の〇〇、か。よし! 挑戦だ。
初出:2011年11月19日のウォール
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?