音楽難しすぎる

先日、新曲をリリースしました。全員聴いてきてください。

聴きました? じゃあ本題に入ります、音楽難しすぎる。


・音楽難しすぎる

夜中まで曲作って、起きて、聴いたら全然気に入らない。DTMとは精神を対価とした趣味である、とはよく言ったもので[誰によって?]、毎朝毎朝自分が生み出したクソ曲と対峙して、毎朝毎朝心が折れています。深夜「俺天才か?」と打ち込んだ名曲が、次の朝にはBPM早いしシンセの音埋もれてるし声ネタは不協和音になってしまいます。やってられないよな。特にBPMは体調によって変わるぜ、やってられないよな。

音楽ってともすれば50回も100回も聴かれちゃうわけじゃないですか。これは他の創作にはない特徴だと思っていて、つまりそれだけ粗を無くす作業が大事になってきます。50回は聴かれないにしても、3回聴かれて引っかかるような違和感はすべて潰さなければならない。

さらにその上、聴く環境の違い、という課題も頭を悩ませます。「パラドクスの新曲が出たから、いいスピーカー繋いで聴くぞ」なんて人が世の中にどれくらいいるでしょうか。スマホでちょこっと聴いて、そこで判断されるのが関の山ではないでしょうか。

想定できるすべての環境で自分の曲を聴いて調整を重ねる。この環境の違いというのは本当に厄介で、家でオーディオインターフェースを通してマスタリングしたものを、翌朝電車でスマホから聴いたらベースが全く聴こえない。そんなことの繰り返しです。Evernoteに修正箇所をメモって、その晩直す。もしかしたらその違和感は環境に起因するものではなく、一夜明けたことによるものかもしれません。いずれにせよ毎日1つずつ潰すしかないのです。そうして毎日毎日同じ曲を聴いていると、次は「慣れによる違和感の消失」と「飽きによる違和感の出現」との戦いが始まります。味見は最初の1口目しか意味をなさず、2口目からは「1口目との差分」でしか推し量ることができないのです。

俺は耳をぶん殴りながら音楽を作ります。

曲を聴く環境の話に戻ります。これがもし一般的なものごとであれば、ひとまず上限に合わせておけば下限でも成立したりします。しかし音楽に関してはそうはいきません。俺がどれだけ金を掛けてモニタースピーカーを買おうが、それで持ち上げた低音は電車のガタンゴトンにかき消されるのです。

金で思いだしました、音楽は金が掛かります。(←すごく馬鹿な文章ですね。←自分で自分を客観視できていて素晴らしい、客観視はいいこと)

俺くらいのペーペー(これカタカナですか? カタカナのつもりなんですけど自信なくて)でもソフトやハードで結構な金額掛かってます。対して、一般的にサブスクリプションでの収入は1再生で0.1~1円とされています。果たして世のアマチュアミュージシャンの中で、一体どれだけの人が機材に掛けた金額を回収できているのでしょうか。さらにどれだけの人がそれで生活できるようになるのでしょうか。

……というところまで考えてふと気づいたのですが、趣味に使った金を回収できるかもしれない時点で音楽という趣味は優れてますね。他の趣味って使いっぱなしだから。すみませんでした。みんなも思考は言語化していこうね、整理が付くぜ。

毎日毎日気に入らないところの微調整だけで時間が途方もなく過ぎていきます。これは俺のスキルが足りないから時間が掛かっているだけという説もあります。とはいえ、曲の大部分ができあがっているのにそこからパタリと進行が止まり、ちまちました作業を繰り返すのはなんとも悶々とします。完成という名の「まあこんな感じですかね」という判断を下してからも、各配信サービスへの申請でまた数週間掛かる。「俺天才か?」と思った夜から、実際に聴いてもらって「あなた天才だね」と言われるまでに数ヶ月のラグがあり、そこでまた1つフラストレーションが溜まるということです。そしてこれは大事なことなんですが、「あなた天才だね」は、言われない可能性のほうが高い。

お笑いをやっている人が周りに多いので、よくお笑いと音楽を比べてしまいます。コントや漫才は100回聴かれないし、視聴環境の違いもないし、ウケという即時のリアクションがあるし、いいな~としょっちゅう憧れます。

お笑いはお笑いでもちろん大変です。一発勝負であること、客と実際に対面して行われること、即時のリアクションとはいえやっぱりネタ作りからラグがあること。結局世の中の色んなものは大変なのです。(←この一文びっくりするくらい何も言っていませんね)俺はものごとをよく比較したがる癖があるのですが、比較することで各々の特徴を捉えやすくして、共通するものは共通させて、独立するものは独立させて、考えをすっきりさせたくてやっています。例に挙げた2者のどちらが優れてるとかの話ではなく、それぞれに特徴があり、そしていずれかの特徴に秀でてる人はそっちの趣味に進んだほうがよいな、と、そう思うだけです。よいというか、上手くいく、です。(僕は臆病すぎるのでエクスキューズをゴリゴリに使ってしまいます)つまり適材適所の話です。みなさんも、みなさんのできるところを伸ばしていきましょう。


・作詞難しすぎる

ところで俺は歌詞が書けませんでした。みなさんも歌詞を書くときは気をつけてください。あなたが思っているより、歌詞は、書けません。

大喜利を始めてかれこれ10年になるんですが、マジか、嫌だな、こんなにも歌詞が出てこないとは思いませんでした。10年って正気か? 俺は、大喜利をやっている人の中でもとりわけ語順やリズム感を大事にしているほうだという自負があります。(大会だとボケの書き方を全通り書き出して悩んでます)

で、その経験値が作詞にも活かせるだろうと思って挑戦しましたが全然でした。全然も全然。10年間なんだったんだ、嫌すぎる、最悪だ、俺はジジイ、老いぼれ、ヨボヨボ、介護、大喜利老人ホーム、私は50年後ヘルパーさんにお題をねだってしまうのでしょうか。でも老人ホームで輪になって大喜利してたら、それはそれは幸せなことじゃない?

(全く別の話をします。俺は一人称をわざと統一していません。文によって俺の気持ちの時と僕の気持ちの時と私の気持ちの時があるでしょうよそりゃ、という信条を子供の頃から持っており、先生にたくさん怒られてきました。これは俺の中でかなり強くブレない思想なんですが、言わないと逆にとんでもなくブレてる人だなと思われかねないんで言いました。こんなところにかなり強くブレない思想を持つな。全く別の話いま終わりました)

昨年9月に出したアルバム「sputnix」(ここから聴けます)には、初音ミクさんをボーカルに迎えた楽曲「sputnix」が収録される予定でした。楽曲の構想はかなり初めからあったのですが、インストだけ作って歌詞は後回し。ミクさんには「ラララララ」を歌わせた状態で、ずーっと他の曲に取り掛かっていました。自分のセンスの無さに気付きたくなくて、何かを先延ばしにすることってあるよな? それです。共感を盾に言葉を節約していくぜ。

ボーカル曲を除いたすべての収録曲が完成したころ、とうとう後回しにしていた作詞作業に入り、そして自分の歌詞の作れなさに絶望しました。みなさん知ってました? 作詞にはお題がないんですね~。全身大喜利人間だった俺は、すっかりお題の奴隷となってしまっていたのです。お題がないと言葉が出てこなかったのです。

とはいえ、音楽においては「伝えたいこと」が「お題」だという考え方もありますね。はいはい。俺だって知ってます。そんなには馬鹿じゃないです。分かっています。しかしですね、なんと俺には伝えたいことがありませんでした。最悪だ。正しくは、伝えたいことはあるっちゃあるけどその伝え方として楽曲が適しているとは思わない、です。この話は文字で言いたい、この話は口で言いたい、じゃあ俺が曲を作ってまで言いたいことってなんなんだ? それがなかったということです。

楽曲からはなんとかチープさを排除できるようになりました。シンセのつまみを捻れば音数が重なるし、イコライザで持ち上げれば特定の帯域をブーストできる。これまで歪に積んできた知見でなんとかすることができました。でも、歌詞だけはどうにもなりませんでした。厚みが出るようなつまみも圧を稼ぐフィルタもありません。限られた文字数で、稚拙さを回避しなければなりませんでした。俺にはそれが向いていなかったようです。深夜勢いで書いた歌詞は、翌朝カスになっていました。

人生って、始まった時足元にある6000くらいの道をそれぞれ途中まで進んで、この道じゃないなって引き返して、それの繰り返しじゃないですか。自分にはこの才能はないな、という確認作業のループを積み重ね、最終的にどの道とどの道とどの道を残すかの80年じゃないですか。「人生は何事をも為さぬには余りに長く、何事かを為すには余りに短く、↑のようなことを為すにはちょうどいいよね」と中島敦も言っています。(でも全部の道がダメだったらどうします? 虎になるしかないか?)

というわけでアルバム「sputnix」から表題曲「sputnix」が消えてリリースされた訳です。表題曲が消えることある?

これも適材適所の話です。さようなら初音ミクさん。俺はインスト曲を作ります。

灰色背景ですみません、一日寝た俺です。このnoteも一日寝たらクソになってしまいました。人生を無数の道に例えるの今からでもやめませんか?


・インスト曲難しすぎる

でインスト曲を作り始めたんですが、インストってみなさん聴きます? 聴かないよね。そうなんですよ。インストって聴かれないんですよね。

ボーカル曲っていいですよね。「○○な気持ちを歌にしました」「○○に向けて書きました」って言えますよね。インスト曲ってなんて宣伝すればいいですか? ジャンル? 明るいか暗いか? 抽象的なことしか言えね~。

ボーカル曲っていいですよね。1番と2番で歌詞だけ変えて同じメロディ使えるから。インスト曲だとできないんですよね、歌詞がないのでメロディやリズムを変えないと飽きてしまうから。音楽ってともすれば50回も100回も聴かれちゃうわけじゃないですか。これは他の創作にはない特徴だと思っていて、つまりそれだけ飽きさせないようにする作業が大事になってきます。50回は聴かれないにしても、3回聴かれて飽きられる構成には展開を加えなければならない。

もうひとつ。インスト曲全般というわけではないですが、僕の好きなジャンルにはサンプリングという手法が多く使われています。声ネタとか音ネタというやつですね。ボーカルが乗らない分、人の声や効果音を曲に散りばめて間を埋めるという算段です。メロディのパターンがそんなに思い浮かばない僕はどうしてもこれを多用してしまいます。

じゃあその声や効果音はどこから手に入れるかというと、そういうCDがあります。外国人がひたすらに「Let the bass kick」とか「Somebody scream」とか言っているだけのCDがあるんです。そしてこのCDを買ったら、あなたの曲に使っていいですよ、というやつです。そりゃそうですよね、勝手に人様の声を引用してマネタイズできるわけがありませんよね。(俺は2014年に、テレビから直撮りしたイッテQの音声を使って曲を制作したことがある)でも、外国人がひたすらに「Let the bass kick」とか「Somebody scream」とか言っているだけのCDを買うってなんなんでしょうか? そんなこと世間の真っ当に生きている人間はやっているのでしょうか? そんな行為が許されていいのでしょうか? 顔も知らない外国人が喋っているだけのCDですよ? それをお金を払って購入するとはなんですか? どういうこと? 僕がそのCDを持ってる時に職質されて、これはなんだと詰められて、来いとパトカーに乗せられて、カーステで再生されて、「Let the bass kick」と流れようもんならもうそれは逮捕ではないでしょうか。ボーカル曲はいいですよね。そんなCD要らないので。

今は普通にダウンロードなので↑の職質の話まるごと意味ないです。

さっきからお笑いっていいよねとか、ボーカル曲っていいよねとかばかりを言っています。ダメだと引き返しておいて、その道の先にある景色を勝手に羨んでばかりいます。でもそんなのってないじゃないですか、ずるいじゃないですか。みんなが一生懸命それぞれの道を寡黙に歩んでいるのに、俺だけとやかく言っていいわけないじゃないですか、そもそも俺は「引き返して」すらないかもしれないのに。ダメだと言って勝手にその道を封鎖しただけかもしれないのに。というか、今歩いてる道も歩めているのでしょうか。進めているのでしょうか。本気で、プロとして音楽を作っている人からしたら俺の音楽は先に進めているのでしょうか。今動いているように見えている景色はすべて書き割りで、誰かがスクロールさせていて、一人で歩めた気になっているだけじゃないでしょうか。その書き割りは本当に誰かの差し金ですか? まさかそれも俺が勝手に書いたものではないですか? そもそもその道は本当に本物ですか? もしかして、俺がやっていることは全部自作自演のトゥルーマン・ショーなのでしょうか。

だとしたら、いよいよ本当に虎になるしかないのかもしれません。

(TODO ここに教訓めいた段落を入れる)

もともと、かっこうをつけようと思って始めました。アマチュアとはいえApple Musicに曲があればかっこうがつく、単曲ではなくアルバムを出してしまえばかっこうがつく、自分の名前でドメインを取ってサイトを作ればかっこうがつく。そうこうしていたら、1枚のシングルと1枚のアルバムを出し、いつのまにか俺はかっこうがついている状態になってしまいました。もうかっこうはついているのですから、いよいよ曲で勝負しなければなりません。

よくエロ漫画家に対して「自分で描いた絵で抜けますか?」と質問が投げられますが、今なんとなく当事者の気持ちが分かります。エロ漫画家のみなさんの回答はまちまちですが、俺は自分の作った曲で抜けます。俺が一番気持ちよくなるコードとリズムとメロディとキメを作ったんだから当たり前です。俺の曲、いい曲です。音楽、難しすぎて楽しいです。

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