稀だから

※前回の記事を読んでから読んでね

前回の記事を書いた夜、胸の激痛に襲われた。

ぎゅうぎゅうと締め付けられるような、ざくざくと突き刺されるような、いつも頭の中で暴れている子鬼が心臓に引っ越してきたような痛みだった。深夜一時。知人の助けを呼べる時間でもなかった。あと10分続けば救急車を呼ぼうと思った矢先、ゆっくりと痛みは引いていった。それでもなんだか、胸が苦しいような違和感は残ったままだった。子鬼、まだここにいます、と言われている気がした。

僕は日に2本までの注射を、毎日6本も7本も打っていた。その「全身の血管を収縮させる注射」が僕の身体を蝕んでいるんだと感じた。原因がはっきり分かっていたから、異常なことをしている自覚があったから、こんな状況でも妙に冷静だったのを覚えている。

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眠ってしまったらそのまま死ぬと思ったので、結局徹夜して朝を迎え、病院に駆け込むことにした。

「困ったね」

先生は本当に悲しそうな表情で、目を真っ直ぐに見て喋ってくれた。患者に親身になってくれるその素晴らしい姿勢が、僕を余計に惨めな気持ちにさせる。

「注射は副作用が強すぎるから、錠剤に変えなきゃいけないね」

メジャーな鎮痛剤としてイミグランがあり、錠剤、点鼻薬、自己注射の3つから摂取方法が選べる

錠剤は身体への負担が少ない分、頭痛に対しての効き目は悪かった。頭痛が収まるまでの時間は注射(5分)<点鼻薬(15分)<錠剤(20-30分)といった感じだった。

脳を取るか心臓を取るか。悪魔の選択だった。俺20代だぞ。

でもそんなのは考えるフリだった。答えは決まっていた。群発頭痛は死ぬほど痛いが、死ぬことがない病気だ。弱い鎮痛剤でなんとか頭痛を20分我慢して、心臓への負担を軽くする、そうするほかなかった。つまり、僕は注射を打つことを禁じられた。

この病気にかかっても今まで前向きに生きていられていたのは、「とはいえ注射を打てば5分で収まる」という安心があったからだった。5年間の実績があったからだった。5分間トイレに篭もれば、その後はまた平気な顔して仕事を再開できるからだった。

仕事中に20分どこかで蹲らせてください。何回かは分かりません。1年に1ヶ月間です。想像の中の僕が、上司にそう相談していた。馬鹿みたいだった。惨めだ。

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色んなことが頭の中でぐるぐるしていた。血圧を測る間、胸の音を聞かれる間、ずっと怖かった。どれも異常なしとなった時、僕の焦燥が一気に言葉に出た。「これはよくある副作用なんですよね?」「ここから悪くなった人いませんよね?」惨めだ。でも救いがほしかった。先生は、どの質問にも答えずこう言った。

「同じ群発頭痛でもあなたほどの症状は、稀だから

毎日そんなに注射を打ったんだから、どうしても影響は出てしまう。辛かったでしょう。しんどかったでしょう。それを聞いて、僕は泣きそうになった。

不安で眠れない夜は、Twitterで、2chで、同じ病気の方の体験談を読みながら眠れるのを待っていた。5年間今までずっとそうしてきた。ここ数年で検索ヒット数もどんどん増えたと思う。安心だった。世の中には僕と同じ人がたくさんいるんだと思った。「なんとかやっていけてるよ」なんて言う人達を勝手に仲間だと思っていた。そうやって怖さと寂しさを紛らわしていた。だから先生にも「よくあること」を求めた。

でもそうじゃなかった。僕は稀だった。全然仲間じゃなかった。僕はみんなと違った。

じゃあ、僕はなんとかやっていけないんじゃないか。

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後日精密検査を行い、心臓のバクバクがおかしくなっていることが分かった。ただし軽度であること、群発期を抜ければ(=鎮痛剤の内服が終われば)回復するであろうこと、もろもろを踏まえ日常生活に問題はないと診断された。今もこんなに胸に違和感があるのに。

検査結果を聞きに診察室に入ったところ、先生はまだ隣の部屋で他の患者を問診しているようだった。妙齢の女性が息子の世間話をしているのが聞こえる。目の前のPCには午前中撮影した脳のMRIと僕の来院記録が表示されていたので、それとなく盗み見をした。稀だと言われた日を境に、僕の病名が「群発頭痛」から「重度群発頭痛」に変わっているのを知った。

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