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今日のあいはら 幸せ論...

先日の「YOUこれ!」で個々に思う幸せとは?
と言う話で盛り上がった。

俺はいつもリスナーの事を頭の中で考えている
「スーパーディスクジョッキー」なので

喜んで頂けるように「チチを揉んでいる時」と答えスタジオ内は湧きに沸いた。

ディレクターの「山名ちゃん」あたりは顔を赤く蒸気して喜んでいる。


「武川さん」など遠い懐かしい日々を思い出したのだろうか?

激しく俺に共感して「現役振り」を皆にアピールしていた。

聞いて頂いている皆様も
「そう言われたら。そうかも?」と変な納得をしたのではないだろうか?

「只、チチを揉むだけでは味気ない。その背景、シチュエーションが大事なんだ。」

ここ最近のラジオの中でも指折りの名言を吐いてしまった俺。

俺自身
思っていない事も無い訳ではないが。

ちょっとしたリップサービスでもある。

では本当の俺の「幸せ論」とは?


ちょっと小難しい話になるが


「選択肢が選べる自由がある」

これが何よりの今感じている俺の幸せ。

やるか?やらないか?

するか?しないか?


己で決められる。

幼少期の時に強烈に感じた
やるせなさがバックボーンにあるのだろう。

子供では絶対に選べない、親と環境。

何とかしようにも従うしか無い少年期。

今は違う。
そう違うんだよー!

仕事に向かう時も感じる幸せ。

若手の頃は徒歩か?
電車か?
自転車か?

やっぱりタクシーに乗りたいがそれは無理。

無い袖は振れない。

ところが今は
タクシーはおろか
マイカーもある。

選ぶ事ができる。

すると不思議な変化に気づく。

20代
30代
本当に歩く事が嫌いだった。
電車も嫌い。

しかしある程度収入を得て
全て自分で選択出来るようになったら
変わっていた

40代からは歩く。
自ら歩く。
電車にのる。

健康の為でもあるのだが
それだけでは無い

なんて言えばいいのか?

「心の余裕」と表現するのが1番適しているのかも。

「セカセカ」していないこの感じ

若手の頃、俺はタクシーが好きだったのでは無かったんだ。

乗りたくても乗れない自分が歯痒かっただけだった。

ご馳走様も
食べようと思えば食べれる。

食べれるが

尿酸値
肝脂肪
高血圧
気になるので控える。

たまーに食べるのが幸せ。

選択肢は選べるが
出来るからいいとは限らない。

思い通りにならないのも
これも一つ
人生の味ってもんだ。

「チチは揉みたいが相手がいない」
いないから妄想する。

この妄想がいい。

全て揃わなくていい。

あるものに感謝。

概ね幸せ
これこそ幸せ。




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