今日のあいはら イジリ...
「デブ」はまだええけど、「ブタ」はいやや!
ある「デブ」が言っていた。
そいつの持論はデブは事実だが、人間なのでブタと言われると腹が立つらしい。
解るような?わからないような?
昨今、容姿「イジリ」はダメという時代の流れ。
急に?なんで?
ジェンダー社会だから?
みんな平等で、偏見を持たない為?
なんか?綺麗事が増えてきて窮屈やなぁ。
そんな美しい社会ですかね?
言わなくて、思うのが人間だ。
前からめちゃくちゃ禿げたおっさんが歩いてくる、
勿論、「おっさんどうした?禿げるにも程あるで!」
と言わないが、頭のなかに突っ込みの言葉が駆け巡る。
家に帰って嫁ハンに、「さっき夏のスキー場みたいな頭のおっさん歩いて来てなぁ。リフト動いてるか確認したで!」ぐらいの事は言ってしまうだろう。
容姿の「イジリ」がダメならしない。
時代がそうなら逆らわないが、じゃ別の表現で喋るしかないか?
どストレートで元々話すタイプでもないので、回りくどく、「そんな言い方されたら余計腹立つわ!」
と思う例えをするまでだ。
「もうストレートに言うて!」と根を上げるぐらいのネチネチした例えで!
相手を不快にするのは褒められた事では無いのは解る。
しかし人間は心の中ではエゲツない。
デブはデブ、ハゲはハゲ、チビはチビ、巨漢は巨漢、それが別に悪い事でもないし。
俺が子供の頃の、昔のあだ名は今思えば容姿を弄る感じが多かった。
頭が絶壁なら勿論、ゼッペキ、動物例えのゴリラ、カバ、キツネ、はベタ。アホそうなら、バカボン、目が斜視なら、イガミ、頭の形がいびつな奴はピカソと呼ばれていた。
みんなそのあだ名で呼ばれたら
「何?」と不快そうな素振りも無く振り向く。
それもどうか?とも思うが、、、
本人が言われて嫌と思うなら、そらっ言わない方がいい。
嫌か?どうかを「他人」が決めていくのが気に食わない。
「そこが1番の違和感。」
コンプレックスって自分が頑張るパワーにもなる。
言葉狩りばかりしても、本音で話せ無くなるばかりだ。
新喜劇なんてこれからどうするの?
容姿イジリはわかりやすくウケやすい。
世界に行っても笑いが取れる。
言われた本人、仕事した!とご満悦で家に帰れる。
浅香昭恵さんなんて最たる芸人。
ブスイジリは伝家の宝刀だ!
昭恵ねぇさんを本当にブスだと思ってる身内はいない。笑いのタネにしているだけ。
何が言いたいか?
容姿イジリをイヤな人には弄らない。
でも全面的にダメっと統一しないでほしい。
ウケて嬉しい人にはジェンダーを振りかざさないで欲しい。
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