はとのはなし

褒める、というのは劇薬だな、と最近感じている。
それが正常に機能している時はいいと思うのだが、人は褒められると認められた事で喜びを感じるので、褒められる行動に自分を最適化する事を選ぶ。
すると、本来自分が好きな事したい事がわからなくなり、他の人が良いと思う自分、でしか生きられなくなると思うのだ。
特に、幼少期などはその様子が顕著だろう。

人は、親や他人から示され、かつ褒められる為に自分で選んできた行動や価値観に、とても強く縛られる事になる。
しかもそれはほぼ、大人が管理しやすい子を作るために与えられているので、それを採用し続けてもその子自体は幸せになれるかはわからない。人によってはもっと別の価値観を持った方が良いこともある。

人は自分が選んできた(適応してきたと言ってもいいかもしれない)価値観を長い年月をかけて学習している。もしその学習してきた価値観により、なんとなく生きづらいと感じているなら、それが誤った学習であったと気づいて、自分にとって生きやすい環境や価値観はどんなものなのかを探し出したり、考えたりした方がいいだろう。
それは最初はとても苦しい事になると思う。自分がこうすれば幸せになれると信じていた事柄を、自分で壊していくからだ。でも、自分が与えられてきた、自分を縛ってきた価値観から解放されたいのであれば、自らの手でやるしかないのだ。それを信じているのは自分なのだから。




そもそも、人はなぜ褒められようとするのか。それは、その時はこの場にいていいのだ、自分という存在が認められているのだ、と感じるからだろう。

であれば、私が子どもに対して取れる行動は、いつ何時でも、私はあなたを大切に思っていると態度や言葉で伝え続ける事だろう。あなたが安心して、生き生きとしていられれば、それが嬉しい。私はあなたと一緒にいれることが嬉しい。と。
そしてこの声かけは、自分に対しても同じ事が言える。今まで、〜してはならないよ、〜しなければちゃんとしてないよ、という声を自分に浴びせてきたかもしれない。
そんな自分が安心して過ごせるように、自分に対して
大丈夫だよ、安心していいよ、あなたはここに居ていいんだよ
といった声をかけていく事で、少しずつ自分を縛っていた価値観が解きほぐされていくと思う。

少しずつ練習しているけど、うまくいくときも、うまくいかないときもある。でも、そのままでいるよりはるかにマシになっただろうから、これからも続けていきたい。

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