おちゃタイムのひとりごと

マスコミ ってマス”コミュニケーション”
ワイドショー ってそのままワイド"ショー”
先日のyahoo カズレーザーさんの記事についてtwitterで思いを書くと言ったのでこれを書いているんですが、最近はテレビをほとんど見なくなりました 単に忙しいってのと、暗いニュースが多すぎて引っ張られるというか気持ちを持って行かれるというか、世間で起こるいろんな事件や出来事はこの時代、速いスピードでもたらされるのだけれど「関係ないや」って気分で接しないととてもじゃないがインパクトや刺激が大きい
マスコミお得意の誇張や大袈裟な表現が作用していることにもよるが巷で毎日流れるいろんなニュースをいちいち受け止めていられない
暴力、DV、殺人、麻薬 絡みの出来事なんてこの国や世界のどこかでは毎日起きていて誰かが被害者だったり加害者だったりするのだけれど、そういう”あなたの知らない世界”は知らない世界のままでいい、無関心とは違う
 私はギャンブルアカウントだけれど、家族がギャンブルにいい印象を持っていないのは少なからずこれらの世界との繋がりがあるからなんだろうな

何を主テーマで語るか挙げればきりがないけれど、ほんと今の時代のテレビって、ネットの話題後追い、番宣、CMか本編かわからないもしくは関連させた内容、いつまで経ってもなくならない”やらせ”が多いなと思いながら見ている(なんだかんだ言ってみてるんだw)
街頭インタビューを見ていても、あぁこの人も劇団員さんかな?って穿った見方をしてしまう。知り合いが国営放送のインタビュー受けてるのをテレビで見て、うわ!なんて声出たこともあるし実は私もニュース取材で仕事中カメラを向けられ・・・

なんだろう、今ってある程度無関心でいないといけないというか、例えば小さな子どもが迷子になったのかSCで一人ぽつんと泣いていても声を掛けるのをためらっちゃう風潮があるそうですね、女性が声を掛けてもその子の親から不審者扱いされたりとか。イヤな世の中になっちゃったなぁ
 もちろんそんな親御さんばかりじゃないのでしょうが、ましてや僕がそのシチュエーションにおいて声を掛けていたらと想像するともう。
実はこれまで全く知らない人同士の喧嘩の仲裁や、子どもも含めたちょっとした対応、お手伝い、みたいなものは自然に身体が反応しちゃって声を掛けたり応対することが多かったんだけど、ここ10年ぐらい家族からはやめろと口酸っぱく言われている。トラブルに自ら飛び込むな 貴方がやらなくともやるべき人がやる(それは親であったり直近の人であったり)と

日常の身の回りの生活や公共の場でもそういった状況って起こるのだもの、ましてやテレビやメディアで伝えられる出来事ひとつひとつに魂を持っていかれる余裕は無い、って感じになるのかなぁ(結局そこか!)

おちゃのおかわりを入れて、この話題はまた別の機会にでも