現代政治理論(有斐閣アルマ)を読む
少し時間あるので、政治学についてきちんと勉強しようと思っています。
川崎修・杉田敦編『現代政治理論』(有斐閣アルマ)を読んでます。
結構面白いです。備忘録的に、呼んだ箇所をまとめておきます。
今回は、古典的リベラリズム(※)について勉強しました。
※以下、単に「リベラリズム」として記述します。
p.48
第3章 リベラリズムの展開
1 自然権のリベラリズムから功利のリベラリズムへ
自然権の原理(p.49)
「リベラリズムの源流は、17世紀市民革命期のJ.ロックの政治理論であるとされている。ロックの社会契約論によれば、政治社会が成立する以前の自然状態において、すべての個人は生命・自由・財産についての自然権(natural rights)を有している。そして、これらの権利を侵害することは、人類が遵守すべき神の法であると同時に理性の法でもある自然法によって禁じられている。しかし人々は、自然法を実効力のあるものにし、自然権の保障をより確実なものにするために、政治社会の契約を結び、政府を設立する・・・この意味で、ロックのリベラリズムは、個人の諸権利(生命・自由・財産の権利)を基礎とする、自然権のリベラリズムであるということができるだろう。このリベラリズムの目的は、絶対主義時代の恣意的な統治から個人の自由を守ることであった。」
自然的自由の秩序(p.51)
「18世紀になるとリベラリズムは、アダム・スミスによって経済的な表現を与えられることになる。スミスは、国家の機能を、分業と経済的自由が可能にした富裕な商業社会を外国の侵略、治安の乱れ、民衆の無知蒙昧や狂信から守ること、および、公共施設を維持することに求める。・・・ここにおいて、国家は社会、とりわけ自律的存在としての市場への干渉を避け、放任すべきであるという考え方がリベラリズムの原理の一つとして加えられることになったのである。」
上記では、リベラリズムの概念の変遷について記述されています。
個人的には、アダム・スミスの思想に係る、以下も記述が面白かったです。
「人間は、何よりも自分の利益に関心をもち、自己利益を追求する利己的な存在である。伝統的には、このような私的利益の追求は公共の利益を蝕み、社会秩序を崩壊させると考えられてきた。しかし、むしろ私的利益を追求する個人の経済活動が、・・・神の「見えざる手」に導かれるようにして、おのずと調和へと至る」
(p.51)
◎感想・コメント
今まで「リベラリズム」という言葉を聞いても、よく意味がよくわかりませんでした。それが、法的な自由を意味するのか、それとも、経済学的な文脈でいうところの自由を意味するのかわかりませんでした。
以上の記述を読んで、何となく、リベラリズムの概念の発展過程を理解できました。
最初は自然権を尊重する理屈だったリベラリズムも、アダム・スミスの思想が加わって、個人の私的利益追求を尊重するという意味合いも加わったという。
アダム・スミスは、個人がひたすらに自己利益を追求するような経済行動を、社会全体の公益に資するとして正当化したのが面白いですね。
これに関しては、「国富論」を今度読みたいと思います。
そのようなアダム・スミスの思想があったからこそ、
ある種、国家から個人の恣意的な干渉を排除するという消極的な意味合いにすぎなかった、「リベラリズム」は、市場の放任を促進するという意味合いを持つに至ったのでしょうね。