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Sexy Zoneを布教し隊⑦【ふまけん編】

ふまけんは、多分ジャニーズじゃなかったら巡り合っていない二人だと思う。

たとえば同じクラスでも、同じ学校でも、同じ街にすんでいたとしても。

二人はきっとすれ違って生きていたんじゃないかなって思う。

それくらい、二人とも全然違うものをもって生まれていて、全然違うものをみている。

本質的には。


けれど二人はアイドルになって、Sexy Zoneになって、そしてシンメとして、たった二人で、まだ幼い弟3人を抱え、グループを引っ張っていく役目を負わされた。

二人は向き合って、ぶつかって、でも心の底では信頼しながら、相手の『自分とは違うところ』にきっと羨ましさを感じながら、ここまでやってきた。

これは私の主観だけど、ケンティーができることは風磨くんにはできなくて、風磨くんにできることが、ケンティーにはできない。

ケンティーみたいに求められるキャラを純粋にすることは風磨くんにはできないだろうし、風磨くんみたいに嫌われてもいいくらい誰かに本音をぶつけることは、きっとケンティーには難しい。

鏡みたいに向かい合って、ときどき双子みたいにそっくりな顔をするのに、二人はまったく違う人間で、でもだからこそ、二人は二人にしかわからない絆の中で生きている。

Sexy ZoneはみんなでSexy Zone。
だけど、ふまけんの間には、しょりマリ聡にはわかはないなにかがあって、
それがファンを惹き付けてやまないのだろう。



『ふまけんとは』


ジャニーズにおけるシンメの象徴、と言っても過言ではないコンビ。
菊池風磨といえば中島健人であり、中島健人といえば菊池風磨である。

※シンメ=シンメトリーの略、左右対称の位置に立ってパフォーマンスを行うコンビを指すジャニーズ用語。

以下、ふまけんの歴史を年次順に書き記していこうと思う。



★ジュニア時代

2008年4月20日 中島健人入所、同月27日菊池風磨入所。
二人は一週間違いでジャニーズ事務所に入所した。ジュニア時代には、B.IShadow、NYC boysと同じユニットに加入し、いずれのグループでもシンメを務めた。

★Sexy Zoneとしてデビュー



2011年9月29日 Sexy Zone結成を発表
2011年11月16日 「Sexy Zone」でデビュー
Sexy Zoneとしてのデビュー以降、ふまけんはジュニア歴が浅く右も左もわからないちびーず達のことを必死で引っ張ってきた。当時は同世代のグループでデビューという想いが強かった風磨くんにとって、健人君は唯一の希望だったそう。

Sexy Zoneとしてデビューしたときの気持ちをきかれた風磨くんは、複雑な心境だった、と素直に答えている。いままでやってきたメンバーは?俺だけデビューなの?と。
ケンティーは一方、Jr.になった瞬間から、デビューのことしか考えていなかった。
風磨くんは言葉と態度で後輩をつつみこみ、ケンティーは愛を与えながら、でも背中で見せるためにガツガツ前に進むタイプである。

これは、比較的デビューの早かったしょりマリ聡三名にはなかなかわからない、二人だけにある部分かもしれない。



★聡マリ格差問題

2013年発売のシングルから健人、風磨、勝利の3人と聡、マリウスの2人の間で衣装や立ち位置に格差がつけられるようになり、聡マリ格差と呼ばれる時代が始まる。
現状に不安を感じ、なんとか打破しようという想いは一緒だが、問題に対して向き合う姿勢が全く異なる2人。この頃から2人の間に小さな亀裂が生じてしまったのかもしれない。



★ポポロ事件

そんな不穏な空気の中、伝説の対談が行われる。

(ポポロ2013年12月号より)

風磨「前に僕がためていたものを一気に中島にぶつけたとき中島ももっとこっちにぶつけてきてもらいたかったんだよね。思い切りケンカしてフラットになって『じゃあこれからどうする?』ってところまで行きたかったんだ。でもそれができなかったからなんか『もういいや』って気持ちになっちゃって。でも中島のことよく知らないやつが『アイツ変わってるよね』なんて言ってるのを聞くとどうでもいいって思ってたくせに心のどこかで『なんでアイツがバカにされなきゃいけないんだ』って気持ちが湧いてきてさ」

健人「(押さえていた涙が……)うん。」

風磨「こんなこと思うなんて自分でも気持ち悪いんだけど笑。『アイツをバカにしていいのは俺だけなんだ』って気持ちになって。でも、それで気がついたんだけど僕が本気で何かやろうと思ったとき必要なのは誰かって言ったら、それは中島しかいないんだ。」

健人「(涙を拭いて)……意見がぶつかった時も風磨のこと嫌いにはなれなかった。僕にはわかってくれる人が居るんだからもう突き進むしかないよね。個人としてもグループとしてももっと強くなるしかない」

感動的な仲直りで「一緒に曲づくりがしたい」「僕も風磨もてっぺん目指す気持ちは一緒」と絆を確かめ合った2人。




★風磨はじめてのカウコンで中島との絆を再確認

(WinkUp2014年3月号より)

風磨「最近中島との絆…っていうの?そういうのを感じる。去年は途中までなんか反発しあっちゃててさ。一緒にいすぎるっていうのもあったし、まぁ俺がプチ反抗期的な所もあったのかもしれない笑。ビックリするかもしれないけどふだんは口もきかないような状態が続いてたの。でも、いつの間にか復興してた笑。一番はっきり中島の存在を感じたのはカウコン注1)のときかな。ON AIR前に俺と中島で歌ったんだけどそのときに"うんこれだな。アイツとガッツリやっていこう"って思ったの。そして俺と中島でこのSexyZoneを引っ張っていこうって"そうおもったら本番で思いっきりコケちゃった…っていうね笑。でもあいつが支えてくれたでしょ?なんか嬉しかったね。きっとこれからもケンカしたりすることもあると思う。こんな俺らだけど温かい目で見守って下さい笑」

注1)2013年→2014年のカウコンで振付師さんに直談判してふたりでBADBOYSを歌った。お互いつかみあっておでこをぶつけて熱唱し会場から悲鳴があがったらしい。

健人「え、風磨が俺の話ししてた?今日、このタイミングで?え、え、え?どうしたんだあいつ笑。そうそう、カウコンのON AIRのまえにふたりで歌ったんだけど俺もそのときに"このふたりがガッチリ固まってないとダメだ"って再確認したんだよ。ただ、それまでの期間、オレは"ケンカしてる"とか"仲が悪い"って思ったことは無かったよ。なんて言うのかな…反抗期の弟を見ているような気分?笑。風磨自身もそれを自覚したし、大人になってきたんだろうね。今こうやってガッチリ固まった=昔に戻った…とは思ってない。"進化&前進"したの。これからはオレのシンメでパートナーである風磨とお互い高めあってこのSexyZoneをトップまで持っていく!風磨につられて新年早々おれまで熱く語っちゃった笑」



★3人体制の始まり

2014年7月発売のシングル「男never give up」は健人、風磨、勝利の3人体制でのリリースとなることが発表される。その後のシングルでも3人体制は維持された。一度は仲直りしたふまけんであったが、この3人体制のときは相当不仲であり、勝利くんいわく、楽屋では口もきかなかったそうだ。

何が正解だったのか、それは誰にもわからない。
ただ、勝利くん、風磨くん、健人くんそれぞれに考えがあって、自分たち三人のことももちろん、辛い目にあっている聡マリへの愛情の示しかたに、二人には差があった。

個人的には、ここでよく勝利くんは折れずにセンターを勤めきったとおもう。ほんとにすごい。
ちなみに勝利くん、体調を原因に仕事に穴を開けたことはない。メンタルも肉体も最強である。




★5人体制復活

2015年11月発売のシングル「カラフルeyes」リリースイベントに5人で登場!衣装に格差もない!セクラバたちは歓喜し、安堵に包まれた。



★セクパワツアーのBADBOYSで感じた菊池の必要性

(ポポロ2015年7月号より)

健人「ゾクゾクと鳥肌が立ったのはBADBOYS。ライブでの俺と菊池のやりとりって自然に作られるものだからさ。昔から『こうやろう』なんて相談はしてこなかったよ。だからステージ上でも冷静にお互いの動きを見ていることが多かったけど横浜のBADBOYS中に背中合わせをした瞬間は興奮した。示し合わせてやってるわけじゃないからこそ気持ちが自然と重なるのはやっぱり相手が彼だからなのかもしれない。『俺には菊池はやっぱり必要だ』と感じざるを得なかった。正直嬉しかった。俺と菊池はもう7年もずっと一緒にやってきた。なんも変わってない。お互いにぶつかることもあるしその度に刺激を受けてるから永遠のライバルなんだと思う。いつもベタベタ一緒に居るシンメとは違うけど俺の隣に、そしてこのグループに菊池は絶対に必要な存在だから。本人には言わないけどおれ菊池が出てるバラエティやドラマ全部見てるからね。笑」



★8.25事件

そうして訪れたこの日。セクラバはこの日以降、山P先輩には足を向けて眠れなくなる。
事件が起こったのは2016年8月25日。その日健人くんは「Summer Paradise2016」のソロコンサート「#Honey♡Butterfly」のオーラスを迎えていた。

(ポポロ2016年12月号より)

健人「俺のソロコンに菊池がきたのは衝撃的だった」

風磨「みたいだね笑。山下くんに遊びに連れて行ってもらった時にソロコンの話になって『風磨はメンバーのライブに行かないの?』って聞かれてさ。中島の最終日なら日程が合うと話したら『俺も行くから一緒に行こう』って※注1。俺自身きっかけがつかめないでいたから、それを与えてくれた山下くんには感謝してる。ライブ、素直に良かったよ。ひとつのブランドとして完成してた」

健人「恥ずかしくて仕方なかった。MCの途中で来てることに気がついて。話すこととかも完ぺきに計算してたのに、正直言って頭が真っ白になっちゃって。MCで話すこともわかんなくなって、そのあとのピアノもミスりそうになって笑。それぐらい飛んじゃったけど、あそこからエンディングに向かうまでのボルテージの上がり方は忘れられない。菊池が俺のライブを見てくれてるって思うとね……これはもう"8.25事件"と名付けて俺の歴史に刻んでおこうと」

風磨「8.25事件って。笑」

健人「それぐらい俺にとっては衝撃的な幸ある事件だった!菊池がおれの音楽を聴きに来てくれたことが本当にうれしかったんだ」

風磨「確かにあの日はおれにとってもひとつのターニングポイントになったかも。"今の中島健人を知る"ってことが今の俺の一番の課題だったから。これからどうしていこうかと漠然と考えているこの時期に、少し指標が見えた気がした」

健人「次にライブがあったらひとりでも来られる?」

風磨「え……笑。いや………行けると思うよ」

健人「俺も次は必ず行く!」

注1) Myojo2018年11月号 山下智久1000字インタビューにて当日のことが山Pの口から語られている

――一昨年(2016年)SexyZoneの風磨君と健人君の仲を取り持ったのも山下くんだったよね。

山下智久「海に行ったときに話したのかな。ずっともったいないなって思ってたんです。ケンカしてる時期ってどのグループにもある。でも"それって時間の無駄じゃない?"って風磨に言ったんです。"5人で成功したいんでしょう?"って。そしたら"はい、5人で嵐になりたいです" って。だったらバチバチしてる時間はムダだよ。健人は自分の世界を持って我が道を行くのがすごい武器だと思う。だから風磨がバランスをとる必要があると思うし、お前ならそれが出来るよって話をして。"どっちが先に折れるの?"って聞いたら"ちすっ"って言うから"いっしょに健人のソロコンみに行こう"って誘って、そのあと、"お陰様で良好です"ってメールが来ました」

〜8月25日、世界で1番来ないと思ってたヤツがライブに来てくれて、世界で1番うれしかった〜

(Myojo 2016年12月号より)

――ここ数年、はたから見ていても感じられたふたりの距離を一気に縮めたのが8月25日だったと思うんだけど。風磨が健人のソロコンを見に行ったことがいろんなところで話題になったよね。

健人「俺が"8.25"と呼んでいる、あの衝撃の1日ね。」

風磨「ふはっ笑」

健人「あれは心臓に響くほどのサプライズで、ドバーっと汗が出た。僕のソロコンを山下くんが見に来るだけでもすごいことなのに…」

――風磨は”行く“って決めたものの当日は緊張しなかった?

健人「あ、それ俺も聞きたいわ。どんな気持ちだった?」


風磨「自分の中で何とかしなきゃなって想いはずっとあって。山下くんから声をかけてもらった時に"行く/行かない”の迷いは全然なかったんだ。ここしばらくは闇雲にひとりひとりガンバってる感じだったじゃん?中島は中島で芝居やってて、俺もドラマがあって、勝利は映画の撮影に入ってて、松島はなんだ、マリウスはなんだ、ってバラバラに活動してきて。結局個人が活躍するにはグループありきだって事を感じたんだよね。ジャニーさんにデビューさせてもらった意味を考えるともう、俺と中島がこのタイミングで何かとひとつきっかけを作らないといけないかなって。そうおもったら当日は勢いよね!俺も中島のライブ行ってみたかったし」


健人「ありがたいっす」


――健人も今の状況をどうにかしなきゃって感じてた?


健人「俺らの関係については、この距離感もひとつの味かなって思ってたとこもあって。でもそうやって自分を納得させるには限界もあった。何かきっかけを作るべきっていうのは頭の中にはあったんだけど…ね。そのきっかけあの日菊池が作ってくれた」


――今幸せ?


健人「うん。世界で1番来ないと思ってたヤツがライブに来てくれて、世界で1番うれしかった。次の日から朝、目覚めが良くなったもん笑。なんだろうなぁ…ほおがゆるんじゃうっていうか。"こんなんじぁダメだな、こんなのおれじゃない"って思うんだけど勝手にゆるんじゃう。仕事で朝3時に起きなきゃいけない時でもヨユーで目覚めちゃう。なんか9月が始まるのも楽しみだったよ」


風磨「アハハハ!」


――現場でいっしょに過ごす時間がまた楽しくなったんじゃない?


健人「楽しいよ。でも楽しいだけじゃなくて、むしろ濃くなったかな」


風磨「そうだね!こうしてコミュニケーションとれるのがいちばんだから。なんか中島に頼って任せたい部分と自分がやりたい部分っていうのがあって、その塩梅というかさ。あんま自分からは言いにくかったんだけど。これからは自分の中にあるビジョンをおたがいに打ち出していけたらなって思ってる」


――今おたがいはどういう存在?


風磨「今までもこれからもずっとパートナーだと思っているよ。俺、この人が居なかったらここまで来れなかった」


健人「(思わずニヤけてしまい)いやもうそのとおりだわ!やっぱり俺も競うべき相手がいないと燃えないの。俺の頭の中にいつも菊池は居るのよ。いっしょの現場でも、菊池がいないどの現場でも、ステージ上でも。」


風磨「アハハハ!それはもうね。」


健人「視界からハズレたことはない」


風磨「意識するよねー」


――ぶっちゃけてしまえば長いことあまり口聞いてなかったじゃない


風磨「ブフッ」


健人「まあね笑」


――その時間は無駄じゃなかったと思う?


風磨「必要だったと思う。俺はこの2年の間にちょっと見てみたい気もしたんだよね。5人でバラバラでどこまで売れるんだろうって。中島やグループとの関係を放棄するって事じゃなくて、うまくコミュニケーションがとれないなら自分ひとりの力でやれるとこまでやってみようと思ったの。これがね、全然ダメだったんだよね」


健人「アハハハ!」


風磨「客席の反応もそうだし、数字もそうだし。あと、中島もこれあると思うんだけど、肌で感じる感覚だよね。俺ら今売れてるかなっていう感覚、勢い。もう、それが全然ない。何をやってものれんに腕押しだった。で、そのときにたぶん勝利も色々考えてて勝利なりにまとめてみようとかあれしなきゃこれしなきゃっていう負担を与えちゃったなと思うんだけど。勝利はほんとに立派だったしリスペクトしてる。」



★氷河期を経てラブラブになったふまけん


そんなこんなでお互いの存在の大きさを再確認し、2人は仲直り。2019年現在、オタクも照れてしまうくらいラブラブである。



★最近のふまけんあれこれ


・菊池くんのバースデー動画(FC会員サイトにてメンバーの誕生日から期間限定で配信される動画)にて、突然中島くんが菊池くんの胸を揉む。(話してる途中に菊池くんの手が中島くんのSexy Zoneに触れたらしい)菊池くんは大照れ、何を言おうとしていたか忘れる。


・明治ガルボのCMに2人で出演。コンビニでガルボを買うともらえる、ふまけんが印刷されたクリアファイル目当てにセクラバが大量のガルボを買い込む。太った。


・現在行われている全国ツアー「PAGES」にて肩に頭を預けたり、手を握ったり、汗を舐めたり(?)しているふまけん。気になった人は円盤化されたら買おうね!


・Wink up6月号の表紙をふまけんで飾る。「ふまけんと休日」という心躍る見出し。全国の書店で売り切れ続出したそう。そりゃそうだ、タイムラインのセクラバ全員買ってたもん!!!!

すっごく長くなっちゃってごめんね!!!!
最強シンメの伝説はまだまだ続く……★

(雑誌記事の文字起こしはSTBYさんがやってくれました、本当にありがとう。)バイななころび弥太郎(ところどころよぴが加筆)

ちなみに、下記は別のかたからいただいたふまけん情報つめこみ。




憧れの先輩
菊池風磨→嵐の櫻井翔くん
中島健人→JUMPの山田涼介くん

入所日
中島健人2008/4/20
菊池風磨2008/4/27

入所日が1週間ずれてるのは菊池家のFAXが故障してたせいでオーディションの案内が届かなかったため、1週間後のオーディションを受けたため。


菊池くんが最後列から、
鏡前の最前列にすでにいた、中島くんから声をかけたのが初エンカウント
入所して間もなく1番いい位置いる中島健人もその隣を指示される菊池風磨も目立ってたことだろう。

ジャニーズおいてのシンメは絶対ではない。

多分たまたま身長が近いとか、容姿のバランスとかを見て組まされるだけ。

そもそもシンメがいない人もいるし、たまたまその公演だけ立ち位置がシンメっぽいなんてこともある。
シンメって大人に勝手に組まされる立ち位置の相方でしかない
しかも相手が明日変るかもしれないとてもとても不安定なもの
なのに、この2人はずっとシンメ。

俺の隣にはいつも中島がいたby菊池風磨

よっぽど相性が良かったステージ上では特に

「こんな目立ちたがりのシンメ見たことない」
というコメント振付師さんからもらうほど、カメラに映ることに貪欲で、アピールし続けた。

デビューへ向けてこの頃からカメラ位置を把握し続けたせいかコンサート映像を見ると驚愕する、中島健人なんでそんなに目線くれるの?

逆に菊池風磨は、あんまり目線くれない、けど流し目とか得意だし、顔は映る位置把握してるのでこっちもカメラをバチバチ意識してる

2人ともプロすぎる

誕生日

菊池風磨1995/03/07
中島健人1994/03/13

誕生日もちかい日にちで、年は1個違うので、6日間だけ同い年になる
真ん中誕生日が3/10佐藤の日センターはふまけん挟まれる運命

#ふまけん同い年ウィーク
のタグも面白いから暇なときに検索!

当時、年齢的には中学生での入所は遅い部類だった
しかし、最初から、ポテンシャルを発揮し、高速出世し、メインストリームへの階段を登り始めた
中島健人くんはMyojoのJr大賞で入所1年目に2位になった。ちなみに風磨くんは9位


しかし、安寧はなかった、たとえデビューしても

ふまけんは、2度も無かったことにされたデビューがある。

中島健人、菊池風磨、松村北斗、高地優吾の4人でB.I.Shadowというグループだったことがあり

1度目が、中山優馬くんと「中山優馬w/
B.I.Shadow」として

2度目が、そこにHey!Say!JUMP!の山田涼介くんと知念侑李くんを追加加入し、グループ名が変更され「NYC boys」として

思春期に事務所にこの対応をされてもよくアイドルをやり続けデビューを目指してくれたな思う。




3度目のデビュー、今度はSexyZoneで違うメンバーとデビュー、よくグレなかったな中島健人。
菊池風磨はグレた。本人曰く反抗期だった。
当る先が年下の3人ではなく年上のシンメの中島健人なのは、なんの意地なのか、それだけ甘えられる存在意義だと無意識に認識していたのか。本人曰く長い反抗期に入った

しかし、2人ともに下3人(ちびーず)の面倒をしっかり見ていたようで、SexyZoneのパパ・ママという言葉さえでる。
パパは菊池風磨
ママは中島健人
なのは固定らしく、ママティってマリウス葉くんが言ってた

でも菊池風磨くんの反抗期期間は、2人は楽屋で、喋りもしなかったと後に間に挟まれる佐藤勝利くんが証言している(ちょり、かわいそ可愛いな。
佐藤勝利くんと松島聡くんは強化ふまけん担ではと疑惑との疑惑もある!だって、ライブMCでふまけんエピお話してくれるもん。)

でも、SexyZoneChannelってこの反抗期期間に放送されてた番組があった
正直不仲?としか思えないほど、掛け合いは面白いし、息があっている。不仲?
2人でイキナリ踊りだし、ボケてたし、2人で笑うシーンもあるし、不仲???

でも楽屋では、話さない
逆になんでそれで、ああいった掛け合いや、歌番組でパフォーマンスできたの?

で、突然の雪解け
8.25事件(2016/8/25)←公式名称by中島健人

ふまけん担にとっての神さま
山Pこと山下智久さまが、菊池風磨くんを誘って中島健人くんのソロコンサートに来た日

普通見学は誰が来るのかは事前に出演者には知らされてるようで、だから今日はきてるってMC中に話をふることできるのだけど、このときは、山下智久さまの見学は知ってたけど、菊池風磨くんのことは知らなかったようで、ソロコンサート最終日に、動揺しまくる中島健人くんと照れまくる菊池風磨くんが見られた模様。

いつだってアイドルを崩さなかった中島健人くんが菊池風磨くんが見学にきただけで、あの中島健人がファンすら目に入ってなかったのでは?と言われるくらい2人の世界
アイドルサイボーグが、崩れた瞬間だった!

なので、山下智久さまは菊池風磨くんを連れだしてくれた恩人なので、神さまなのだ!!

その後中島健人くんは各アイドル紙に如何に嬉しかったかをペラった。
まるでいつも見ていた流れ星が手に落ちてきた感覚だったby中島健人



そして、その2年後も24時間TVのメインパーソナリティーに就任した
当日が8/25だった
数字が仕事してた
運命の日に

中島健人くん全肯定BOTの菊池風磨くんと言われるまでになったし、そもそも中島を馬鹿にしていいのは俺だけだって発言からも認めているし、尊敬してたんでしょう。
そして、過保護、ジャニーズWESTの小瀧くんは自宅飲みで床に転がしとく、のに、打上げで酔った中島健人くんはホテル部屋に自ら運ぶってどーいうこと?

以上、ふまけんデータでした。


わたしはみていて、ふまけんって不思議だなって思う。

似てるようで似てなくて、似てないようで似てる。

こんな怒濤な日々を生きるふまけんの#たった3日間で人生は変わるのか みないわけにはいかないんじゃない?

今日です。今日。絶対みてね。

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