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Sexy Zoneを布教し隊②【Sexy Zone絆編】

①波乱万丈変遷

Sexy Zoneは『5人』でデビューをした。
当時、最年長の中島健人くんは17歳、最年少マリウス葉くんは11歳で、センター佐藤勝利を中心に、小さい組のシンメと大きい組のシンメが、センターを支えるように配置されていた。


ジャニーズ事務所の所属アイドルは、基本的にデビュー組は手厚く丁寧に扱われる傾向にある。

私はよく、

『ジャニーズはファンへの福利厚生がいい』

ということを言う。

これは、ジャニーズを一度好きになればどんどん推しのメディア露出があって、雑誌・テレビ・映画・ドラマ・音楽・写真‥‥普通の歌手や俳優のファンよりも、頻度高く喜びの提供を受けることができるという意味で使っている天才的な表現である。


ジャニーズへの課金は納税である。

よく覚えておいてほしい。

これは裏を返せば本人たちにも仕事が途切れず入ってきているという証拠であり、やはりジャニーズ事務所は、一度デビューさせたタレントはとても大事にしている(と、客観的には思う)。

しかし、Sexy Zoneはそんな安定的地位が得られやすいジャニーズの中でも、どちらかというと不幸を背負って、デビュー後をかけぬけてきたグループである。

今回は、そんなSexy Zoneの歴史を紐解いていきたい。

Sexy Zoneのデビュー

2011年9月29日、帝国劇場において開催された記者会見の中で、グループの結成とCDデビューが発表された。ジャニーズ事務所代表取締役社長であるジャニー喜多川は「マイケルジャクソンのセクシーさ」をイメージして「Sexy Zone」というグループ名を決定したこと、メンバー選考は二転三転したものの4日前に最終決定され、「男としてのセクシーさ」を重視したことを明かしている。また、ドイツ人の父親と台湾出身の日本人の母親を持つマリウス葉をメンバーに加えたことについて「国際性を持たせたかった」としている(Wikipedia)

Sexy Zoneのデビュー曲『Sexy Zone』は、ファンの間では『トンチキソング』として親しまれている。

デビュー後しばらく、Sexy Zoneは歌詞の意図はわからないけれどキャッチーで覚えやすい曲を連発し、ファンを獲得していった。

キラキラでかわいい、いわゆる王道アイドル路線である。

まだ小さな男の子たちが薔薇をもって、てかてかの衣装で簡略なダンスを踊る姿は、かっこいい?かわいい‥?という、正直微妙なラインでファンである私でも説明が難しい。

『デビュー曲だし、もっとかっこいい曲だったらよかったのにね』と思う人もいるかもしれない。

しかし、私はやっぱり

『Sexy Zoneという曲は、当時の彼らにとっての最大限』だったと思う。

まだ華奢だった彼らにはインパクトのある衣装が必要だったし、変声期を迎えていないメンバーには、キーの高い曲しか歌えない。


しかも一部メンバーのJr.歴の浅さから、高度なダンスで魅せることも難しかっただろう。

そういう意味で、インパクト満載のトンチキデビュー曲Sexy Zoneは、彼らを売り出すには最良の曲だった。

とにかく当時のメンバーは若かった。
あまりピント来てないひともいるかもしれないが、Sexy Zoneの年少組は、あのデビューしたてのキンプリと世代がかわらない。

それだけで、どれだけ小さい頃から仕事をしてきたかがわかってもらえるだろう。

まだダンスも歌も能力不足なメンバーがいるなか、それでも彼らをデビューさせたのは、勿論アイドルとしての素質と、なによりもその5人のバランスからだったと思うのだが、そうはいっても当時の状況はかなり複雑だった。

『なんでマリウス葉、松島聡、佐藤勝利なの?』

ジャニーズJr.としてすでに人気をはくしていた年長組の中島健人と菊池風磨とは違い、下3名はJr.歴が浅いままデビューが決定した。

当時別のJr.を推していた人たちからすれば、かなり複雑な感情だったのではないだろうか。

自分が長きに渡って応援しているJr.も、当然デビューにむけて努力を重ねていて、なのにぽっと出の、よく知らないJr.が華々しくデビューをかざる。

また、中島健人担、菊池風磨担からしても、『なんで佐藤勝利がセンターなのか?』と思ったと思う。

こんなに人気なメンバーを差し置いて、どうしてぽっと出を中心にすえるというのか。

マリウス葉に至っては 11歳、日本語も不自由で、メンバー間のコミュニケーションも大変だったと、メンバーは当時の状況を振り返っている。

まだ幼い彼らからすれば、周りの目は厳しく映っただろうし、プレッシャーに押しつぶられそうになったこともあるだろう。

≪だからこそみんなまっすぐ育った≫

しかし、この5人である意味がそこにあった。

いまのSexy Zoneは、ジャニーズの中でも『真面目さ、一生懸命さ』が売りである部分が大きい。


一人っ子である中島健人くんが、突然4人の弟ができてお兄さん役をやらされたのも、とんがっていた菊池風磨くんが、キラキラアイドルの中島健人くんと手のかかる三人の弟に挟まれたことで、カッコ悪く尖りきれなかったその期間も。


彼らが幼い頃から芸能の世界にいながら、驕らずまっすぐ育った要因は、そこではではないだろうか。

『弟たちにカッコ悪いところはみせられない』

そんな気持ちが、もともとアイドルとしての能力の高かった2人に更に『謙虚さ』や『負けず嫌いさ』を添えて、本来のまっすぐさを歪めずに育ててくれた。

また、センターたる佐藤勝利くんは、デビュー当初から上と混ざれば愛嬌のある弟に、下と混ざればまだまだはしゃぎまわるこどものように、ファンに愛らしい二面性をみせてくれていた。

下手をすれば年齢で二分しかねなかったSexy Zoneを、彼は常に真ん中で繋ぎ止めていた。


彼の顔面偏差値の高さは注目されがちだが、アイドルとして圧倒的に彼の能力の高さが伺えるのが、じつはそのメンタルの安定性である。

どんなときも、だれといても、彼は真っ直ぐそこにいる。

そして、荒波に揉まれていく松島聡くんは、普通の人間なら恥ずかしくて口にできないほど素直な言葉でメンバーをほめて、みんながあえて口にはしない『仲の良さ』を垂れ流してくれる。

マリウス葉くんはそのあまりの意味のわからなさ(言葉の壁)とgentlemanぶりに、天使としてファンの心を引き付けた。

無論、上2人に『弟』として支配された3名は、ぐれるという選択肢はなかったに違いない。

『ちびーず』と呼ばれる彼らは、『ふまけん』とよばれる兄2人にかこまれて、のびやかにすくすく成長していた。



弟分ユニット結成と3人体制への移行



2014年5月5日、横浜アリーナでのコンサート公演において、弟分ユニットとして松島聡とジャニーズJr.の松田元太および松倉海斗が参加する「Sexy 松」(Show)、マリウス葉とジャニーズJr.の岩橋玄樹および神宮寺勇太が参加する「Sexy Boyz」を結成すると発表。3人体制のSexy Zoneに2つの弟分ユニットとファン(Sexy Girls)とを加えて「Sexy Family」と称することになった。
2014年7月15日、代々木第一体育館で新曲「男 never give up」の発表会を開催し、同年10月1日に中島健人、菊池風磨、佐藤勝利の3人体制でシングルを発売することを明らかにした。同時に、今後は中島・菊池・佐藤を中心メンバーとし、それ以外のメンバーを固定せずに活動することも発表した。松島・マリウスの2人はSexy Zoneから脱退はしないが、松島はSexy 松(Show)、マリウスはSexy Boyzでの活動が主体となるとされ、ファンには混乱もみられた。(Wikipedia)

Sexy Zoneは一度、グループが3人体制になるという、『ファンもメンバーも微妙な気持ち』となった期間があった。

私もここに関して、本当のところは何もしらない。

松島聡くんが地元静岡からの仕東京へ仕事にくるのも大変だったろうし、きっと声変わりのタイミングで、5人が同じ歌を歌う違和感もあっただろうし、いつまでも下に合わせた売り方では、中島健人と菊池風磨の『かっこよさ』を伝えられないと思ったのかもしれない。

そんなことは、ジャニーさんしか知らないことである。

Sexy Zoneには、間違いなく格差があった。


私は高校生のころ、『聡くんとマリウスくんって、かわいいけど扱いがバックダンサーみたいだよね。可哀想』と、友達と話した記憶がある。


衣装の色やお金のかけ方はもちろん、同じステージで歌を歌わせてもらえないときもあった。

それくらい、当時は見ていて違和感のあるグループで、私はSexy Zoneがこのころ全く好きではなかった。

聡ちゃんとマリウスの二人は勿論よく耐えたし、上3人も、よく下2人を守り抜いたと思う。

ちなみに、この記事をかくためにフォロワーさんが送ってくれた3人時代のエピソード↓


・3人だけの活動時聡マリに逐一現状報告、聡ちゃんに「信じる人を決めろ」と(ホントはオレを信じろっていいたかった)
・sexy松(しょー)は風磨くんが閃いてジャニーさんに提案

・マリちゃんが後に「あの時みんなから可哀想と言われたけど自分はそうとらえてなかった」と発言。
・5人に戻った時に「俺から見る4人の景色ってすごく綺麗なんだよ」って言う勝利の発言。
・勝利はソロ曲 Last winter's night でファンに向けてこの時の心境を歌いファン号泣。

彼らは彼らなりに耐え、どうにか5人でいるために必死にもがいていた。3人体制は、彼らの関係に間違いなく大きなものを残した。

3人体制は、Sexy Zoneにとって必要だったとは思わない。
でも、あの時間は無価値ではなかったと、ファンは信じている。


5人体制への復帰

2015年12月16日発売の10thシングル「カラフル Eyes」から、Sexy Zoneは再び5人体制での活動を再開した。

2015年、Sexy Zoneは再び5人体制へと変化する。


カラフルeyesは、かつてあった衣装格差を感じない、カラフルでポップで、しかし確実に大人になったシングルであった。

彼らは歌もうまいしダンスもうまい。


頑張りやさんで、スキャンダルも起こさずよくやってきた。
彼らの頑張りは、Sexy Zoneという解体しかかったグループを見事に守りきった。


しかし、Sexy Zoneははっきりいって売れていない。

今のところテレビのレギュラーもないし、今年、ついに続いていたラジオの生放送レギュラーも、Jr.の後輩グループに枠をゆずることとなった。

誰もいわないから私がいうが、Sexy Zoneはあまりにも間が悪かったのだ。



人気があがるべきタイミングに、彼らは切り離され、ファンですらみていられない期間があった。

3人体制時、楽屋に会話はなかったと、佐藤勝利くんは冗談のようにいっていた。

あんなに賑やかで、家族みたいな5人でデビューしたのに。

もがき苦しんだSexy Zoneは、再びいいスタートをきったはずだった。


そして4人体制へ


2018年11月28日、松島聡が療養のため芸能活動を当面休止することを発表。(Wikipedia)

2018年年末、メンバーの松島聡くんがパニック障害による活動休止を発表した。


自分にあんまり自信がなくて、気にしいの心のやさしいメンバーであることは分かっていたが、Sexy Zoneきってのお調子者でムードメーカーである彼の病気と活動休止。


しかも約1年間不調を隠しながら働いていたという事実に、ファンは動揺が隠せなかった。

私も、まさか聡ちゃんが。と思った。

お仕事が増えてきて、ようやく5人のSexy Zoneに戻れて、Jr.をバックにつけなくてもカッコよく5人で決められるのに。

そしてこの年の年末のカウントダウンコンサートで、マリウス葉は舞台から転落した。
本来であれば松島聡くんもここにいて、ようやく18歳になったマリウス葉が初めて参加し、ようやく5人が揃う記念のコンサートになるはずだったのに。

マリウスは、まるで吸い込まれるように、足を踏み外して奈落に落ちた。

無事ではあったものの、このときのメンバーの顔、3人になったシルエットを、私は生涯忘れることはないだろう。

泣きそうな顔、動揺、再びでてきたときの、憔悴しながらもほっとした顔、マリウスのけろっとした笑顔。

どうしてSexy Zoneばっかり、と思った。
なんでこんなに、全部上手くいかないの?

おそらく4人は複雑な感情で、現在も必死に活動をしている。

2019年5月17日現在、松島聡くんはまだ復帰しておらず、Sexy Zoneは4人でアリーナツアーを行っている。ツアーのために発売されたアルバムPAGESも、初だし曲は全て4人体制である。

彼らはテレビなどでは松島聡くんの名前をかたくなに出さず、ラジオやコンサートの場でのみ、『 5人で』『必ず』『松島といっしょに』とメッセージを発している。

テレビでは最初から4人グループであるような顔をして、パニック障害の、もうひとりのメンバーがいることを、決して口にはださない。

寂しい。つめたい。そんな風に感じるファンがいるのもしょうがない。当たり前のことだ。

でも私はそれを、きっと聡ちゃんが『ただいま』といったときに、メンバーもファンも、『おかえり』と、ただその一言だけで受け入れてあげられるようにするための、最大の愛だと思っている。

松島聡は可哀想なメンバーでも、病気になっちゃったアイドルでもない。

Sexy Zoneの、みんなのムードメーカーである。

絶対に売れたい

年始に、メンバーのなかでたった一人だけ、かつて自分で望んでアイドルになった訳ではなかった佐藤勝利くんから、

『売れたい』

というメッセージがブログで発信された。

それはデビューからいままで、大人に翻弄され、必死に守りあってきたメンバーの心の叫びだとおもっている。

絶対に売れたい。

時代をつくろうSexy Zoneと歌ってきた彼らに、令和という時代をささげたい。

是非彼らの活躍を、多くのひとに見ていただきたい。

松島聡くんを、みんなで待ちませんか?
私はすこしだけSexy Zoneに興味をもってくれたみなさんにそう伝えたい。

みんなで聡くんに、おかえりって、いいませんか?

→つづく

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