めんどくさいの煮こごり
めんどくさいことを後回しにするクセがある。
少し前向きな言い方をすると、後回しにするクセがつきつつある。(まだ軌道修正が可能な段階ということ)
例えば仕事。
何でもやり始めて、サッサ進むことはどんどん片付いていく。でも最後辺りには必ずめんどうなことが残る。
このめんどうなこととは、大概「よく考える必要のあること」な気がする。
でもそのよく考えるという行為が、この上なくめんどくさい。
煮込み続けて最後に煮詰まったものが、「めんどくさいの煮こごり」であり、この煮こごりがどんどん溜まっていくと、鍋がダメになってしまう。
鍋がダメになるということは、「仕事が進まなくなる」を例えてみた感じ。
仕事を進めていても、いつまでも終わらない。
進めているのに終わらないのは、何故なのか。
それはやはり、仕事が終わるということは目的の完了・解決にあるからであり、そこに至るまでで何かしらの支障が生じているからなのではないか。
ゴールの一歩手前で座り込んでしまったり、違うエリアで長いことウロウロしていては、やはり終わりには辿り着かない。
めんどくさいの煮こごりの正体は、前述した「行き先不明の問題達」であり、これらが解決まで辿り着かないと、その過程で喰らった苦労も成仏しないのではないか。
そういうわけで、仕事におけるめんどくさいのほったらかしは、何も良いことにはならないと最近やっと肌で感じた。
ここまで大層に書いているが、何もこれはいま私が初めて発見したことではなく、これまでも語られてきている仕事のノウハウにおいて散々こすられてきたセオリーかと思う。
ただ、ああいうのも、言われてみれば当たり前のことなのに、いざ自分がそれに陥ってしまっているときには何故か気がつけない。
気がつけないならば、ゴールの方を向いていれば良い。ノウハウの先生が言っていた。必ずゴールを設定してから仕事に取り掛かりましょうと言っていた。そんなの当たりめぃだろバーカと思っていた。しかし渦中にいると、驚くほどに気がつけないのである。
ゴールを見据える。
鍋で言うならば、引き上げ時をいつも考えながら、煮込まないといけない。煮こごりになる前に必ず引き上げないといけないということなのか。
ちなみに、煮こごりは食べたことがない。
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