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15年ぶりの再会

大学時代のとても仲の良かった友人にやっと再会できた。
大学では何で仲良くなったんだったか、あまり思い出せない。
木工もガラスもIDも一緒じゃなかった気がする。
出席番号が近かったのかなあ。

2−3年生で親しくなってから、卒業までずっと、卒業してからも
私が放浪しているときもずっと仲良くしてくれて
会社勤めしてからも仲良かったけれど、

彼女がケニアに行って私が遊びに行ってお互い帰国後再会したら
なんだかあんまり話が合わなくなっていたのは覚えている。
ケニアでの私の大切な思い出や経験は、
違う形でケニアで生活した彼女とは共有ができなくて
いろんなタイミングやその時向かいたいものがズレていた時期だったと思う。
喧嘩や言い争いをしたわけでもなく、
でも、帰国して何か新しい仕事を探していた彼女の不安やモヤモヤを
会社の仕事が楽しくなってきて太鼓も楽しくた身勝手な私は
その相談に乗ったり親身になる力がなく、そしてお互いに会う気になることがなく
会わなくなっていったんだったと思う。

大きいことを考えて世間を批判したり、がむしゃらにできることをしていた頃
外へ外へ期待を広げては、自分の無力さに蓋をして、可能性だけで
偉そうなことを言っていたように思い出す。
若者の叫びって感じで、それも自分の歴史で大事にしているけれど
今目の前にあることを一生懸命やって成果も出せないと偉そうなこと何も実現できないってやっと気づいて、仕事をがんばり始めたら、がんばると成果も出て楽しくなるもので、今度は逆に、広い目で自分の仕事の意味を見ることに蓋をして今を楽しむようになってしまった。
その自分と自分の間の溝を埋めてくれたのがタヲだった。
でも、本来向き合うべき自分を目眩ませて、太鼓とそのコミュニティにはまり
あれはもう溺れていた。
タヲで思い出した本来の自分を、やっと思い出して行動できたのは
東日本大震災。
大きな悲劇によってやっと気づいた自分の本当の思いを行動にして
イギリスで織物を始めた頃、彼女を思い出して連絡したけれど返信は無かった。
帰国した後も連絡が取れず、
今回もふと思い出した時にダメ元でメッセージを送ったら、会えた!!

15年の空白、お互いのタイミングが再び合うまでこれだけかかったんだな。

太鼓で人間関係がだいぶ変化したけれど
大事な縁はちゃんと帰ってきて良かった。
今自分はちゃんと自分の人生を生きているように思えた。
迷いながらも、自分の言葉と行動で話せるようにいつも意識しておきたいものです。

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