勇者になりたかった僕

真夜中の戯言、駄文の始まり。

不登校になった時、うつ病で精神が崩壊した時、強迫性障害になった時、いつだって私は誰かに手を差し伸べられて、深い落とし穴から這い上がってきた。座右の銘の「何度でも這い上がる」はここからきている。

「生かされている」という言い方は何となく好きではないのだが、「私が今生きているのは自分の力ではない」とは思っている。それだけ私は周りの人間関係には恵まれているのだ。

ある時は音楽に、ある時は先生、家族や当時好きだった人に。プロレスや推しとか、パートナーとか。様々な支えのもと、私はふらつきながらもこの足で立ちづけている。

絶賛不登校の中学時代、中3の時に赴任してきた理科の先生を好きになり、実力テスト30点台の自分が、定期テスト平均80後半~90点台を叩きだし続けていた過去。我ながら単純だなぁと思いつつ、それがあったからきっと人生の軌道修正が出来たと思っている。ありがとう理科の先生、お元気でしょうか。

そんな私は、誰かの支えになれる存在になれているのだろうか。
会社の部下、同僚、家族、パートナー。私がいて、何かの役に立てているのだろうか。誰かのために生きていけているのだろうか。
そんなことを考える事自体がおこがましく、本当に誰かの支えになれている人は微塵もそんなことは思わずに生きているんだとは理解しつつも、傲慢な私はつい考えてしまうのだ。

せめて、身近な人の心が壊れてしまわぬようにと、なるべく周りを見渡して
「大丈夫?」と言える人になろうと思う。

どう足掻いても勇者になんかなれないのだから。

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