見出し画像

幸せとは?

昔は沢山の何かを手に入れることだと思っていた。

物やお金や愛情。

でも最近はそれが小さくなってきて

幸せとは何でもない平凡な日のことなんだろうなあと改めて。

その使い古された言葉が漸く身に染みるようになってきた。


というのには二つわけがある。

月曜日体調が急に悪くなり身体が痺れて吐き気と意識が遠のく感じ

さっきまで意識してなかった身体が一気に

この意識にあがってくる。

一番苦しい場所に自然と意識がフォーカスされ

胃から食道、喉目掛けて何かが駆け上がってくるのを

ぼんやり感じながら反面理性がそれを抑えようと喉に力を入れる。

そんな時は決まって自分の機嫌の悪さ、人にしてしまった後悔

器の小ささを呪う反省会が脳内で始まる。

そして決まって謝罪の言葉をたくさん述べる。

この吐き気が自分の行動に比例して現れたかのような錯覚にさえなる。

この後悔は歳を重ねるごとにもリアルに自分に張り付いてきている。


この考えがずっと張り付くようになったのは去年から。

この二つ目の理由は愛猫の突然の体調不良。

いつもと違う景色。どうしていいか分からない絶望感。

世界が色褪せるとか本当にあるんだと

もはや何も考えれず事実だけが頭を支配した。

幸い乗り切ったもののそこから

この子がいなくなったら…が毎日のように脳内に住み着き出した。

でもお陰で後悔の無い様に過ごそう!

と常に意識できるようになった。

いつもなら喉元過ぎれば…だが

こればかりは私の中で相当こたえたらしい。

自分のことをしているとつい邪険にしていたこともあったけど

それも猛反した。

私はバカだ。私が一緒にいようと連れてきたのに

いつしかそれが当たり前になってしまっていた。

だからって最後の時に後悔しないとは言えないけど

普段からこうして心の準備と最後の時を考えていたら

ちゃんと愛することをしてきたっていう意識に少しは救われるのかな…

など思いつつ。

後悔のない人生なんてないけど

その後悔はいつからだって減らすことができる。

人がどうとかじゃない。

自分の意識だけ。

ほんの小さな意識がいざという時自分を慰め支えてくれるだろうと

…信じたい!笑笑


そう思って変化のないような日々も後悔のないように。


今日もたくさんの感情に支配されてこの何でもないような

でも大変だった大事な一日が終わろうとしている。


何か成し遂げようと焦らなくても私は後悔のないように

そこへ意識を向けて日々過ごす方が合ってるみたいです。


皆少しの時間でも心穏やかな瞬間がありますように。

折角のこの生命、自分にとっていい時間をお過ごし下さい。

…と言いつつ自分に向けています笑笑


ありがとうございました⭐︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?